表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
168/180

『徒然草』の中の為兼。

【作品名】『徒然草』

【成立時期】鎌倉時代末期(一三三〇年・元徳(げんとく)二年頃とする説あり。為兼七十七歳頃)

【筆者】兼好法師(けんこうほうし)吉田兼好(よしだけんこう)とも)

【ジャンル】随筆(日本三大随筆の一)

【内容】長短不ぞろいの二四四編からなるエッセー集。『枕草子』を日記文学の亜種に分類なさっている石田穣二先生の説に拠るならば「わが国最初の自覚的随筆集」と言えるのかも知れない。

【第一五三段】

 為兼(ためかね)大納言入道召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ()て行きければ、資朝(すけとも)卿、一条わたりにてこれを見て、「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。


  *


 (一三一五年に、六十二歳の)京極為兼大納言入道(一二五四~一三三二)が(鎌倉幕府が差し向けた安東重綱(あんどうしげつな)率いる数百人の軍勢に)捕らえられて、武士どもが取り囲んで、六波羅にある役所(いわゆる六波羅探題)へと連行していったところ、(一三二四年の正中の変で佐渡に配流されることになる)日野資朝卿(一二九〇~一三三二)は、一条のあたりでこれを見て、「ああうらやましい。この世に生きているという思い出には、このようでこそありたいものだなあ」と言われたということであった。

 和歌の絡まない、政治家・京極為兼に関する記述はこれだけかも。


 ※結果、為兼は二度目の配流(今回は手始めに土佐。その後、和泉・河内に移され河内で没した)となった。今回は伏見天皇(第九十二代)の身代わり説、後伏見天皇(第九十三代)の陰謀説アリ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ