秋歌下
『玉葉和歌集』三八五首、『風雅和歌集』二七九首より。
〈玉葉和歌集〉
(早秋の心を)
〇四六二 秋にこそまたなりぬれと思ふより心に早く添ふあはれかな(京極為子)
訳】(早秋の心を(詠んだ歌))
〇四六二 秋にまたなってしまったなあと思うや否や、心に素早く付き従う、しみじみとした寂しさであるなあ。
※具体的な景物を用いず、心の中のみを詠んだ、いかにも京極派的な一首。
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五十番歌合に秋露をよませ給うける
〇四六三 我もかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだる頃(伏見院御製)
訳】五十番歌合に「秋の露」を(歌題として)お詠みになった(歌)
〇四六三 私も悲しい、草木も心を痛めているようだ、秋風(が吹いて草木に)触れて、(秋を悲しむ天から涙のような)露が(草木へ)おりる頃には。
※漢詩から影響を受けた「悲秋」の発想を詠んだ一首。
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(萩を詠み侍りける)
〇四九三 咲きやらぬ末葉の花はまれに見えて夕露しげき庭の萩原(章義門院)
訳】(萩を詠みました(歌))
〇四九三 (まだ)咲ききっていない末葉の(萩の)花はわずかに見えて、夕露が辺り一面に置いている庭の萩原であるよ。
※細かく観察して描写した、典型的な京極派女性歌人の一首。作者は伏見院の第二皇女。
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三十首歌、人々に詠ませさせ給ひし時、草花露を
〇四九九 なびきかへる花の末より露散りて萩の葉白き庭の秋風(伏見院御製)
訳】三十首の歌を人々の詠ませられました時に、「草花の露」を(歌題として詠んだ歌)
〇四九九 (風に)靡き翻る(萩の)花の先端から露が(こぼれ)散って、萩の葉は白く(裏を)見せる庭の秋風(であるよ)。
※細かく鋭い観察眼と、優れた描写力を持つ京極派叙景歌の典型と言える一首。
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三十首歌、人々に詠ませさせ給ひし時、草花露を
〇五〇一 露重る小萩が末はなびき伏して吹き返す風に花ぞ色添ふ(京極為兼)
訳】三十首の歌を人々の詠ませられました時に、「草花の露」を(歌題として詠んだ歌)
〇五〇一 露(が置いて)重くなっている小萩の枝先は(露の重みで地面に)垂れ伏して、(それを)吹き返す風によって(見え隠れする露に濡れた)花が色を添えることだ。
※細かく鋭い観察眼と、優れた描写力を持つ京極派叙景歌の典型と言える一首。
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風後草花といふ事をよませ給うける
〇五〇九 しをりつる風は籬にしづまりて小萩がうへに雨そそくなり(永福門院)
訳】「風の後の草花」ということをお詠みになった(歌)
〇五〇九 (庭の草木を)吹きたわませていた(強い)風は垣根(の辺り)で静かになって(風に靡いていた庭の)小萩の上に(今は)雨が降り注いでいる。
※風の動きと雨の降る様子を通して時間の推移を描いた一首。
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露を詠み侍りし
〇五一七 いづくより置くとも知らぬ白露の暮るれば草の上にみゆらむ(京極為兼)
訳】露を詠みました(歌)
〇五一七 どこから(降り)置くとも分からない白露が(日が)暮れると(どうして)草の上に見えるのだろうか。
※歌になるとも思えない発想、素朴すぎる疑問を、古歌を取り入れることで京極派的な理の歌に仕上げている一首。
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秋御歌の中に
〇五三六 薄霧の晴るる朝けの庭みれば草にあまれる秋の白露(永福門院)
訳】秋の御歌の中に(あった歌)
〇五三六 (立ち込めた)薄霧の晴れていく明け方の庭を見ると、草に余っているほど(いっぱいの)秋の白露(であるよ)。
※動きと光のある新鮮な一首。
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秋の歌とて
〇五四二 吹きしをる四方の草木の裏葉みえて風にしらめる秋の曙(永福門院内侍)
訳】秋の歌ということで(詠んだ歌)
〇五四二 (野分に)吹きたわまされている四方の草木の葉の裏側が見えて、強風の中で白々と明るくなっていく秋の曙(であるよ)。
※野分の中の秋のあけぼのを詠んだ一首。ほとんど類例がなく新しい。作者はこの歌で名を挙げて裏葉内侍の称号を得た、坊門基輔女。藤原道隆の裔(道隆-隆家-経輔-師信-経忠-信輔-信隆-坊門隆清-清親-基輔-基輔女)。晩年に(姪である)進子内親王を養育した。
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稲妻を
〇六二八 宵の間のむら雲づたひ影見えて山の端めぐる秋の稲妻(伏見院御製)
訳】稲妻を(詠んだ歌)
〇六二八 (月の出を待つ)宵の間の群雲をふちどるように(雷の)光が(一瞬)見えて(それは同時に)山の稜線をもめぐっている、秋の稲妻(であることよ)。
※光と影の一瞬の動きを劇的に描写した一首。
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月三十首御歌の中に
〇六四三 空清く月さしのぼる山の端にとまりて消ゆる雲の一群(永福門院)
訳】月(の題で詠んだ)三十首の御歌の中に(あった歌)
〇六四三 空(が)清く(澄み、)月がさし昇る山の稜線に、少しとどまっては(すぐに)消えていく雲のひとかたまり(であるよ)。
※月の大きさと雲の繊細な動きを描写した一首。「とまりて消ゆる」は永福門院独自の表現。
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三十首歌召されし時、深夜月を
〇七〇七 庭白く冴えたる月もやや更けて西の垣根ぞ陰になりゆく(楊梅兼行)
訳】三十首の歌をお召しになった時、深夜の月を(詠んだ歌)
〇七〇七 庭(を)白く(照らして)冴えわたって月もやや(夜が)更けて(次第に傾き)、(庭の)西側の垣根(の辺り)は陰になっていく。
※月光の時間的変化の美を見つめた一首。作者は藤原道綱母の裔(道綱母-道綱-兼経-敦家-敦兼-楊梅季行-重季-忠行-経季-親忠-兼行)。
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秋夕を
〇八一六 花すすき穂末にうつる夕日影薄きぞ秋の深き色なる(遊義門院)
訳】「秋の夕べ」を(詠んだ歌)
〇八一六 花すすきの穂先に映る夕陽の光、(その光の)薄いことが、秋の深まった気配(を表しているの)である。
※微妙な光の変化によって秋の深まる気配を詠んだ一首。作者は後深草天皇皇女で後宇多天皇妃。
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野暮秋
〇八一八 野辺遠き尾花に風は吹き満ちて寒き夕日に秋ぞ暮れゆく(北畠親子)
訳】「野の暮秋」(という歌題で詠んだ歌)
〇八一八 野辺の遠く(まで続いている)すすきに風は|(野辺いちめんに)吹き満ちて、寒々としている夕陽に秋が暮れていくことだ。
※「吹き満ちて」という新しい表現ですすき野原を詠んだ一首。
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暮秋十首歌奉りし時
〇八三二 心とめて草木の色も眺めおかむ面影にだに秋や残ると(京極為兼)
訳】暮秋の十首歌を献上した時(に詠んだ歌)
〇八三二 (しっかりと)心(の中に)留めて、草木の(紅葉の鮮やかな)色も眺めておこう。(せめて)面影(の中)だけでも(この)秋が残る(かも知れない)と。
※止めることのできない季節の移り変わりを心にとどめおきたい、歌の中に残したいという京極派和歌全体の原動力の一つがうかがえる一首。
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〈風雅和歌集〉
百首歌の中に
〇四七一 更けぬなり星合の空に月は入りて秋風うごく庭のともし火(光厳院御製)
訳】百首歌の中に(あった歌)
〇四七一 (夜が)更けたようだ。七夕の(牽牛星と織女星が会うという)星合の夜空に月は(地上では)秋風が吹き、(それに)揺らめいている(乞巧奠の)庭の灯火(であるよ)。
※時間の経過のうちに変化していく乞巧奠の様子を詠んだ一首。
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秋の御歌に
〇四七八 真萩散る庭の秋風身に沁みて夕陽の影ぞ壁に消えゆく(永福門院)
訳】秋の御歌に(あった歌)
〇四七八 美しい萩の花が散る庭を吹き抜ける秋風(の冷たさ)が身にしみて、(先ほどまで射し込んでいた)夕陽の光は(次第に薄れて)壁に(吸い込まれるように)消えていくことだ。
※京極派独特の自然描写を詠んだ一首。京極派の代表歌。
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院五首歌合に、秋視聴といふ事を
〇五二七 色かはる柳がうれに風すぎて秋の日さむき初雁のこゑ(藤原為基)
訳】(花園)院(主催の)五首の歌合に、「秋の視聴」ということを(歌題として詠んだ歌)
〇五二七 (枯れ始めて)色が変わってゆく柳の梢に風(が吹き)過ぎて、秋の日射しが寒々とした中で、初雁の(鳴き)声(が聞こえる)。
※京極派の特色を最もよく引き出す歌題に対し、上の句で「枯れていく柳」という秋を視、下の句で「初雁の声」という秋を聞くという趣向の一首。京極為兼の猶子。
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百首御歌に
〇五三九 雲遠き夕日のあとの山際に行くとも見えぬ雁のひとつら(花園院御製)
訳】百首の御歌(の中)に(あった歌)
〇五三九 雲(は遥か)遠い、夕陽の(沈んでいった)あとの(まだ光の残る)山際に(飛んで)行くとも見えない雁の一列であるよ。
※雁の到来の一瞬を詠んだ一首。
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秋御歌に
〇五七七 月を待つ暗き籬の花の上に露をあらはす秋の稲妻(徽安門院)
訳】秋の御歌に(あった歌)
〇五七七 月の出を待つ暗い(宵の)垣根の花の上に、(一瞬)露を(照らし)現す稲妻(であるよ)。
※月の出ていない闇夜に、稲光によって出現する露の一瞬の美を捉えた一首。
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秋歌に
〇五八二 吹きわくる竹のあなたに月みえて籬はくらき秋風の音(祝子内親王)
訳】秋の歌に(あった歌)
〇五八二 (秋風が)吹き分ける竹林の向こうに(煌々と明るい)月が見えて、(手前の)垣根は暗く(沈んでいて)、(竹林を渡る)秋風の音(ばかりが聞こえてくる)。
※京極派和歌に多い明暗のコントラストを遠近法的手法を用いつつ詠んだ一首。「秋風の音」という表現が新しい。作者は花園院の皇女。
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月前草花を
〇六三四 風に靡く尾花が末にかぎろひて月遠くなる有明の庭(花園院御製)
訳】月の前の草花を(詠んだ歌)
〇六三四 風に靡くすすきの(穂の)先端に(月の)光がちらついていて、(沈んでいく)月が(遥か)遠くなっていく有明の(月の美しい)庭(であるよ)。
※有明の月の庭の残像を詠んだ一首。
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河霧を詠み侍りける
〇六六六 朝嵐の峰よりおろす大井河うきたる霧も流れてぞ行く(京極為兼)
訳】河の霧を詠みました(歌)
〇六六六 朝の強い風が峰から吹き降ろす大井川(の川の上に)浮いている霧も(川波とともに)流されていくことだ。
※京極派の典型的な叙景歌。
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百首歌奉りし時、秋歌
〇七〇四 見るままに壁に消えゆく秋の日の時雨に向かふ浮雲の空(進子内親王)
訳】百首歌を献上した時(に詠んだ)、秋の歌
〇七〇四 見ているうちに壁に(吸い込まれるように)消えていく(晩)秋の(弱い)日(の光)が時雨を降らす浮雲と向き合っている空(であるよ)。
※浮雲から降る時雨と、秋の日射しとが共存している晩秋の空を詠んだ一首。作者は伏見院の皇女で永福門院内侍の姪。勅撰集である『風雅和歌集』に入集するために内親王宣下が行なわれたとされる。
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九月尽を
〇七二四 月も見ず風も音せぬ窓の内に秋を送りて向かふともし火(後伏見院御製)
訳】「九月尽」を(詠んだ歌)
〇七二四 月を見ることもなく、風の音もしない窓の内側で、(去ってゆく)秋を送りながら(ひとり)向き合っている灯火(であるよ)。
※具体的な景物を用いずに、心の中で一人、秋を見送るさまを詠んだ、いかにも京極派的な一首。




