『とはずがたり』の中の為兼。
【作品名】『とはずがたり』
【成立時期】鎌倉時代後期(一三〇六年・嘉元四年以後まもなく。為兼五十一歳以後)
【筆者】後深草院二条(大納言久我雅忠女)
【ジャンル】日記文学
【内容】当時の宮廷における男女関係の乱れがありありと分かる作品。
講師座を下りて、楽人楽を奏す。その後、御布施を引かる。頭中将公敦・左中将為兼・少将康仲など、闕腋に平胡籙負へり。縫腋に革緒の太刀、多くは細太刀なりしに、衆僧どもまかり出づるほどに、廻忽・長慶子を奏して、楽人・舞人まかり出づ。
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(弘安八年〔一二八五年〕春、著者である後深草院二条の大伯母・北山の准后の九十の御賀での舞楽にて)
(法会で仏典などを講説する高僧である)講師が座を下りて、楽人は楽を演奏する。その後、(衆僧に)御布施を配った。頭中将公敦・左中将為兼・少将康仲など(は)、(武官が正装として着用した)闕腋の袍に(儀式用の幅の広い)平胡籙を負って(矢を扇子形に盛って)いる。(その他の人々は文官が正装として着用した)縫腋の袍に革緒の太刀、多くは細太刀であったのに、衆僧たちが退出する時に、(舞を伴わない雅楽の)廻忽・長慶子を演奏して、楽人・舞人は退出する。
後深草院二条にとって「私を通りすぎた男たち」の頭数に入らない為兼は、チョイ役中のチョイ役、モブ中のモブ。




