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雑歌〈類題歌〉上

『玉葉和歌集』二三三首(雑歌二・三)、『風雅和歌集』一七三首(雑歌中)より。

〈玉葉和歌集〉


  (題しらず)

二〇六六 月夜(つくよ)よし川音澄めりいざここに行くもとまるも遊びて帰らむ(大伴四綱(おおとものよつな)


訳】(題しらず)

二〇六六 月夜が美しい、川音は(清く)澄んでいる。さあここで(都へ)旅立つ人も(筑紫に)留まる人も(存分に)遊んで帰ろう。

 ※帰京する大伴旅人の送別の宴で詠まれた一首。『万葉集』(五七一)としても知られる。作者は万葉歌人の一人で、大宰府に仕えていたことがある。


     ◆


  題しらず

二〇八四 暮るる間に(すずき)釣るらし夕塩の干潟の浦に海人の袖見ゆ(藤原為家)


訳】題しらず

二〇八四 (日が)暮れる間に、鱸を釣るらしい。夕潮の(引いた)干潟の浦に、海人の袖(が)見える。

 ※珍しい歌題を詠んだ、絵画的な一首。


     ◆


  題しらず

二一二八 西になる月は梢の空に澄みて松の色濃き明け方の山(北条時春)


訳】題しらず

二一二八 西に(めぐ)っていく月は(木々の)梢の(向こうの)空に澄んでいて、(青々とした)松の色が濃く見える明け方の山(であるよ)。

 ※庭から眺める月について詠んだ一首。


     ◆


  (題しらず)

二一五八 見る人にいかにせよとか月影のまだ宵の間に高くなりゆく(凡河内躬恒)


訳】(題しらず)

二一五八 見る人に、(月に対して)どうしろというつもりで月光がまだ宵のうちに高くなっていくのだろうか。

 ※叙景歌としては異質な一首。


     ◆


  闇なる夜、星の光ことにあざやかにて、晴れたる空は花の色なるが、今宵見初めたる心地していとおもしろく覚えければ

二一五九 月をこそながめ馴れしか星の夜の深きあはれを今宵知りぬる(建礼門院右京大夫)


訳】闇夜に、星の光がことさらに鮮やかであって、晴れている空は薄い藍色であるのが、今夜初めて見た気持ちがして趣深く思ったので(詠んだ歌)

二一五九 (長いこと)月をこそ眺め馴れていたけれども、(月のない)星の夜の深い情趣を今夜知ってしまったことだ。

 ※星を詠んだ一首。花の色=花色(薄い藍色、群青色)のこと。


     ◆


  道助法親王家五十首歌に閑中の灯を

二一六七 つくづくと明けゆく窓のともし火のありやとばかり問ふ人もなし(藤原定家)


訳】道助法親王家五十首歌(の中)に(あった)「閑中の灯」(という歌題)を(詠んだ歌)

二一六七 つくづくと(物思いに沈んで夜を過ごすうちに夜が)明けていって(まだ)窓の灯火が灯っているのか(いないのか分からない。そんな灯火のように頼りなく生きている私を、無事か)とばかりに尋ねてくれる人もありはしない。

 ※灯を詠んだ一首。「明けゆく窓のともし火」が実景であると同時に、「明けゆく窓のともし火のありや」という形で序詞にもなっている。「閑中の灯」はほとんど前例がない歌題。


     ◆


  題しらず

二一八一 晴れゆくか漂ふ雲の絶え間より星見え初むる村雨の空(後鳥羽院宮内卿)


訳】題しらず

二一八一 (これから)晴れていくのだろうか。漂う雲の絶え間から星が見え始めるにわか雨の空(であるよ)。

 ※星と雨を取り合わせて詠んだ一首。


     ◆


  (山家の心を)

二二一六 山里の心静かにすみよきは()ふ人もなし待つこともなし(行円(ぎょうえん)) 


訳】(山(の中の)家の心を(詠んだ歌))

二二一六 山里が心静かに澄んでいて、住みよいのは、訪れる人もなく、待つこともない(ことだ)。

 ※山里で孤独に暮らす喜びを詠んだ一首。「すみ」は「澄み」と「住み」の掛詞。作者は生没年未詳・出自未詳。大分出身で、革聖(かわひじり)の異名を持つ。


     ◆


  老の後西園寺にて詠み侍りける

二二二五 いつと言はむ夕べの空に聞き果てむ我が住む山の松風の音(西園寺実氏(さいおんじさねうじ)


訳】老後(に)、(北山の山荘である)西園寺(のちの金閣寺)にて詠みました(歌)

二二二五 いつと言えばいいのか(分からないけれども)、(いずれ)夕暮れの空に聞き果て(て命を終え)るであろう、私の住む(この西園寺北山第のある)山の松風の音よ。

 ※作者は西園寺公経の子。孫に後深草天皇・西園寺実兼、曾孫に伏見院・永福門院がいる。


     ◆


  建保元年内裏歌合に山夕風

二二三六 鐘の()を松に吹きしく追ひ風に爪木や重き帰る山人(藤原定家)


訳】建保元年(一二一三年)の内裏での歌合で「山の夕風」(という題で詠んだ歌)

二二三六 (夕暮れの)鐘の音を(運んでくる)松に頻りに吹く追い風に追われるせいで、薪にするための小枝が重いのだろうか、(家へと)帰る山人は。

 ※あたかも実景を写し取ったスケッチであるかのような視覚鮮明な一首。


     ◆


  雑歌の中に

二二五七 里びたる犬の声にぞ知られける竹より奥の人の家居は(藤原定家)


訳】雑の歌の中に(あった歌)

二二五七 田舎じみている犬の鳴き声でこそ知ることができたなあ、竹藪よりも奥の人の住まい(の存在)は。

 ※和歌に「犬」を詠んだ珍しい一首。実景とも、中国的な桃源郷とも、『源氏物語』(浮舟巻)の匂宮を追い払おうとする薫の飼い犬とも詠める。


     ◆


  折句の歌詠み侍りけるに、日吉(ひえ)(みや)

二二九〇 人ごとに得て嬉しきは(のり)の花三世(みよ)の仏の宿のものとて(慈鎮)


訳】折句の歌(を)詠みましたのに、(お題の)「日吉(ひえ)(みや)」(を詠み込んだ歌)

二二九〇 人それぞれに手に入れて嬉しいのは、法華経(であるよ)。(過去現在未来という)三世の諸仏の(根本の)拠り所の経典であるから。

 ※京極派の対極にあると言っても過言ではない「折句」から入集したまさかの一首。言葉と内容のバランスが為兼の御眼鏡に適ったためと思われる。「折句」は「各句の一文字目に物の名前などのお題の文字を一字ずつ置いて詠む」という言葉遊びの一種。


     ◆


  もみぢ葉を、といふ五文字を句の(かしら)に置きて詠める

二二九一 守山(もるやま)の峰の紅葉も散りにけりはかなき色の惜しくもあるかな(紀貫之)


訳】「もみぢ葉を」という五文字を句の一文字目に置いて詠んだ(歌)

二二九一 (近江の国の)守山(もるやま)の峰の紅葉も散ってしまったのだった。はかない色が惜しくもあることだなあ。

 ※京極派の対極にあると言っても過言ではない「折句」から入集したまさかの一首。言葉と内容のバランスが為兼の御眼鏡に適ったためと思われる。「折句」は「各句の一文字目に物の名前などのお題の文字を一字ずつ置いて詠む」という言葉遊びの一種。


     ◆


  物名を隠し題に詠み侍りけるに、月、鈴虫、紅葉

二二九二 峰続き山辺離れず住む鹿も道たどるなり秋の夕霧(藤原俊成)


訳】物の名前を隠し題として詠みました時に、「月」「鈴虫」「紅葉」(を詠み込んだ歌)

二二九二 峰続き(になっている)山の辺りを離れず、(そこに)住む鹿も、道を(逸らすことなく)たどるようだ。(この)秋の夕霧(の中であっても)。

 ※京極派の対極にあると言っても過言ではない「隠し題」から入集したまさかの一首。言葉と内容のバランスが為兼の御眼鏡に適ったためと思われる。


     ◆


  後徳大寺左大臣家に百首歌詠ませ侍りけるに、男女(をとこをむな)を隠し題にて詠み侍りける

二二九三 入相の鐘の音こそ悲しけれ今日をむなしく暮れぬと思へば(藤原隆信)


訳】後徳大寺左大臣(と呼ばれた藤原実定の)家で百首歌(を)お詠みになりました時に、「男女」を隠し題として詠みました(歌)

二二九三 入相の鐘の音こそ悲しいなあ、今日(という日)をむなしく暮れて(終わって)しまうと思うので。

 ※京極派の対極にあると言っても過言ではない「隠し題」から入集したまさかの一首。言葉と内容のバランスが為兼の御眼鏡に適ったためと思われる。


     ◆


〈風雅和歌集〉


  百首歌の中に

一六四八 見渡せば雲間の日影うつろひてむらむら変はる山の色かな(宗尊親王)


訳】百首歌の中に(あった歌)

一六四八 見渡してみると雲間から射し込む日の光が映って、(明るいところと暗いところと)まだらに変わる山の色であるなあ。

 ※景色を観察して時間の経過を詠み込んだ一首。


     ◆


  眺望の心を

一七一一 わたのはら波と空とはひとつにて入り日を受くる山の端もなし(藤原定家)


訳】「眺望の心」(という歌題)を(詠んだ歌)

一七一一 (見渡す限りの)大海原の波と空とは(夕焼けの色で)ひとつに混じり合っていて、沈もうとする夕日を受け止める山の稜線も(見え)ない。

 ※海と空の広大さを詠もうとした一首。


     ◆


  宝治百首歌に、江芦を

一七一七 難波江に夕塩遠く満ちぬらし見らく少なき芦の(むら)立ち(洞院実雄(とういんさねお)


訳】宝治百首歌に(あった)、入り江の葦を(歌題として詠んだ歌)

一七一七 難波江に夕潮(が)遠く(まで)満ちたようだ、見ることの少ない葦の群れになって生えている様子(であるよ)。

 ※難波江の葦を叙景歌として詠んだ一首。作者は西園寺公経の子で洞院家の祖。


     ◆


  樵夫(せうふ)

一七八二 見渡せば妻木の道の松陰に柴よせかけて休む山人(やまびと)(宗尊親王)


訳】木こりを(歌題として詠んだ歌)

一七八二 見渡してみると妻木の道(端)の松(の木の)陰に(集めた)柴(と呼ばれる雑木の枝を)寄せかけて休む山村に住む木こり(の姿が見えることだ)。

 ※木こりを歌題として詠んだ一首。「山人」=山村に住む炭焼きや木こりなど。


     ◆


  高野の奥の院へ参る道に玉川といふ川の水上に毒虫の多かりければ、この流れを飲むまじき由を示し置き、のち詠み侍りける

一七八八 忘れても汲みやしつらん旅人の高野の奥の玉川の水(弘法大師空海)


訳】高野山の奥の院へ参詣する道に(ある)玉川という川の水上に毒虫が多かったので、この水を飲まないように指示し、(その)のちに詠みました(歌)

一七八八 (毒の水だということを)忘れて汲みやしないだろうか、旅人が高野山の奥(の院)を流れる玉川の水を。

 ※空海のやさしさがあふれる一首。

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