旅歌上
『玉葉和歌集』一四三首、『風雅和歌集』六一首より。
〈玉葉和歌集〉
題しらず
一一二四 東野の煙の立てるところ見てかへり見すれば月かたぶきぬ(柿本人麻呂)
訳】題しらず
一一二四 東方の野の(朝の食事の支度をする)煙が立ち昇っている辺りを見て、振り返ると月は(西に)傾いていた。
※雄大な朝の景色を詠んだ一首。万葉集四八の「東野炎立所見而反見為者月西渡」が「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて」と訓読されるようになったのは一七六九年から。作者は歌聖として名高く、『百人一首』(三)でも知られる。専業歌人。
◆
千五百番歌合に
一一五五 あはれとて知らぬ山路は送りきと人には告げよ有明の月(飛鳥井雅経)
訳】千五百番歌合に(提出した歌)
一一五五 (私を)あわれに思って(私が)見知らぬ山路(を一人旅する間)は送ってやったと(都の)人には告げておくれ、有明の月よ。
※月を擬人化して呼びかけた一首。
◆
上総より上るとて、黒戸の浜といふ所に泊まり侍りけるに、月いとおもしろく侍りければ
一一五六 まどろまじ今宵ならではいつか見む黒戸の浜の秋の夜の月(菅原孝標女)
訳】(今の千葉県である)上総の国から上洛しようとして、黒戸の浜という所に泊まりましたところ、月がとても素晴らしゅうございましたので(詠んだ歌)
一一五六 (ほんの少しでも)眠りたくない、今夜でなかったらいつ(また)見ることがあるだろうか、(この)黒戸の浜の(美しい)秋の夜の月(を)。
※旅の風景を一期一会の出会いとして惜しむ一首。作者は菅原道真の来孫(道真-高視-雅規-資忠-孝標-孝標女)で、『更級日記』の作者として知られる。
◆
後京極摂政家詩歌合、羇中眺望
一一六二 秋の日の薄き衣に風立ちて行く人待たぬ遠の白雲(藤原定家)
訳】(一二〇三年八月一日の)藤原良経家での詩歌合(にて)、「羇中の眺望」(という歌題で詠んだ歌)
一一六二 秋の日差しが薄い(ところに薄い旅の)衣に風(が)吹き始めて、(道を)行く(旅)人(を)待たない遠くの白雲(が流れていくよ)。
※旅の途中の景色を想像して詠んだ一首。
◆
雑歌の中に
一一七五 旅人のともし捨てたる松の火のけぶりさびしき野路の曙(宗尊親王)
訳】雑の歌の中に(あった歌)
一一七五 旅人が燃やし切って放り捨てた松明の(残った)煙が寂しい(旅の)野道の曙であるよ。
※鎌倉幕府六代将軍から退位させられて、京へと送還される途中の旅の感懐を詠んだ一首。
◆
都を住み憂かれて後、安楽寺へ参りて詠み侍りける
一一七九 住み慣れし古き都の恋しさは神も昔に思ひ知るらむ(平重衡)
訳】都を住みづらくなった後に、安楽寺へ参詣して詠みました(歌)
一一七九 住み慣れた旧都(である京都)の恋しさは(ここ安楽寺に)神(として祀られておいでの菅原道真公)も昔に(左遷を体験なさって)思い知っていらっしゃることでしょう。
※菅公も我々平家に共感してくださるだろうという思いを込めた一首。安楽寺は菅公の墓があり、祭神として祀られている。
◆
初瀬に詣でけるが、伏見里に宿りて詠める
一一八二 昔こそ何ともなしに恋しけれ伏見の里に今宵宿りて(能因法師)
訳】初瀬に詣でたが、伏見里に宿泊して詠んだ(歌)
一一八二 昔こそが何ということもなく恋しいなあ。(菅原氏発祥の地である大和国の)伏見の里に今宵宿泊してみると。
※大和の国の歌枕である「伏見」を詠んだ一首。
◆
備前守にて下りける時、虫明といふ所の古き寺の柱に書き付け侍りける
一二一七 虫明の瀬戸の曙見るをりぞ都のことも忘られにける(平忠盛)
訳】備前守として(任地に)下った時に、虫明という所の古い寺の柱に書き付けました(歌)
一二一七 (この)虫明の瀬戸の曙(という美しい風景)を見る時こそは、(悲しいと思い続けてきた)都のことも(自然と)忘れてしまうのであるよ。
※備前国の歌枕である「虫明」を詠んだ一首。
◆
題知らず
一二四〇 物思ひこしぢのうらの白浪もたちかへる習ひありとこそ聞け(初若)
訳】題しらず
一二四〇 (つらい)物思いをして(やって来たであろうこの)越路の浦の白波も立ち返る習性があると聞いております。
※為兼のために詠まれた一首。作者はあくまでも越後の遊女であって、京極派歌人というわけではない。
◆
題知らず
一二四六 過ぎ行けど人の声する宿もなし入江の波に月のみぞ澄む(藤原定家)
訳】題知らず
一二四六 (道を)通り過ぎていくけれども人の声がする家もない。入り江の波には月だけが澄み渡っている。
※夜の旅を詠んだ一首。
◆
〈風雅和歌集〉
人の馬の餞に
〇八九九 遠く行く君を送ると思ひやる心も友に旅寝をやせむ(紀貫之)
訳】人の送別会で(詠んだ歌)
〇八九九 遠くへ行く君を(見)送ると(君を)思いやる(私の)心も(君と)一緒に旅先での宿泊をするだろうなあ。
※体は別れても心までは別れないという気持ちを詠んだ一首。
◆
遠きところへまかりける人につかはしける
〇九〇二 目に見えぬ心を人にたぐへてもやる方なきは心なりけり(二条為定)
訳】遠いところまで下向する人に遣わした(歌)
〇九〇二 目に見えない心を人になぞらえても、(あなたと別れる悲しみを)晴らしまぎらす方法がないのは心なのである。
※感情に重きを置いて詠んだ一首。
◆
(題しらず)
〇九〇九 我のみと夜深く越ゆる深山路に先立つ人の声ぞ聞こゆる(藤原朝定)
訳】(題しらず)
〇九〇九 自分だけだと夜更けに(心細く)越えていた深い山の中の道に、先に進んでいた人の声が聞こえることだ。
※上の句で旅の不安を、下の句でその不安が解消された様子を詠んだ一首。作者は藤原冬嗣の裔(藤原冬嗣-良門-高藤-定方-朝頼-為輔-宣孝-隆光-隆方-為房-|朝隆ともたか》-朝方-朝定)。
◆
宝治二年百首歌召されけるに、旅行
〇九一六 ひとむらの里のしるべに立つ煙行けども遠み暮るる空かな(世尊寺行能)
訳】宝治二年(一二四八年)百首歌(を)召し上げなさったので、「旅行」(という歌題で詠んだ歌)
〇九一六 ひとかたまりの里の道標(であるかのよう)に立ち昇っている煙、(これを目印として歩いて)行くけれども、遠いので、(日が)暮れていく空であるよ。
※目標物までなかなかたどり着かない様子を詠んだ一首。作者は藤原行成の裔(藤原行成-行経-伊房-定実-定信-伊行-伊経-世尊寺行能)。
◆
旅歌の中に
〇九四二 行きずりの衣にうつれ萩が花旅のしるし人に語らむ(藤原経家)
訳】旅の歌の中に(あった歌)
〇九四二 すれ違った(私の)衣に移ってこい、萩の花よ。旅の証拠として人に語ろう。
※移り香ではなく、花そのものが衣に移れと詠んだ一首。作者は藤原不比等の裔(藤原不比等-房前-魚名-末茂-総継-直道-連茂-佐忠-時明-頼任-隆経-顕季-顕輔-重家-経家)。




