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秋歌上

『玉葉和歌集』三八五首、『風雅和歌集』二七九首より。

〈玉葉和歌集〉


  七月一日、あけぼのの空をみてよめる

〇四四九 しののめの空霧りわたりいつしかと秋のけしきに世はなりにけり(紫式部)


訳】七月一日、曙の空を見て詠んだ(歌)

〇四四九 わずかに白んできた空(は)辺り一面に霧が立ち込めて、いつの間にか秋の気色に世の中はなっていたのだなあ。

 ※秋の巻頭歌。出典元の『紫式部集』では、恋歌として「秋」に「飽き」を掛け、「世」に「男女の仲」の意が込められていたものを、『玉葉集』では詞書から恋の部分を削って、立秋の朝の歌として入集させている。


     ◆


  千五百番歌合に

〇五六六 あはれなる時しも秋の寝覚めかな妻問ふ鹿の明け方の空(土御門通具(つちみかどみちとも)


訳】千五百番歌合に(提出した歌)

〇五六六 しみじみと心にしみる時は(まさに)秋の寝覚めであることだなあ。妻を恋い慕う鹿の(鳴き声のする)明け方の空であることよ。

 ※作者は『新古今和歌集』の筆頭撰者。土御門通親の子。権門歌人。


     ◆


  正治(しゃうじ)二年百首歌たてまつりける時

〇五七八 我が門の稲葉の風におどろけば霧のあなたに初雁の声(式子内親王)


訳】正治(しょうじ)二年(一二〇〇年)に百首の歌を献上した時(に詠んだ歌)

〇五七八 我が家の門前の田の稲葉を吹き抜ける風にはっと気がつくと、霧の向こうに今年初めての雁の(鳴き)声(がする)。

 ※季節の移ろいへの驚きを詠んだ一首。


     ◆


  題不知

〇六二九 わたつうみの豊旗雲に入り日射し今宵の月夜澄み明くこそ(天智天皇御製)


訳】題しらず

〇六二九 大海に(たなびく美しい)旗雲に入り日が射して、今宵の月はどんなに清らかで明るくあるのか。

 ※歴代勅撰集不入の古歌の秀作を見出した為兼の撰歌眼が際立つ一首。


     ◆


  題不知

〇六三〇 百敷の大宮人の立ち出でて遊ぶ今宵の月のさやけさ(よみ人知らず)


訳】題しらず

〇六三〇 大宮人が(外に)立って出て遊んでいる、今夜の月の澄んだ清らかさであるよ。

 ※古歌の秀作を見出した為兼の撰歌眼が際立つ一首。


     ◆


  家百首歌に

〇六五六 浦とほき白洲の末のひとつ松またかげもなく澄める月かな(藤原為家)


訳】家百首歌に(あった歌)

〇六五六 (月夜の)入江から遠く突き出た白砂の砂嘴(さし)の先端の一本松。他には(何の)影もなく澄みわたっている月(の光)であるよ。

 ※作者のイメージを造形する力が遺憾なく発揮された一首。


     ◆


  正治百首歌奉りける中に

〇六七〇 秋の夜はたづぬる宿に人もなしたれも月にやあくがれぬらむ(二条院讃岐)


訳】正治元年(一一九九年)に百首歌を献上した中に(あった歌)

〇六七〇 秋の夜には(友人を)訪ねても家には誰もいない。誰もが(私のようにふらふらと)月に誘われてさ迷い歩いてしまうのだろうか。

 ※作者は源頼政女。清和天皇の裔(清和天皇-貞純親王-源経基-満仲-頼光-頼国-頼綱-仲政-頼政-二条院讃岐)。『百人一首』(九二)でも知られる。


     ◆


  百首歌の中に

〇六八六 海のはて空のかぎりも秋の夜の月の光のうちにぞありける(藤原家隆)


訳】百首歌の中に(あった歌)

〇六八六 海のはて(も)空のかぎりも秋の夜の月の(照らす)光のうちにあったのだなあ。

 ※広大無辺の月光を主題として詠んだ一首。作者は醍醐天皇の雲孫(うんそん)(八代子孫。醍醐天皇-村上天皇-具平親王-藤原頼成-清綱-隆時-清隆-光隆-家隆)。定家と並び称された。『百人一首』(九八)でも有名。


     ◆


  月を詠み侍りける

〇六八八 ()し方はみな面影に浮かびきぬ行く末てらせ秋の夜の月(藤原定家)


訳】月を詠みました(歌)

〇六八八 (月を眺めていると私の)これまで(の思い出)は全てまぼろしとして(目の前に)浮かんできた。(私の)この先(の道)も照らしておくれ、秋の夜の月よ。

 ※結句「秋の夜の月」縛りで詠んだ一首。月に昔を偲ぶ歌はよくあるが、月に未来を願う歌は珍しい。


     ◆


  月を詠ませ給うける

〇七一一 更けぬれど行くとも見えぬ月影のさすがに松の西になりぬる(後二条院御製)


訳】月をお詠みになった(歌)

〇七一一 (夜が)更けてしまったけれども(動いて)行くとも見えない月の光が、それでもやはり松の西側になってしまっていることだよ。

 ※時間の経過を写生している一首。京極派の影響を受けた歌を残しているが、京極派歌人ではない。


     ◆


  嘉元百首歌奉りけるに、月

〇七一四 雲晴るる磯山あらし音更けて沖つ潮瀬に月ぞ(かたぶ)く(鷹司冬平)


訳】嘉元百首歌を献上した時に、月(という歌題で詠んだ歌)

〇七一四 雲を吹き散らした磯(の辺りの)山(の)嵐の音も夜が更けて(静かになっていって)、沖の(海面に見える)潮流(の中)に月が沈んでいく。

 ※「磯山あらし音更けて」の表現が新しい一首。作者は藤原道長の裔(藤原道長-頼通-師実―師通-忠実-忠通-近衛基実-基通-家実-鷹司兼平-基忠-冬平)。権門歌人。


     ◆


  秋雨を

〇七二六 雲かかる高嶺の檜原(ひばら)音たてて村雨わたる秋の山もと(宗尊親王)


訳】秋雨を(詠んだ歌)

〇七二六 雲がかかる高い山の(檜が生い茂る)檜原を音をたててにわか雨が通り過ぎて行く秋の山のふもとであるよ。

 ※自然の動態を生き生きと捉えた一首。


     ◆


  秋雨を

〇七二七 風にゆく峰の浮雲跡晴れて夕日に残る秋の村雨(北条時春)


訳】秋の雨を(詠んだ歌)

〇七二七 風に(流されて)行く峰の浮雲の跡は晴れて、(照る)夕日(の光の中)に(降り)残る秋のにわか雨であるよ。

 ※関東武家歌人の一人。北条時政の玄孫(北条時政-義時-重時-義政-時春)。


     ◆


  千五百番歌合に

〇七三三 朝ぼらけ槇の尾山は霧こめて宇治の川長(かはをさ)舟よばふなり(土御門通親)


訳】千五百番歌合に(提出した歌)

〇七三三 夜明け方に槇尾山には霧が立ち込めて、宇治川の船頭が舟を呼ぶ(声が聞こえる)ことだ。

 ※『源氏物語』の橋姫の帖を題材に詠んだ一首。作者は醍醐天皇の雲孫うんそん(八代子孫。醍醐天皇-村上天皇-具平親王-師房-顕房-雅実-顕通-雅通-通親)。権門歌人。


     ◆


  秋雨を

〇七七二 秋の雨のやみがた寒き山風にかへさの雲もしぐれてぞ行く(藤原為家)


訳】秋の雨を(詠んだ歌)

〇七七二 秋の雨が止もうとする頃(に吹き始めた)寒々とした山風に、(山に向かって)帰りがけの雲も(もう一度)時雨を降らせてゆく。

 ※歌語ではない「やみがた」という言葉を使って自然の動きを精細に観察した、京極風の先駆をなしていると言える一首。


     ◆


〈風雅和歌集〉


  (まがき)の薄を

〇四八三 露にふす(まがき)の萩は色くれて尾花ぞしろき秋風の庭(足利尊氏)


訳】(まがき)の薄を(詠んだ歌)

〇四八三 露の重みでしなう垣根の萩は(夕方の)色に包まれて、(風に靡いている)すすきの穂が白い、秋風の(吹く)庭(であるよ)。

 ※暮色に沈む「紫みの明るい紅色」の萩に対し、暮色に沈まないすすきの「白さ」に着目した一首。京極派の影響を受けた歌を残しているが、京極派歌人ではない。


     ◆


  初雁をよめる

〇五二六 初雁は雲ゐのよそに過ぎぬれど声は心に留まるなりけり(源俊頼)


訳】初雁を詠んだ(歌)

〇五二六 今年初めての雁は大空の向こうに飛び去っていったけれども、(その鳴き)声は(私の)心(の中)にとどまっていることだ。

 ※三十五歳の時に女性の代作で詠んだ一首。作者は宇多天皇の来孫(らいそん)(五代子孫。宇多天皇-敦実親王-重信-道方-経信-俊頼)。藤原基俊と並ぶ院政期歌壇の重鎮で、『金葉和歌集』の撰者。


     ◆


  秋山といふことを

〇六六四 入相は檜原の奥に響き()めて霧にこもれる山ぞ暮れゆく(足利尊氏)


訳】秋の山を(詠んだ歌)

〇六六四 (日暮れ時に寺でつく)入相(の鐘の()は檜が生い茂った)檜林の奥に響き始めて、(一面の)霧に閉じ込められた(ように覆われた)山(の日)が暮れてゆく。

 ※晩鐘の響きと霧の広がりを詠んだ一首。京極派の影響を受けた歌を残しているが、京極派歌人ではない。


     ◆


  夜虫を

〇五五八 宵の()はまれに聞きつる虫の()も更けてぞしげき蓬生の庭(洞院公賢(とういんきんかた)


訳】夜の虫を(詠んだ歌)

〇五五八 宵の間はたまにしか聞かなかった虫の鳴き声も(夜が)更けると絶え間なく聞こえる蓬の生い茂った庭(であるよ)。

 ※時間の推移が実感的に把握されている一首。作者は西園寺公経の玄孫。権門歌人。


     ◆


  百首歌たてまつりし時

〇六四八 立ちそむる霧かとみれば秋の雨のこまかにそそく夕暮れの空(冷泉為秀)


訳】百首歌を献上した時(に詠んだ歌)

〇六四八 (うっすらと)立ちはじめた霧だろうかと(思って)見ていると秋の雨が細かに降りそそぐ夕暮れの空(であったことだ)。

 ※繊細な雨を細かく観察して詠んだ一首。作者は冷泉為相(ためすけ)の子。『風雅和歌集』編纂に参加。室町幕府二代将軍足利義詮らの歌の師。

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