神祇歌
『玉葉和歌集』七四首、『風雅和歌集』五三首より。
〈玉葉和歌集〉
神祇歌の中に
二七四六 我が国は天照る神のままなれば日の本としも言ふにぞありける(九条良経)
訳】神祇歌の中に(あった歌)
二七四六 我が国は天照る(日の)神(天照大神)の(思し召しの)ままであるので、(国名が)「日の本」とこそ言うのであったなあ。
※国名についての神祇歌。
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伊勢遷宮の年詠み侍りける歌
二七四七 神風や朝日の宮の宮遷し影のどかなる世にこそありけれ(源実朝)
訳】伊勢神宮の遷宮の年に詠みました歌
二七四七 神風(の吹く伊勢)だなあ。(伊勢の)朝日の宮の遷宮(が行なわれる年ということで、の日の)光(が)のどかである世の中でこそあることだなあ。
※伊勢神宮についての神祇歌。「神風や」は伊勢の枕詞。
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春日社に詣でて詠み侍りし
二七五八 頼むべき神と現はれ身となれりおぼろけならぬ契りなるべし(京極為兼)
訳】春日大社に参詣して詠みました(歌)
二七五八 (藤原氏の祖神として)頼りにすべき(春日大明)神と(なってこの世に)現れ、(藤原氏の末葉である我が)身と(一つに)なっている。並々ではない(深い)因縁であることよ。
※為兼が自ら撰び入れた唯一の神祇歌。
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(神祇の心を)
二七九二 皆人の祈る心も理に背かぬ道を神や請くらむ(冷泉為守)
訳】(神祇の心を(詠んだ歌))
二七九二 全ての人が祈る心(であって)も、道理に反しない人としての正しいあり方(の心のみ)を神は聞き入れるのであろうか。
※道理に反した願いは神であっても聞き入れまいという考え方が読み取れる神祇歌。作者は藤原為家の子。
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題しらず
二八〇〇 立ち返る世と思はばや神風や御裳濯川の末の白波(慈鎮)
訳】題しらず
二八〇〇 (行く末のことは分からないが、せめて神代の昔に)立ち返る世と思いたいことだ。神風(の吹く伊勢神宮の内宮を流れる)御裳濯川の下流の(変わりなく立つ)白波(を見ていると)。
※『玉葉和歌集』の巻末歌。「神風や」は伊勢の枕詞。「御裳濯川」は伊勢を流れる「五十鈴川」の異称。伊勢神宮の内宮を流れる。作者は藤原道長の昆孫(藤原道長-頼通-師実-師通-忠実-忠通-慈鎮。慈円とも。『愚管抄』の作者、『百人一首』(九五)でも知られる。
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〈風雅和歌集〉
二一〇九 もとよりも塵に交はる神なれば 月の障りも何か苦しき
是は、和泉式部熊野へ詣でたりけるに、障りにて奉幣かなはざりけるに「晴れやらぬ身の浮き雲のたなびきて月の障りとなるぞかなしき」と詠みて寝たりける夜の夢に、告げさせ給ひけるとなむ。
訳】二一〇九 もとより(俗世の)塵に交わる(ことを厭わない)神であるので、(一般には穢れとされる)生理中であっても何を気にすることがあろうか(、いやない)。
これは、和泉式部(が)熊野に詣でた時に、生理になったせいで参詣できずに「晴れやらない身である浮雲がたなびいて月を隠す差し障りに(なるように、穢れとされる生理に)なってしまって悲しい」と詠んで寝てしまった夜の夢で(熊野権現が)お告げになったとされる(歌)。
※「歌の功徳によって神仏からご利益を受ける」という歌徳説話の一種である神祇歌。かつては女性の生理は不浄なものとされ、生理中の女性は神域への立ち入りを禁じられた。これに対して熊野信仰を全国に広めた時宗(開祖は一遍上人)は、熊野の神を「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず」という存在として喧伝していった。
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河を
二一一二 淀みしもまた立ち返る五十鈴川流れの末は神のまにまに(光厳院御製)
訳】河を(詠んだ歌)
二一一二 淀んでいたけれども、また(元に)戻ってきたことだ。(伊勢神宮の内宮神域内を流れる、尽きることのない神聖な清流とされる)五十鈴川(の)流れの(行く)末は神にお任せすることよ。
※正統である持明院統(いわゆる北朝)が、戦乱によって大覚寺統に帝位を奪われるなど皇統が乱れ淀んでいたものの、また元に戻ったことを川の流れになぞらえて詠んだ神祇歌。最終的には正しい流れに戻ることを踏まえて、皇統の将来を神の意志にお任せしても心配あるまい、将来も持明院統が正しく継がれていくに違いないという心情が透けて見える。
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雑歌の中に
二一二六 仰ぎても頼みぞななる古の風を残せる住吉の松(京極為兼)
訳】雑歌の中に(あった歌)
二一二六 (神の威徳を)仰いで(久しく)頼みにして参りました。昔からの(変わらず和歌の道を守るという住吉の習わしの)風を残している住吉(神社)の松を。
※京極派和歌の立場の庇護を住吉の神に期待する心を詠んだ神祇歌。
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建武のころ、御雑歌の中に
二一三三 沈みぬる身は木隠れの石清水さても流れの世にし絶えずは(後伏見院御製)
訳】(大覚寺統の政治である建武の新政が行なわれ、持明院統が不遇であった)建武(年間)のころ、雑の御歌の中に(あった歌)
二一三三 (今)落ちぶれた(我が)身は木に隠れ(埋もれている)石清水(のようだが、)それでも(持明院統の皇統という)流れが世に絶えない限りは(、山城の石清水八幡宮の神のご加護によって良い世の中、持明院統の時代がきっと来るであろうよ)。
※湧き水である石清水のことを詠んでいるようで、実際には石清水八幡宮の神の庇護を頼む気持ちを詠んだ神祇歌。
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日吉社に奉りける百首歌の中に、桜を
二一五二 山桜塵に光をやはらげて此の世に咲ける花にやあらむ(藤原俊成)
訳】日吉大社に奉った百首歌の中に(あった)、桜を(詠んだ歌)
二一五二 山桜(というものは、煩悩の)塵に(交わることで智恵の)光をやわらげるように、(光をやわらげるために)この世に咲いた花なのだろう。
※「和光同塵」(如来や菩薩が、衆生済度のために、自ら発せられる知恵の光をやわらげ、世の俗塵に紛れること)の思想と桜とを採り合わせて詠んだ神祇歌。




