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賀歌下

『玉葉和歌集』六七首、『風雅和歌集』五六首より。

〈玉葉和歌集〉


   位におましましし時、禁庭花盛久といふことを人々つかうまつりしついでに

一〇六〇 雲の上ここの重ねの宿の春嵐も知らぬ花ぞのどけき(伏見院御製)


訳】(伏見院がまだ天皇の)位にいらっしゃった時(に)、「宮中の花の盛りは長い」ということを人々が(お詠み)申し上げた機会に(お詠みになった歌)

一〇六〇 (幾重にも重なる)雲の上、九重(ここのかさね)の宿(とも言える宮城内裏)の春(は、風の激しい)嵐も知らない(桜の)花がのどかであることよ。

 ※伏見院の天皇時代に詠まれた一首。


     ◆


  寄国祝といふことを詠ませ給うける

一〇八四 代々絶えず継ぎて久しく栄えなむ豊葦原の国安くして(伏見院御製)


訳】「国に寄せる祝い」ということをお詠みになった(歌)

一〇八四 代々を絶えることなく受け継いで、久しく栄えてほしいよ、豊葦原の国(である我が国が)平穏であって。

 ※勅撰集としては「豊葦原」の表現が新しい一首。


     ◆


  今上御即位の時、大納言三位、帳上げ勤めて上階(しゃうかい)して侍りし時、申しつかはし侍りける

一〇九〇 高御座雲の帳をかかぐとて昇る御階(みはし)のかひもあるかな(西園寺実兼)


訳】今上(である花園天皇)がご即位の時、大納言三位(と呼ばれた京極為子)が(天皇の玉座である高御座の(とばり)を掲げて新帝の御姿を居並ぶ群臣にお示しする役である)褰帳(けんちょう)の役を勤めて上階しました時に、申し送りました(歌)

一〇九〇 高御座の雲の(ように垂れている)(とばり)を掲げる(お役目を勤める)ということで(その功により位階が)昇っ(て出世し)たことは、(お役目のために)階段を昇った甲斐があったことですね。

 ※実兼から為子に贈られた一首。


     ◆


  正応元年女御入内の時、詠み侍りける

一〇九二 曇りなき月日の光幾めぐり同じ雲居に住まむとすらむ(京極為子)


訳】正応元年(一二八八年の)女御入内の時(に)、詠みました(歌)

一〇九二 曇り(の)ない月(や)日の光(が、この先)幾巡り同じ空に澄もうとするのだろうか(それと同じように帝も女御も月日が幾巡りするまで宮中に住もうとするのだろうか)。

 ※藤原鏱子(後の永福門院)が伏見天皇の女御として入内した時に詠まれた一首。月日の光を天皇と女御に例えた。


     ◆


  永仁六年大嘗会悠紀方(ゆきがた)御屏風、近江国千枝村、藤花浅深

一一〇二 薄く濃く千枝に咲ける藤波の盛りも久し万代(よろづよ)の春(日野俊光)


訳】永仁六年(一二九八年)(に行なわれた、後伏見天皇即位後の)大嘗会の(左右のうち)左方の屏風(に描かれた)、近江国の千枝村の藤の花が浅く深く(咲いている様子を詠んだ歌)

一一〇二 (色)薄く(あるいは)濃く千枝村(のその名の通り千もの枝)に咲いている波のような藤の花の盛りも長く久しい、万年も続く(後伏見天皇の)御代の春(であるよ)。

 ※薄いと濃い、千と万の対比を詠んだ一首。


     ◆


〈風雅和歌集〉


  寄日祝

二一六四 (あめ)の下誰かは漏れん日のごとく藪しもわかぬ君が恵みに(長井宗秀)


  「日に寄せる祝い」(ということを詠んだ歌)

二一六四 地上の全世界で誰が漏れるだろうか(いや、漏れはしない)、(世界を遍く照らす)日の光のように(手入れもされずに乱雑に生い茂った)藪原であっても区別することのない(我が)君の(もたらす)恩恵から。

 ※歌題の「日」と「君」を結び付けて詠まれた一首。作者は大江匡房の裔(大江匡房-維順-維光-広元-長井時広-泰秀-時秀-宗秀)。


     ◆


  後伏見院立坊のはじめつかた遊義門院より(たかむな)のはうきを奉られて是はすずか竹かいづれと見わきてと女房の中へ仰ることありければ包み紙に書き付け侍りける

二一九一 春秋の宮居色そふ時にあひて万代契る竹とこそ見れ(京極為子)


訳】後伏見院(の)立太子の初めのころ、遊戯門院より、竹の箒を献上なさって、「これはすず竹でどちらが竹かと見分けて」と女房の中へ仰ることがあったので包み紙に書き付けました(歌)

二一九一 春や秋の皇居(に華やかな)色を添える時に(めぐり)会って万代を約束する(ほどずっと青々としている)竹とこそ見る(のである)。

 ※春の桜、秋の紅葉と青いままの竹の対比を詠んだ一首。


     ◆


  百首御歌の中に

二一九七 水上(みなかみ)の定めし末は絶えもせず御裳濯川(みもすそがわ)の一つ流れに(花園院御製)


訳】百首御歌の中に(あった歌)

二一九七 川の上流の治めた川の果て(の水)は絶えることもない、御裳濯川(みもすそがわ)(とも呼ばれる伊勢神宮の内宮神域内を流れる五十鈴川(いすずがわ))が一つの流れに(なって)。

 ※「尽きることのない神聖な清流」とされる五十鈴川を詠んだ一首。


     ◆


  寄国祝を

二一九八 葦原や乱れし国の風を変へて民の草葉も今なびくなり(花園院御製)


訳】「国に寄せる祝」を(詠んだ歌)

二一九八 葦原(の瑞穂の国とも言われる我が国)よ、乱れていた国の風(の向き)を変えて、民草たちも今(この京都に栄えている持明院統の朝廷に)なびいていることだ。

 ※「持明院統(いわゆる北朝)が栄えて日本が平和になった」という状況を寿ぐ一首。


     ◆


  永仁六年大嘗会悠紀方(ゆきがた)屏風、長沢池端午日採菖蒲

二二〇九 君が代の長きためしに長沢の池の菖蒲(あやめ)も今日ぞ引かるる(日野俊光)


訳】永仁六年(一二九八年)(に行なわれた、後伏見天皇即位後の)大嘗会の(左右のうち)左方の屏風(に描かれた)、長沢池で端午の日に菖蒲を採る(様子を詠んだ歌)

二二〇九 (後伏見)天皇の御治世の長く続く例として、長沢の池の菖蒲(あやめ)も今日(の大嘗会の日に)こそ引き抜かれる。

 ※端午の菖蒲を大嘗会の菖蒲に詠み替えた一首。

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