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『春のみやまぢ』の中の為兼。

【作品名】『春のみやまぢ』(『春の深山路』とも)

【成立時期】鎌倉時代(一二八〇年・弘安三年成立。為兼二十七歳)

【筆者】飛鳥井雅有(あすかいまさあり)

【ジャンル】かな日記

【内容】弘安元年(一二七八年)、一年分の日記。蹴鞠と和歌は話題の中心。

【弘安三年七月六日】

 六日、内に参りたれば、明日明後日は御物忌なり、今宵より籠るべき由仰せらるれど、故障申しぬ。又坊に参りたれば、千首の御歌、初め一日の分、為氏卿点合ひて参らす。御製に三首、予一首、定成一首也。句抄(くせう)と申す物をしかけたる由申し出でたれば、「参らせよ。御覧ぜられむ」と仰せあり。為兼朝臣、参りたる由申す。「背面(そとも)」と申すことを知りたる由、人に会ひて申し侍りけり。御尋ね有りて、御覧ぜられ候ふべし。北と定めて申し侍らむが、「それはいかなる故ぞ、又いづれの(ふみ)に見えたるぞ」と重ねて御尋ねあるべき由を申し行ふ。我ながら腹汚き心地ぞする。かの朝臣罷り出でて後、「背面」は案の如くに北と申す。重ねてその故を御尋ねあれば、知らざる由を申す。又万葉のとき、時代御尋ねあれば、文武(もんむ)の由を故入道は申し候ひしかども、いささか不審なる由を申す。いかさまにても、稽古はすると覚え候ふ由を申して出でぬ。


 *


 六日、内裏に参上したところ、明日・明後日は御物忌である、今夜(のうち)から泊まり込むのが適当であるとの言葉あったが、差し障りがあると申し上げた。また、東宮御所に参上すると、千首の御歌(のうち)、初めの一日分(を)、為氏(が)良い歌にする印をつけて進上する。(印がついたのは)東宮の御歌に三首、私一首、定成一首である。句抄(くしょう)と申し上げるものを作りかけていると申し出たところ、「差し出しなさい。(私が)御覧になろう」との仰せがある。(藤原)為兼朝臣が参上したと申し上げる。「(『日本書紀』に用例がある、南を意味する『影面(かげとも)』の対義語の)『背面(そとも)』と申す言葉を知っていると、人に会って申しておりました。ご質問なさってご覧になるのがよいでしょう。間違いなく『北』と申しましょうが、『それはどのような理由でか、また、どの書物に見えているのか』と重ねてご質問なさるのがよいでしょう」と申しあげて(そのように)行なう。(為兼以外には正しい答えを説明したことがあったので)我ながら腹黒い感じがする。かの(為兼)朝臣(が)退出した後、「背面」は思った通り「北」と申し上げた。重ねてその理由をお尋ねになると、知らないということを申し上げた。また、『万葉集』を選んだ時、時期をお尋ねになると、「文武(天皇のとき)ということを(祖父である)故(為家)入道は申しましたけれども、幾分疑問がある」ということを申し上げる。「なるほど、勉強はしていると思われます」と申し上げて退出した。




【弘安三年八月十五日】

 十五夜月蝕(ぐゎっそく)なり。「御会あるべし。月出でぬ前に参るべし」とあれば、みな参り会ひて、御手水の間にして、(つぎ)百首の御(さぐ)(だい)あり。歌の初め・終りに、いろはの文字を置かる。(かぶり)は、らりるれろ、(くつ)は、いうあ、これらの文字殊に大事なり。人数、十人。御所五首、相保(すけやす)卿九、経資(つねすけ)卿十一、予十一、範藤(のりふじ)朝臣十一、為兼朝臣十二、長相(ながすけ)四、具顕(ともあき)朝臣十三、顕家(あきいへ)四、定成十一、女房大蔵卿八首。披講の時、院渡らせおはしまして、聞し召さる。披講果てて、賭物(かけもの)(わか)ち取りて、後夜(ごや)の鐘の後、みな罷り出づ。


 *


 十五夜、月蝕である。「御歌会があろう。月が出てしまう前に参上しなさい」と(連絡が)あったので、みな参会して、御手水の間で、(全員で合わせて百首を詠むという)(つぎ)百首歌の(くじ引きで歌題を決めて歌を詠むという)探題和歌(という形式で歌会)が行なわれる。歌の初めと終わりに、いろはの文字を置かれる。冠(=歌の最初の一文字)は「らりるれろ」、沓(=歌の最後の一文字)は「いうあ」、これらの文字は特に大切である。人数は十人(プラス為兼)。東宮は五首、相保(すけやす)卿は九首、経資(つねすけ)卿は十一首、私は十一首、範藤(のりふじ)朝臣は十一首、為兼朝臣は十二首、長相(ながすけ)は四首、具顕(ともあき)朝臣は十三首、顕家(あきいへ)は四首、定成は十一首、女房大蔵卿は八首(であった)。(講師が和歌を詠みあげる)披講の時に、後深草院がお見えになって、お聞きになる。披講が終わって、賞品を分配して、後夜の鐘の後、みな退出した。

 為兼の若かりし頃の一瞬が垣間見られる作品。


 当時の歌人たちの「言葉ありきの和歌」を詠めるようになるための訓練法と、為兼もその末席にいたことが伝わってくる。

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