恋歌下
『玉葉和歌集』五七七首、『風雅和歌集』四五〇首より。
〈玉葉和歌集〉
恋歌とて
一二五七 契りありて逢ひ見むことも知らぬ世にはかなく人を思ひ初めぬる(広義門院)
訳】恋の歌ということで(詠んだ歌)
一二五七 (前世からの)約束があって(あの人と男女の)契りを結ぶこと(ができる、という状態かどうか)も分からない二人の仲なのに、浅はかにも(あの)人を思い始めてしまった(ことだよ)。
※心のつぶやき、心の動きをそのまま歌とした一首。京極派恋歌の特徴を持った初期の歌と言える。作者は西園寺公衡女。後伏見院の女御で、光厳院・光明院の母。
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(忍恋の心を)
一二八一 さらにまた包みまさると聞くからに憂さ恋しさも言はずなるころ(京極為兼)
訳】(忍ぶ恋の心を(詠んだ歌))
一二八一 (あの人は)いっそう(私との仲を)包み隠していると聞くにつけても、つらさも恋しさも(口に出して)言えなくなってしまう、この頃であるよ。
※相手の立場を思いやって苦しむ恋情を詠んだ一首。
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不逢恋といふことを
一二九四 恨み慕ふ人いかなれやそれはなほ逢ひみて後の憂へなるらん(京極為兼)
訳】「逢わざる恋」ということを(詠んだ歌)
一二九四 恨み(ながらも)慕う(という)人(は)どのような気持ちなのだろうか、それは(何と言っても)やはり(一度は)逢って(男女の)契りを交わした後の悲しみなのだろうよ(逢うことさえもない私の恋のつらさに比べれば比べものになるまい)。
※「逢わざる恋」という題意を踏まえ、「逢った後の恋」である恋人に関する悩みは贅沢な悩みであると一蹴する一首。「恨み慕ふ」はこの歌のみの独自表現。
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五十首歌の中に忍待恋
一三六七 人も慎み我も重ねて問ひ難み頼めし夜半はただ更けぞ行く(京極為兼)
訳】五十首歌の中に(あった)忍びて待つ恋(という歌題で詠んだ歌)
一三六七 (恋しいあの)人も(世に)気兼ねし(て私との恋をひた隠しにしているので)、私も(不審に思われないように)重ねて(あの人の消息を)尋ねるといことがしにくいので、(あの人が私に訪れを)期待させた夜はただ(むなしく)更けていく。
※緊張感に満ちた、ユニークな「忍待恋」を詠んだ一首。
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待恋の心を
一三七九 契りしを忘れぬ心底にあれや頼まぬからに今日の久しき(伏見院御製)
訳】待つ恋の心を(詠んだ歌)
一三七九 約束したのを忘れない心(が私の心の奥)底にあるからだろうか、(あの人の訪れなど)頼みにしない(と思う)と同時に(やはり約束したのを忘れられない心が芽生えてきて)今日という日が長く感じられることだ。
※恋の心理を分析した、京極派の恋歌の代表的な一首。
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待つ恋の心を
一三八二 音せぬが嬉しき折もありけるよ頼み定めて後の夕暮れ(永福門院)
訳】待つ恋の心を(詠んだ歌)
一三八二 便りのないことがうれしい時ものあるものだよ、(あの方を)頼みと決めた後の夕暮れには。
※愛の満足を逆説的に表現した、極めて珍しい一首。
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(月前待心)
一四〇五 訪はむしも今は憂しやの明け方も待たれずはなき月の夜すがら(京極為兼)
訳】(月の前に待つ心(を詠んだ歌))
一四〇五 (遅くなってしまって)訪れようということも今となっては(もう)憂鬱だ(とあなたが思っているであろう)明け方でも、(私としてはやはり心待ちに)待たれないわけではない月の一夜(であるよ)。
※京極派らしい心理的な一首。
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恋歌とて
一四〇六 月ぞ憂きかたぶく影をながめずは待つ夜の更くる空も知られじ(冷泉為相女)
訳】恋歌ということで(詠んだ歌)
一四〇六 月こそが恨めしい、(西に)傾いていく(月の)光を眺めなかったら、(恋しいあの人を)待つ夜が更けていく空(の寂しさ)も分かるまいに。
※待つ恋のつらさを強調した一首。
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(恋歌の中に)
一五〇二 時の間も我に心のいかがなるとただ常にこそ問はまほしけれ(京極為兼)
訳】(恋歌の中に(あった歌))
一五〇二 (ほんの少しの)時間の間でも、私に(対するあなたの)心はどうなっているのかと、ただ(もう)いつもいつも問いたいものだ。
※現代にも通じそうな心理を詠んだ一首。景物を用いない、純粋な恋の心の動きを描写したと言える。
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寄書恋を詠ませ給うける
一五三四 玉章にただ一筆と向かへども思ふ心をとどめかねぬる(永福門院)
訳】「手紙に寄せる恋」(という歌題)をお詠みになった(時の歌)
一五三四 (あの人への)手紙にただ一言(だけ)と(思って紙に)向かったけれども、(あなたを)思う心をとどめることは難しい(ので、あふれるままに思いを書き綴ってしまったことだ)。
※恋する人への心の熱さと、それを的確に詠もうとする心の冷静さの対比が読み取れる一首。
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恋歌の中に
一五七七 恋しさはながめの末にかたちして涙に浮かぶ遠山の松(西園寺実兼)
訳】恋歌の中に(あった歌)
一五七七 恋しさは物思いにふけりながらぼんやりと見ている果てに、形をなして涙に浮かんで見える遠くの山の松(のように、あたかも私の恋しい思いが形を取ったかのような孤独な寂しい姿)であるよ。
※孤独な松に己の恋情を託した一首。
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(恋歌の中に)
一六七三 人や変はるわが心にや頼みまさるはかなきこともただ常に憂き(永福門院)
訳】(恋歌の中に(あった歌))
一六七三 人が変わったのか、(それとも)私の心に(あの人を)頼みにする思いが強くなったのか、(この頃では)ほんの些細なこともただいつもつらく思われるよ。
※物に依存しない、心情だけを詠んだ分析的な一首。京極派和歌の恋歌の特徴と言える。
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(題しらず)
一六八三 折々のこれや限りもいく思ひそのあはれをば知る人もなし(京極為兼)
訳】(題しらず)
一六八三 折々の(逢うことも)これが最後だという思いを幾度重ねたことか。その哀れさは(恋人にさえ打ち明けられぬことだから、私の他に)知る人もいない。
※京極派が詠み始めた「いく思ひ」を詠み込んだ一首。
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(三十首歌召されし時、恨恋を)
一七〇三 よしさらば恨み果てなむと思ふ際に日比おぼえぬあはれさぞ添ふ(後伏見院御製)
訳】(三十首歌を持ってこさせなさった時に、恨む恋を(歌題として詠んだ歌))
一七〇三 ままよ、それならば恨んで終わってしまおうと思うその時に、日頃は思いもしなかったしみじみとした愛しさこそが加わるのだ。
※類歌の少ない「思ふ際」を詠んだ一首。
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(絶恋の心を)
一七五一 ありし世の心ながらに恋ひかへし言はばやそれに今までの身を(京極為兼)
訳】(絶ゆる恋の心を(歌題として詠んだ歌))
一七五一 (愛し合っていた)当時の頃の心のままにこの恋を回想し、言ってみたいものだ、(その当時から)今までの(我が)身(の思いの丈)を。
※途絶えてしまった恋心を思い返して詠まれた一首。
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〈風雅和歌集〉
恋歌とて
一〇一〇 あやしくも心のうちぞ乱れゆく物思ふ身とはなさじと思ふに(永福門院)
訳】恋歌ということで(詠んだ歌)
一〇一〇 (我ながら)不思議にも心の中は(恋の始まりによってあれこれと)乱れていく。(自分自身を)恋に思い悩む身とはしまいと思うけれども。
※恋する心そのものを見据えて詠もうとした一首。京極派和歌の恋歌の特徴と言える。
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恋の御歌の中に
一一四四 あはれさらば忘れてみばやあやにくに我が慕へばぞ人は思はぬ(進子内親王)
訳】恋の御歌の中に(あった歌)
一一四四 ああそれならば(あの方のことを)忘れてみたいものだ。予想外でつらいことに、私が(あの人を)慕っても、(あの)人は(私のことを)思ってはくれない(のだから)。
※報われない恋を歎く一首。
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(恋歌とて)
一一五七 思ひとりし昨日の憂さは弱ればや今日は待つぞとまた言はれぬる(京極為兼)
訳】(恋歌ということで(詠んだ歌))
一一五七 (あの人のことはもう待つまいと)決心した昨日のつらさは(時間が経ったことで)弱ってしまったのだろうか、今日は「待っていますよ」とまた(口に出して)言ってしまった。
※女性の立場で詠まれた一首。
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恋の名残りといふことを詠ませ給ひける
一二七四 人こそあれ我さへしひて忘れなば名残なからんそれもかなしき(花園院御製)
訳】恋の名残りということを(歌題として)お詠みになった(歌)
一二七四 (あの)人は(忘れることが)あるかも知れない(がそれは仕方がない)、(しかし)私までもが無理矢理に忘れてしまうならば、(この恋の)名残りさえなくなってしまうだろう、それも(また)悲しい。
※初句と第四句の二か所で切れる、終ろうとする恋への強い悲しみと、恋の名残りを忘れまいとする心情を詠んだ一首。
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恋歌に
一三五三 我さへに心に疎きあはれさよ馴れし契りの名残りともなく(祝子内親王)
訳】恋の歌に(あった歌)
一三五三 私(の心の中で)までも(あの人の記憶が薄れてしまって、あの人の存在が)心に疎遠になる悲しさよ。馴れ親しんだ(あの人との)恋の約束の名残りということもなくなってしまって。
※忘れまいとしても恋の名残りが薄れていく悲しみを詠んだ一首。
歌を一首、入れ替えました。
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(恋歌の中に)
一七一五 弱り果つる今はの際の思ひには憂さもあはれになるにぞありける(永福門院)
訳】(恋歌の中に(あった歌))
一七一五 (恋にすっかり)弱り切ってしまった、今はもうこれで最後だという間際の思いでは、これまでのつらさも憂さもしみじみとした趣深さになるのであったなあ。
※終わろうとしている恋を振り返るように詠まれた一首。




