『玉葉和歌集』篇
【春】
〇〇三三 なほ冴ゆる嵐は雪を吹き混ぜて夕暮れ寒き春雨の空(永福門院)
〔いよいよ冷え込む強い風は雪を吹きまぜている、夕暮れの寒い春雨の空であるよ。〕
〇〇六一 朝明けの窓吹く風は寒けれど春にはあれや梅の香ぞする(北畠親子)
〔朝明けの窓に吹く風は寒いけれども(さすがに)春ではあるからか、梅の香がすることだ。〕
〇〇八三 梅の花くれなゐにほふ夕暮れに柳なびきて春雨ぞふる(京極為兼)
〔梅の花が紅色に美しく咲いている夕暮れに(緑の)柳が(風に)なびいて春雨が降る。〕
〇〇九七 山の端も消えていくへの夕霞かすめる果ては雨になりぬる(伏見院御製)
〔山の稜線も消えていくほど幾重にも重なる夕霞によって霞んでいる果ては雨になってしまったことだ。〕
【夏】
〇三四五 あやめふく茅が軒端に風過ぎてしどろに落つる村雨の露(後鳥羽院御製)
〔(節句の)あやめが葺かれている茅葺きの(貧しい家の)軒端に風が吹き過ぎて(その風で急に)乱れ落ちてくる村雨の雫よ。〕
〇三五四 五月雨は晴れぬと見ゆる雲間より山の色こき夕暮の空(宗尊親王)
〔五月雨は晴れたと見える、雲間から(覗く濡れた)山の色が濃い夕暮れの空よ。〕
〇四〇七 行きなやむ牛の歩みに立つ塵の風さへ暑き夏の小車(藤原定家)
〔(あまりの暑さに)行き悩んでいる(のろのろとした)牛の歩みによって立つ塵を舞い上げる風さえも暑い夏の牛車よ。〕
〇四一九 枝に洩る朝日の影の少なさに涼しさ深き竹の奥かな(京極為兼)
〔(竹林の)枝の間から洩れて射し込む朝の日の光が少ないので、涼しさが(よりいっそう)深く感じられる竹林の奥(の方)であるなあ。〕
【秋】
〇五四二 吹きしをる四方の草木の裏葉みえて風にしらめる秋の曙(永福門院内侍)
〔(野分に)吹きたわまされている四方の草木の葉の裏側が見えて、強風の中で白々と明るくなっていく秋の曙(であるよ)。〕
〇六二八 宵の間のむら雲づたひ影見えて山の端めぐる秋の稲妻(伏見院御製)
〔(月の出を待つ)宵の間の群雲をふちどるように(雷の)光が(一瞬)見えて(それは同時に)山の稜線をもめぐっている、秋の稲妻(であることよ)。〕
〇六二九 わたつうみの豊旗雲に入り日射し今宵の月夜澄み明くこそ(天智天皇御製)
〔大海に(たなびく美しい)旗雲に入り日が射して、今宵の月はどんなに清らかで明るくあるのか。〕
〇六五六 浦とほき白洲の末のひとつ松またかげもなく澄める月かな(藤原為家)
〔(月夜の)入江から遠く突き出た白砂の砂嘴の先端の一本松。他には(何の)影もなく澄みわたっている月(の光)であるよ。〕
【冬】
〇九八〇 山嵐の杉の葉はらふ曙にむらむらなびく雪の白雲(伏見院御製)
〔山嵐が杉の葉(に積もった雪)を吹き払う曙に、まだらにかたまってなびく雪の(降りそうな気配を含んだ)白雲であるよ。〕
〇九九六 雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪やつめたき(明恵上人)
〔雲を出て、私について来る冬の月(よ)、風が身にしみないか、雪が冷たくないか。〕
一〇〇六 浮雲のひとむら過ぐる山おろしに雪吹きまぜて霰降るなり(二条為世)
〔浮き雲がひとかたまりよぎる、(その雲を運ぶ)山おろし(の風)に、雪を吹きまぜて霰が降る(音が聞こえる)のである。〕
一〇一〇 閨の上は積もれる雪に音もせで横ぎるあられ窓たたくなり(京極為兼)
〔寝室(の屋根)の上は積もっている雪(のため)に音もしないけれども、横なぐりのあられは窓を(激しく)たたくことだ。〕
【賀】
一〇九二 曇りなき月日の光幾めぐり同じ雲居に住まむとすらむ(京極為子)
〔曇り(の)ない月(や)日の光(が、この先)幾巡り同じ空に澄もうとするのだろうか(それと同じように帝も女御も月日が幾巡りするまで宮中に住もうとするのだろうか)。〕
【旅】
一一七五 旅人のともし捨てたる松の火のけぶりさびしき野路の曙(宗尊親王)
〔旅人が燃やし切って放り捨てた松明の(残った)煙が寂しい(旅の)野道の曙であるよ。〕
一二〇二 雨のあしも横さまになる夕風に蓑吹かせゆく野辺の旅人(京極為子)
〔雨脚も横向きになる(ほど激しい)夕方の風に蓑(を)吹かせ(ながら歩いて)行く野辺の旅人(であるよ)。〕
【恋】
一二四七 思へどもはかなきものは吹く風の音にも聞かぬ恋にぞありける(紀友則)
〔(いくら恋しく)思ってもむなしいものは、吹く風の音(の便り)にも(相手のことを)聞かない(自分の心の中だけの)恋であるよ。〕
一二九四 恨み慕ふ人いかなれやそれはなほ逢ひみて後の憂へなるらん(京極為兼)
〔恨み(ながらも)慕う(という)人(は)どのような気持ちなのだろうか、それは(何と言っても)やはり(一度は)逢って(男女の)契りを交わした後の悲しみなのだろうよ(逢うことさえもない私の恋のつらさに比べれば比べものになるまい)。〕
一三八二 音せぬが嬉しき折もありけるよ頼み定めて後の夕暮れ(永福門院)
〔便りのないことがうれしい時ものあるものだよ、(あの方を)頼みと決めた後の夕暮れには。〕
一四六七 つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに(和泉式部)
〔なすこともなく(自然に)空(ばかり)を見上げてしまう。思う人が空から降って来てくるわけでもないのに。〕
【雑】
二〇九五 波の上に映る夕日の影はあれど遠つ小島は色暮れにけり(京極為兼)
〔波の上に映る夕日の光は(まだ)残っているけれども(沖合にある)遠い小島は(その)色(が)暮れて(夕闇に沈んで)しまったことだ。〕
二一五九 月をこそながめ馴れしか星の夜の深きあはれを今宵知りぬる(建礼門院右京大夫)
〔月をこそ眺め馴れていたけれども、(月のない)星の夜の深い情趣を今夜知ってしまったことだ。〕
二一六九 雨の音の聞ゆる窓は小夜更けて濡れぬに湿る灯の影(伏見院御製)
〔雨の音が聞こえてくる窓辺は夜が更けて、濡れているわけではないが(暗く)湿っている灯火の光であるよ。〕
【釈教】
二六二七 山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ(行基)
〔山鳥がほろほろと鳴く声(を)聞くと父(の声)だろうかと思い、母(の声)だろうかと思うことだよ。〕
二七二二 空しきを極め終はりてその上に世を常なりとまた見つるかな(京極為兼)
〔「むなしい」ということを究極まで追求し終えて、その上で「世は常である」と改めて認識したことだよ。〕
【神祇】
二七四六 我が国は天照る神のままなれば日の本としも言ふにぞありける(九条良経)
〔我が国は天照る(日の)神(天照大神)の(思し召しの)ままであるので、(国名が)「日の本」とこそ言うのであったなあ。〕
二八〇〇 立ち返る世と思はばや神風や御裳濯川の末の白波(慈鎮)
〔(行く末のことは分からないが、せめて神代の昔に)立ち返る世と思いたいことだ。神風(の吹く伊勢神宮の内宮を流れる)御裳濯川の下流の(変わりなく立つ)白波(を見ていると)。〕




