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『風雅和歌集』の中の為兼。

【作品名】『風雅和歌集(ふうがわかしゅう)

【成立時期】室町時代(一三四六年成立。為兼没後十四年)

【撰者】花園天皇

【ジャンル】和歌集

【内容】第十七代勅撰和歌集。清新な自然詠、深い心理分析の恋歌、物の本質を鋭くとらえて非具象的に詠出した思想的な作などの特色がみられる。

【入集歌人数】

五六七人(うち、一首のみ入集:二九九人●五二.七%、二首入集:八九人●一五.七%、三首入集:四七人●八.三%、四首入集:二二人●三.九%、計四五七人●八〇.六%)。



【入集歌数】

二二一一首



【部立と歌数】

①春上:〇〇九〇首(うち為兼:〇四首。一・二七・五一・八四)

②春中:〇一一八首(うち為兼:〇四首。一一一・一一七・一二二・一四六)

③春下:〇〇九二首(うち為兼:〇二首。二二八・二九二)

④夏 :〇一四五首(うち為兼:〇四首。三一〇・三二二・三二五・四〇八)

⑤秋上:〇〇八〇首(うち為兼:〇三首。四九一・四九六・五〇九)

⑥秋中:〇〇九九首(うち為兼:〇三首。五四二・五六四・六〇六)

⑦秋下:〇一〇〇首(うち為兼:〇二首。六五一・六六六)

⑧冬 :〇一七四首(うち為兼:〇六首。七八六・八〇四・八二二・八三七・八五五・八七二)

⑨旅 :〇〇六一首(うち為兼:〇六首。九一五・九二六・九二七・九二九・九五七・九五八)

⑩恋一:〇〇七八首(うち為兼:〇一首。九七二)

⑪恋二:〇〇九八首(うち為兼:〇二首。一〇四八・一〇八二)

⑫恋三:〇〇八八首(うち為兼:〇二首。一一五六・一一五七)

⑬恋四:〇一〇四首(うち為兼:〇一首。一二三五)

⑭恋五:〇〇八二首(うち為兼:〇〇首)

⑮雑上:〇二一三首(うち為兼:〇三首。一四三八・一四五一・一四六八)

⑯雑中:〇一七三首(うち為兼:〇六首。一六四三・一六八七・一七二七・一七三〇・一七三一・一七三五)

⑰雑下:〇二四四首(うち為兼:〇一首。一九四六)

⑱釈教:〇〇六三首(うち為兼:〇一首。二〇九六)

⑲神祇:〇〇五三首(うち為兼:〇一首。二一二六)

⑳賀 :〇〇五六首(うち為兼:〇〇首)

 計 :二二一一首(うち為兼:五二首)



【入集歌数ランキング】

①八五首 伏見院

②六八首 永福門院

③五四首 花園院

❹五二首 京極為兼

⑤三九首 京極為子

⑥三六首 藤原定家

⑦三五首 後伏見院

⑧三一首 光厳院

⑨三〇首 徽安門院

⑩二八首 紀貫之・藤原俊成・進子内親王

⑬二七首 永福門院内侍・後鳥羽院

⑮二六首 藤原為家・儀子内親王

⑰二四首 正親町公蔭

⑱二二首 藤原為基

⑲一八首 慈円・冷泉為相

㉑一七首 西園寺実兼

㉒一六首 足利尊氏



詞書(ことばがき)(和歌の前書き)の中の為兼】


  前大納言為兼、家に歌合し侍りけるに、「春朝」を

〇〇二四 出づる日の移ろふ嶺は空晴れて松より下の山ぞ霞める(前中納言為相)


訳】(さきの)大納言為兼(が)、家で歌合を催しました時、「春の(あした)」(の題)を(詠んだ歌)

〇〇二四 (姿を)現した太陽が移動していく山頂は、空が晴れているので松よりも下(の方)の山は霞んでいる。

 ※為兼の家で行なわれた歌合で詠まれた歌であることが分かる詞書。


     ◆


  前大納言為兼、家に歌合し侍りけるに、「春夜」を

〇二〇六 花白き梢の上はのどかにて霞のうちに月ぞふけぬる(従二位為子)


訳】(さきの)大納言為兼(が)、家で歌合を催しました時、「春の夜」(の題)を(詠んだ歌)

〇二〇六 花が白く咲いている梢の上は(風もなく)のどかであって、霞んでいる中に月(夜)が更けていくことだ。

 ※為兼の家で行なわれた歌合で詠まれた歌であることが分かる詞書。


     ◆


  前大納言為兼安芸国(あきのくに)に侍りけるところへ尋ねまかりて、題を探りて歌よみけるに、海山といふことを

〇九三五 海山の思ひ遣られし遥けさも越ゆれば易きものにぞありける(道全法師(だうぜんほふし)


訳】(さきの)大納言為兼(が)安芸国におりましたところへ尋ね下向して(即席の歌会を開き)、自分が詠む歌の)題を(クジで)探り出して歌(を)詠みました中に、「海山」と言ったことを詠みました(歌)

〇九三五 海や山の遥かに思われた遠さも(いざ)越えてみるとあっさりとしたものであったことだ。

 ※為兼の下向先の家で行なわれた歌合で詠まれた歌であることが分かる詞書。


     ◆


  前大納言為兼、家にて歌よみ侍りけるに、「寄月恋」

一二九三 見るからに恋しさをのみ催して人の誘はぬ月も恨めし


訳】(さきの)大納言為兼(が)、(自分の)家で(催した歌合で)歌を詠みました時に、「月に寄せる恋」(という歌題で詠んだ歌)

一二九三 見るとすぐに恋しさばかりを引き起こして人が誘わない月(のこと)も残念で悲しく思われる。

 ※為兼の家で行なわれた歌合で詠まれた歌であることが分かる詞書。


     ◆


  次の年また亀山院隠れ給ひけるに、前大納言為兼、二(とせ)の秋のあはれは深草や嵯峨野の露ももまた消えぬなり、と申し侍りけるに

二〇三三 深草の露に重ねてしをれ添ふうき世の嵯峨の秋ぞ悲しき(従二位為子)


訳】(後深草天皇が崩御なさった)翌年にまた亀山院(が)崩御なさったので、前大納言為兼(が)、「二年にわたる秋の悲哀は深い、(後深草院を暗示する)深草(である)よ、(嵯峨野の離宮にお住いであった亀山院を暗示する)嵯峨野の露もまた消えてしまったようだ」、と申しましたので(詠んだ歌)

二〇三三 (後深草院を暗示する)深草の露に積み重なって悲しみにうちひしがれ具合が増すつらいこの世の(嵯峨野の離宮にお住いであった亀山院を暗示する)嵯峨の秋は悲しいことだ。

 ※為兼の発言を発端として詠まれた歌であることが分かる詞書。


     ◆


  雪山成道(せつせんじゃうだう)の心を詠みて、前大納言為兼の許に遣はしける

二〇九五 ふりにける雪のみ山は跡もなしたれ踏み分けて道を知るらむ(法源禅師(ほふげんぜんじ)


訳】「雪山成道(せつせんじょうどう)」という趣旨を詠んで、(さきの)大納言為兼の許に遣わした(歌)

二〇九五 (雪が)降(り積も)っていたヒマラヤ山脈には(人の通った)足跡もない。(そんなところを一体)誰が踏み分けて(仏の)道を知ることになるのだろう。

 ※為兼への贈歌であることが分かる詞書。「雪山(せつせん)」はヒマラヤ山脈の古名。「成道」は仏道を成就すること。

 京極派最後の勅撰和歌集。

 全ての和歌(と言いつつかなり当代寄り)を対象とした、京極派による京極派のための勅撰集和歌集とも言える。


 ただ五十二首の歌が現代語訳されているよりも意義があるかな、ということで、為兼の歌からは離れたところを深堀りしてみました。

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