『新千載和歌集』の中の為兼。
【作品名】『新千載和歌集』
【成立時期】室町時代(一三五九年成立。為兼没後二十七年)
【撰者】二条為定
【ジャンル】和歌集
【内容】第十八代勅撰和歌集。
【巻第一・春歌上】
性助法親王家の五十首歌に
〇〇六二 風渡る岸の柳の片糸に結び求めぬ春の朝露(前大納言為兼)
訳】(後嵯峨院の第六皇子である)性助入道親王家の(歌会で詠んだ)五十首(の)歌に(あった歌)
〇〇六二 風が吹きわたる岸の柳の(葉でできた)より合わせていない糸に結んで求めない春の朝露であるよ。
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【巻第二・春歌下】
題しらず
〇一三二 高砂の松の緑はつれなく尾の上の花の色ぞうつろふ(前大納言為兼)
訳】題しらず
〇一三二 高砂(神社境内にある、黒松と赤松とが一つの根から生え出た相生) の松の緑は変わらぬまま山の頂の桜の色は(花びらが散って)変わってしまった。
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【巻第一・夏歌】
題しらず
〇二五六 今ははや聞きふりぬべき五月雨の空にもあかぬほととぎすかな(前大納言為兼)
訳】題しらず
〇二五六 今となってはもう聞き古してしまったに違いない五月雨の空にも飽きない(で鳴く)ほととぎすだなあ。
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【巻第四・秋歌上】
弘安六年八月十五夜内裏にて月五首歌講ぜられけるに
〇四二七 置く露の光も清き庭の面に玉敷き添ふる秋の夜の月(前大納言為兼)
訳】弘安六年(一二八三年・三十歳)八月(十五日の夜に催された)十五夜(の歌会で)内裏にて月(を歌題とした)五首(の)歌(を)披露なさった時に(あった歌)
〇四二七 (庭に)降りる露の光も清らかな庭の表面に玉を敷いたような美しさを付け加える秋の夜の月(の光であるよ)。
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【巻第五・秋歌下】
題しらず
〇四七五 山田守るかりほの庵に露散りて稲葉吹き越す秋の夕風(前大納言為兼)
訳】題しらず
〇四七五 山の田の守る(ために設置された)刈った稲穂の番をするための仮設の(粗末な)小屋に露(が)散って稲の葉(を)吹き越える秋の夕風(であるよ)。
※「かりほ」は「刈り穂」と「仮庵」の掛詞。
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【巻第五・秋歌下】
(弘安七年九月九日亀山院に、籬菊露芳といふことを歌講ぜられけるに、位におましましける時たてまつらせ給うける)
〇五三二 秋深き籬の露もにほふなり花より伝ふ菊の雫に(前大納言為兼)
訳】(弘安七年(一二八四年・三十一歳)(重陽の節句の日である)九月九日(に)亀山院にて、「籬(の)菊(の)露芳し」ということを歌(で)披露なさった時に、(後宇多天皇が)位にいらっしゃいました時(に)献上なさった(歌))
〇五三二 秋たけなわの籬(と呼ばれる目の粗い低い垣根)の露も美しく輝いている。花から伝う(飲めば長生きすると言われた)菊の花に溜まった露(ととも)に。
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【巻第五・秋歌下】
題しらず
〇五六八 色変はる真拆の葛くり返し外山時雨るる秋の暮れかな(前大納言為兼)
訳】題しらず
〇五六八 色(が)変わる(神事に用いられた)真拆の葛(と呼ばれるつる植物が)くり返し(色を変え、)人里に近い山(には)時雨が降る秋の暮れであるなあ。
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【巻第六・冬歌】
性助法親王家の五十首歌に
〇六四二 夜もすがら置き添ふ霜の消がてに氷重ぬる庭の冬草(前大納言為兼)
訳】(後嵯峨院の第六皇子である)性助入道親王家の(歌会で詠んだ)五十首(の)歌に(あった歌)
〇六四二 一晩じゅうさらに置き加わる霜が消えそうにもない氷(が)積み重なる庭の冬草(であるよ)。
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【巻第十・神祇歌】
弘安八年住江に御幸ありて、行旅述懐といふことを講ぜられ侍りけるにつかうまつりける
〇九九一 ふりにける跡を尋ねて住江の行幸重なる今日にもあるかな(前大納言為兼)
訳】弘安八年(一二八五年・三十二歳)(住吉神社のある)住江に天皇のお出ましがあって、「旅をする人の述懐」ということを(歌題として)披露なさいました時にお詠み申し上げた(歌)
〇九九一 年月が経ってしまった旧跡を尋ねて住江への天皇のお出ましがたび重なる今日であることだなあ。
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【巻第十一・恋歌一】
道洪法師すすめ侍りける十首歌の中に
一〇七〇 ひとすぢに心なき身と思へども憂きをば袖にしる涙かな(前大納言為兼)
訳】道洪法師(が)お勧めなさいました十首(の)歌の中に(あった歌)
一〇七〇 ひたすらに物事の情趣を解さない身(である)と(自分では)思うけれども(実は)心の悩み(があること)を袖に知らせる涙なのだなあ。
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【巻第十三・恋歌三】
別れの恋の心を
一四〇七 いかがせむまだ夜は深き鐘のおとに名残つきせぬ暁の空(前大納言為兼)
訳】別れの恋の心を(詠んだ歌)
一四〇七 どうしようか(どうしようもない)、まだ夜明けには充分時間のある(恋人の許から蛙にはまだ早いと言わざるを得ない)、遠く離れた鐘の音に余韻(の)尽きない暁の空(の下で)。
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【巻第十五・恋歌五】
建治二年九月十三夜内裏にて五首歌講ぜられける時、同じ心を
一五七八 はかなくぞありし別れの暁もこれを限りと思はざりける(前大納言為兼)
訳】建治二年(一二七六年・二十三歳)九月(十三日の夜に、中秋の名月に次いで良いとされる)十三夜(の月を見ながら催された)内裏(の歌会)にて五首(の)歌(を)披露なさった時(に)、(それらと)同じ心を(詠んだ歌)
一五七八 はかなくこそあった(夜明け前のまだ暗い時間帯に恋人の家から自宅へと帰る、恋人とのつかの間の別れを意味する「暁の別れ」を何度も繰り返していたのに、恋人との本当に別れが来てしまって、明日以降も続くはずであった)別れの(際に過ごす)暁(という時間)も今回が最後とは思わなかったことだ。
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【巻第十五・恋歌五】
性助法親王家の五十首歌に
一六二〇 憂かりける佐野の中川さのみなど逢ふ瀬絶えても恋ひわたるらむ(前大納言為兼)
訳】(後嵯峨院の第六皇子である)性助入道親王家の五十首歌に(あった歌)
一六二〇 (『万葉集』にも詠まれている)つれなかった(愛し合う男女の間を流れる川とされ、男女の仲を引き裂くものとして詠まれることの多い、上野国の)佐野の中川(が)そのようにばかり(=あなたとの仲を引き裂くばかり)などと、会える機会が途絶えても(ずっとあなたを)恋い慕い続けるだろう。
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【巻第二十・慶賀歌】
正応二年内裏にて、「鶯是万春の友」といへることを
二三〇四 鶯の変はらぬ声や君が代に万返りの春を重ねむ(前大納言為兼)
訳】正応二年(一二八九年・三十六歳)内裏で、「鶯はいつも変わらない春の友(である)」といったことを(歌題として詠んだ歌)
二三〇四 鶯の変わらない(鳴き)声であるなあ、(我が)主君の御代に何万回もの春を繰り返すであろう。
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【巻第二十・慶賀歌】
弘安八年三月従一位貞子に九十賀賜はせける時詠み侍りける
二三一六 九十みちぬる春の時にあひて花の心も開け添ふらむ(前大納言為兼)
訳】弘安八年(一二八五年・三十二歳)三月(に、御嵯峨院の中宮の母であり後深草院の中宮の母でもあることから)従一位(を賜っていた四条)貞子に九十の賀(の祝いを天皇家がお与えになった)時(に一緒に)詠みました(歌)
二三一六 (お生まれになってから今日までで迎えた春の回数が)九十回に達した(記念すべき九十回目の)春という季節に(また)出会って花の心も自然に開き広がり(寄り)添うであろうよ。
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【巻第二十・慶賀歌】
弘安三年八月十五夜内裏にて月五首講ぜられけるに
二三二六 めぐりあはむ千歳の秋の行末を月にぞちぎる雲のうへ人(前大納言為兼)
訳】弘安三年(一二八〇年・二十七歳)八月(十五日の)十五夜(の歌会で)内裏にて月(を歌題とした)五首(の)歌(を)披露なさった時に(あった歌)
二三二六 巡り巡って出会うであろう千年の秋のこれから先の未来を月にこそ誓う殿上人(であるよ)。
撰者が勝手に、下命者であった後光厳天皇(伏見院の曾孫)に忖度したお陰で、京極派がそこそこ優遇されはしたものの、歌風はあくまでも二条派好みの十六首。
ちなみに同じ京極派からは、伏見院(二十七首)・花園院(二十三首)・光厳院(二十首)・永福門院(十五首)・為子(六首)などが選出されている。




