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冬歌上

『玉葉和歌集』二〇三首、『風雅和歌集』一七四首より。

〈玉葉和歌集〉


  後鳥羽院に五十首歌奉りける時

〇八四〇 時雨つる木の下露はおとづれて山路の末に雲ぞなりゆく(宮内卿)


訳】後鳥羽院に五十首の歌を奉った時(の歌)

〇八四〇 時雨が降っていた木の下を伝う露は音を立てて(落ちていき)、山越えの道の果てに(時雨は)雲になっていくことだ。

 ※「時雨つる木の下風はおとづれて」とする説もある模様。


     ◆


  (冬御歌の中に)

〇八四七 群雲の絶え間の空に虹立ちて時雨すぎぬるをちの山の端(藤原定家)


訳】(冬の御歌の中に(あった歌))

〇八四七 群雲の途切れた晴れ間に虹が立って、時雨(が通り)過ぎていった遠くの山の稜線(であるよ)。

 ※虹は京極派歌人にのみ好まれた歌材。京極派以外で歌に詠まれた例は珍しい。


     ◆


  (時雨を詠み侍りける)

〇八四九 浮きて行く雲間の空の夕日影晴れぬと見ればまた時雨るなり(九条隆博)


訳】(時雨を詠みました(歌))

〇八四九 浮いて(流れて)いく雲の間からのぞく空に射す夕陽の光(によって)晴れたと(思って庭を)見ると、また時雨が降っている。

 ※細かな天気の変化を詠んだ一首。作者は藤原不比等の裔(藤原不比等-房前-魚名-末茂-総継-直道-連茂-佐忠-時明-頼任-隆経-顕季-顕輔-重家-顕家-知家-行家-隆博)。歌道家六条藤家の嫡流。


     ◆


  題しらず

〇八六一 おのづから染めぬ木の葉を吹きまぜて色々に行く木枯らしの風(藤原為家)


訳】題しらず

〇八六一 自然には色づかない(緑の)木の葉を(紅葉した葉の中に)吹きまぜて色とりどりに(吹き過ぎて)行く木枯らしの風(であるよ)。

 ※『為兼卿和歌抄』の中で、たとえ歌病を冒すとしても、眼前の気色を正確に描写すべきことを説いた際に使用された例歌。


     ◆


  寒草(かんそう)

〇九〇二 虫の音の弱り果てぬる庭のおもに荻の枯葉の音ぞ残れる(藤原信成女)


訳】冬の枯れ草を(詠んだ歌)

〇九〇二 虫の声が弱り切った庭の表面には、(風に鳴る)荻の枯葉の音だけが残っている。

 ※小さな音に耳を澄ませて詠まれた一首。作者は藤原冬嗣の裔(藤原冬嗣-良門-高藤-定方-朝頼-為輔-説孝-頼明-憲輔-朝憲-信成-信成女)。殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふの名でも知られる。『百人一首』(九〇)の作者としても知られる。


     ◆


  夕暮れに鷺の飛ぶを見て

〇九三三 つららゐる刈田のおもの夕暮れに山もととほく鷺わたる見ゆ(飛鳥井雅有)


訳】夕暮れに鷺が飛ぶのを見て(詠んだ歌)

〇九三三 氷が張った稲を刈り取ったあとの田の表面は夕暮れに、山の麓(を)遠く鷺が渡ってゆくのが見える。

 ※伏見院の東宮時代の歌の師。ほとんど同時代の人物と言えるが京極派ではない。


     ◆


  鳥雀群飛欲雪天といふことを

〇九四九 雲居行く翼も冴えて飛ぶ鳥のあすかみゆきの古里の空(土御門院御製)


訳】「鳥や雀が群がり飛び、雪が降ろうしている天」(ということを歌題として詠んだ歌)

〇九四九 空を行く翼も凍っ(たように冷たく)て飛ぶ鳥が明日、飛鳥に行くのだろうか、行幸の(予定されている雪深い)故郷(である飛鳥)の空(を飛ぶのだろうか)。

 ※「あすか」に「明日か」と「飛鳥」、「みゆき」に「行幸」と「深雪」など、多くの掛詞が使われている一首。作者は後鳥羽天皇の第一皇子。


     ◆


  冬歌の中に

〇九五〇 今朝見れば遠山しろし都まで風の送らぬ夜半の初雪(宗尊親王)


訳】冬の歌の中に(あった歌)

〇九五〇 今朝見ると(洛外にある)遠くの山が白い。(私の今いる)都までは風が送り届けてない(けれども、あの山には)夜中に初雪(が降ったのだなあ)。

 ※鎌倉から帰洛後の一首。


     ◆


  冬歌とて

〇九五九 暮れかかる夕べの空に雲さえて山の端ばかりふれる白雪(二条為氏)


訳】冬の歌ということで(詠んだ歌)

〇九五九 暮れ始めた夕方の空に雲が冷たく凍っていて、山の稜線にだけ降っている白雪(であるよ)。

 ※作者は為兼とライバル関係にあった二条派の祖。為世の父。


     ◆


  百首歌の中に

〇九七九 かき暗す軒端の空に数見えてながめもあへず落つる白雪(藤原定家)


訳】百首歌の中に(あった歌)

〇九七九 辺り一面を暗くしている軒端の(向こうの)空に、(雪が)数(多く降っているのが)見えて、(ぼんやりと)眺めることもできない(ほどの勢いで降り)落ち続ける白雪(であるよ)。

 ※軒端を起点として遠景の降雪の動きを巧みに詠んだ一首。「軒端の空」が新しい表現。


     ◆


  雪埋竹

〇九九一 雪うづむ園の呉竹折れ伏してねぐら求むる群雀かな(西行法師)


訳】「雪が竹を埋める」(という題で詠んだ歌)

〇九九一 雪(が)埋めてしまった庭の呉竹(も雪の下に)折れ倒れて(止まり場所を失って)ねぐらを探して(騒いで)いる群れになった雀だなあ。

 ※雀を詠んだ珍しい一首。


     ◆


  題しらず

〇九九二 隔てつる垣根の竹も折れ伏して雪に晴れたる里のひと村(飛鳥井雅孝)


訳】題しらず

〇九九二 (家々の間を)隔てていた垣根の竹も(雪のせいで)折れ伏してしまって、(いちめんに降り積もった)雪(一色)に晴れ渡った里の集落よ。

 ※雪の朝の光景を明るく詠んだ一首。京極派歌人ではないが、京極派歌壇からは重視された。


     ◆


  冬の比、後夜(ごや)の鐘の音聞こえければ、峰の坊へ登るに、月、雲より出でて道を送る。峰に至りて禅堂に入らんとする時、月また雲を追ひて向かひの峰に隠れなんとするよそほひ、人知れず月のわれに伴ふかと見えければ

〇九九六 雲を出でて我にともなふ冬の月風や身にしむ雪やつめたき(明恵上人)


訳】冬のころ、(午前四時前後の)後夜(の勤行を開始する)鐘の音(が)聞こえたので、峰にある禅堂に登ったところ、月(が)雲から出て道を送ってくる。峰にたどり着いて禅堂に入ろうとする時、月(が)また雲を追って向かいの峰に隠れようとする様子で、人に知られぬようにして月が私についてきた来たのかと見えたので(詠んだ歌)

〇九九六 雲を出て、私について来る冬の月(よ)、風が身にしみないか、雪が冷たくないか。

 ※修行に向かった際に自然と一体化した心を率直に詠んだ一首。作者は桓武天皇の裔(桓武天皇-葛原親王-平高望-良文-忠頼-将恒-武基-武綱-小机基家-河崎重家-渋谷重国-明恵)。『為兼卿和歌抄』にも登場した。


     ◆


  嘉元百首歌の中に、(あられ)

一〇〇六 浮雲のひとむら過ぐる山おろしに雪吹きまぜて霰降るなり(二条為世)


訳】嘉元百首歌の中に(あった)、霰(を詠んだ歌)

一〇〇六 浮き雲がひとかたまりよぎる、(その雲を運ぶ)山おろし(の風)に、雪を吹きまぜて霰が降る(音が聞こえる)のである。

 ※自然の動きの捉え方が実に京極派的で、京極派歌人の歌と比べても遜色ない一首。作者は為兼の永遠のライバル、二条派の御曹司。為氏の長子。


     ◆


  里に侍りけるが、師走のつごもりに内に参りて、御物忌なりければ、つぼねにうちふしたるに、人のいそがしげにゆきかふ音を聞きて思ひ続けける

一〇三六 年くれてわがよふけ行く風の音に心のうちのすさまじきかな(紫式部)


訳】実家におりましたが、十二月の晦日に内裏に参上したところ、御物忌だったので、(宮中で与えられている自分の)部屋でちょっと寝ていると、人がいそがしそうに往来する音を聞いて(あれこれと)思い続けた(時に詠んだ歌)

一〇三六 年が暮れて私の(この晦日の)夜は更け、私(自身)の人生も更けて(終わりへと向かって)行く(それらを思いつつ聞く)風の音によって(私の)心のうちの(なんと)荒涼として物寂しいことよ。

 ※「わがよ」は「我が世」と「我が夜」の掛詞。作者は藤原為時女。『源氏物語』の作者でもあり、『百人一首』(五七)でも知られる。


     ◆


〈風雅和歌集〉


  百首御歌の中に

〇七二七 もみぢ葉の深山に深く散り敷くは秋のかへりし道にやあるらん(後二条院)


訳】百首の御歌の中に(あった歌)

〇七二七 (冬であるにもかかわらず)紅葉した葉が山奥に深く散り敷いているのは、(これが)秋の帰っていった道なのだろうか。

 ※作者は亀山天皇の第二皇子である後宇多天皇の第一皇子。


     ◆


  冬歌の中に

〇七三四 時雨ゆく雲間に弱き冬の日のかげろひあへず暮るる空かな(冷泉為相(ためすけ)


訳】冬の歌の中に(あった歌)

〇七三四 時雨を降らせてゆく雲の絶え間から弱い冬の日がほのかに(射すかと思いきや)射しきれず(結局曇ったままで)暮れてしまう空だなあ。

 ※作者は為家の息子で為兼の年下の叔父。為兼と行動を共にしたりしているが、京極派歌人ではない。


     ◆


  冬歌の中に

〇七七二 霜白き神の鳥居の朝烏鳴く()もさびし冬の山もと(藤原家隆)


訳】冬の歌の中に(あった歌)

〇七七二 霜が(降りていちめんが)白い神社の(赤い)鳥居(の上)に留まっている朝(早くから黒い)烏が鳴いている(鳴き)声も寂しい冬の山のふもと(であるよ)。

 ※白・赤・黒の色の対比と、聴覚を意識して詠まれた一首。


     ◆


  冬地儀といふ事を

〇八五三 見わたせば山もと遠き雪のうちに(けぶり)さびしき里の一群(ひとむら)(足利直義)


訳】「冬の地儀」ということを(歌題として詠んだ歌)

〇八五三 見渡してみると山のふもと|(は遥かに)遠くまで雪の(降り敷いている)中に煙(が細々と今にも絶えそうに)寂しい里のひとかたまり(の家々が見えることだ)。

 ※上の句の雄大な歌い出しに対し、下の句では小さな村の人々の暮らしに焦点を絞った一首。煙が寂しいと詠んだところに新しさがある。作者は室町幕府を開いた足利尊氏の弟。


     ◆


  文治(ぶんじ)六年女御入内の屏風に、十二月(しはす)内侍所(ないしどころ)御神楽所(みかぐらどころ)

〇八八七 ことわりや天の岩戸も開けぬらむ雲居の庭のあさくらの声(藤原俊成)


訳】文治(ぶんじ)六年(一一九〇年)女御入内の屏風に(描かれた)、十二月の内侍所の御神楽所(を歌題として詠んだ歌)

〇八八七 当然だなあ。天の岩戸も開いてしまうだろう、宮中の庭で歌われる神楽歌「朝倉」の(歌)声(を耳にしては)。

 ※屏風絵に添える歌という伝統的な理由で詠まれた、聴覚に訴える一首。

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