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釈教歌

『玉葉和歌集』一一〇首、『風雅和歌集』六三首より。

〈玉葉和歌集〉


二六一七 伊勢の海の清き渚はさもあらばあれ我は濁れる水に宿らむ

  これは善光寺阿弥陀如来御歌となむ


二六一七 伊勢の海の清らかな渚(に宿る月)はそれはそれでよいだろうが、私は(むしろ)濁った水に宿ろう(濁った俗世に塗れて衆生を救おう)。

  これは善光寺阿弥陀如来の御歌ということである。

 ※善光寺・阿弥陀如来のお告げによる歌という体裁の一首。


     ◆


  山鳥の鳴くを聞きて

二六二七 山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ(行基)


訳】山鳥が鳴くのを聞きて(詠んだ歌)

二六二七 山鳥がほろほろと鳴く声(を)聞くと父(の声)だろうかと思い、母(の声)だろうかと思うことだよ。

 ※釈教歌(=仏教関係の和歌)として鑑賞するには意図が不明確な一首。父母への思慕が出家の妨げになることを詠んだか。作者は奈良時代の高僧で、高志才智(こしのさいち)の子。その他未詳。


     ◆


  (釈教歌の中に)

二六三五 柴の戸に明け暮れかかる白雲をいつ紫の色に見なさむ(法然)


訳】(仏教関連の和歌の中に(あった歌))

二六三五 (粗末な庵の)柴の戸に朝夕かかっている白雲を、いつ(臨終の際に阿弥陀如来が極楽浄土へ導くために乗ってお見えになるという)紫(雲)の色に見なすことができるだろうか(、早くその日が来てほしいものだ)。

 ※作者は稲飯命(いないのみこと)の裔(漆間時国の子)で、浄土宗の開祖。


     ◆


  (釈教の心を)

二六八八 かりそめに心の宿となれる身をあるもの顔に何思ふらむ(永福門院)


訳】(釈教の心を(詠んだ歌))

二六八八 ほんの仮に、心の宿るところとなった(に過ぎない我が)身を(いかにも永遠に)あるもの(であるかのような)顔でどうして思い悩むのだろうか(もともと人の身は無常なのに)。

 ※身体の無常を詠んだ一首。


     ◆


  般若心経の畢竟空の心を

二七二二 (むな)しきを極め終はりてその上に世を常なりとまた見つるかな(京極為兼)


訳】『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の「畢竟空(ひっきょうくう)」の心を(詠んだ歌)

二七二二 「むなしい」ということを究極まで追求し終えて、その上で「世は常である」と改めて認識したことだよ。

 ※為兼が自ら撰び入れた唯一の釈教歌。


     ◆


〈風雅和歌集〉


二〇四〇 待ちかねて嘆くと告げよ皆人にいつをいつとて急がざるらむ

  この歌は善光寺如来の御歌となむ


二〇四〇 (お前たちが私の許へ来てくれるのを)待ちかねて嘆いていると告げてくれ、皆に。(皆はそれぞれの死の訪れを)いつと思って急がずに(のどかに過ごして)いるのだろうかと。

  この歌は善光寺の阿弥陀如来の御歌ということである。

 ※善光寺・阿弥陀如来のお告げによる歌という体裁の一首。


     ◆


  題しらず

二〇七五 夜もすがら心の行くへ尋ぬれば昨日の空に飛ぶ鳥の跡(高峰顕日(こうほうけんにち)


訳】題しらず

二〇七五 夜通し心の行方を探し求めていると、(まるで)昨日の空に飛び去った鳥の跡(を追うかのようで、虚しいことだ)。

 ※心の行方を探す難しさを詠んだ一首。作者は後嵯峨院の皇子とされる。諡号は仏国禅師。


     ◆


  (題知らず)

二〇七六 出づるとも入るとも月を思はねば心にかかる山の端もなし(夢窓疎石)


訳】(題知らず)

二〇七六 (山の端から月が)出る(なあ)とも入る(なあ)とも月(のこと)を(何とも)思わないから、(月を隠す邪魔な存在として)心にひっかかる山の端(という存在)も(気になら)ないのだ。

 ※月への執着がないことを詠んだ一首。作者は宇多天皇の裔(宇多天皇-敦実親王-源雅信-扶義-成頼-佐々木義経-経方-為俊-秀義-定綱-信綱-泰綱-経泰-朝綱-夢窓疎石)で、臨済宗の僧。


     ◆


  百首御歌の中に

二〇八三 世を照らす光をいかで掲げまし消なば消ぬべき(のり)のともし火(花園院御製)


訳】(貞和)百首の御歌の中に(あった歌)

二〇八三 (乱れきったこの)世を照らす光をどのようにして(より高く)掲げたら良いのだろうか。(このままでは)消えるならば消えてしまいそうな(闇夜を照らす)仏法のともし火を。

 ※世が乱れ、仏法の力が失われていく様を嘆く一首。


     ◆


  百首の御歌の中に

二一〇〇 深く染めし心のにほひ捨てかねぬ惑ひの前の色と見ながら(伏見院御製)


訳】百首の御歌の中に(あった歌)

二一〇〇 (心の奥)深く(染まるほど)執着した心の(中の)美しいもの(を)捨てかねている。(それこそが)迷いの前に立ちふさがる欲望(である)と理解しているけれども。

 ※美しいものへの執着を自覚しつつ否定しきれずにいるという、釈教歌としては珍しい一首。

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