夏歌下
『玉葉和歌集』一五六首、『風雅和歌集』一四六首より。
〈玉葉和歌集〉
首夏の心を詠み侍りける
〇二九三 花鳥のあかぬ別れに春暮れて今朝より向かふ夏山の色(西園寺実兼)
訳】夏の初めの心を詠みました(歌)
〇二九三 (春の)花や鳥との名残惜しい別れ(を繰り返しているうち)に春は暮れて(晩春になって)、今朝から(は新たに)向き合うのだ、夏山の(新緑の)色に。
※夏の巻頭歌。暦の上で夏になれば、もう季節は夏なのだという意識が詠まれた一首。
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夏御歌の中に
〇三〇一 薄緑まじる楝の花みれば面影にたつ春の藤波(永福門院)
訳】夏の御歌の中に(あった歌)
〇三〇一 薄緑(の若葉に)混じる(房状に咲いた紫色の)楝の花(を)見ると、目の前に姿が思い浮かぶ(あの)春の藤の花の波(であるよ)。
※色彩の美しさに特徴がある一首。
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月前郭公といふことを
〇三一九 ほととぎす空に声して卯の花の垣根も白く月ぞ出でぬる(永福門院)
訳】「月の前のほととぎす」ということを(歌題として詠んだ歌)
〇三一九 ほととぎす(が)空に声をたてて(鳴き過ぎ)、(白い)卯の花の(咲く)垣根も(いよいよ)白く(映えて)月が出た(ことよ)。
※初夏の景色を平易な表現で詠んだ一首。
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夏暁といふことを
〇三四〇 月残る寝覚めの空のほととぎすさらに起き出でてなごりをぞ聞く(京極為兼)
訳】夏の暁ということを(詠んだ歌)
〇三四〇 (有明の)月が残る(頃の)寝覚めの空に(鳴いて去っていった)ほととぎす、改めて起き出して(その声の)余韻を聞き味わうことだよ。
※当時の誰しもが経験があるであろうというところから詠み始めて、四句五句で独自性を打ち出した一首。
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夏歌として
〇三五二 時来ぬと下り立つ田子の手もたゆく取るや早苗も今急ぐなり(源具顕)
訳】夏歌として(詠んだ歌)
〇三五二 (田植えの)時が来たと(水田に)下り立つ農夫の手も疲れて力がないほど(田んぼの隅の苗代から)取った早苗を今急いで(田植えを)することだ。
※苗の移し植えを詠んだ一首。
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夏河
〇三八一 夕闇の鵜川の篝下し過ぎてあらぬ蛍ぞまた燃えてゆく(大江宗秀)
訳】夏の河(という歌題で詠んだ歌)
〇三八一 夕闇の鵜飼をする川を(鵜飼船の)篝火が下って行ったあと、(今度は篝火)ではない蛍が(篝火のようにまた)燃え(るように光っ)て飛んでゆくことだ。
※夏の風物詩てある鵜飼と、蛍を取り合わせた一首。
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(夏の歌の中に)
〇三八五 秋よりも月にぞなるる涼むとてうたた寝ながら明かす夜な夜な(伏見院新宰相)
訳】(夏の歌の中に(あった歌))
〇三八五 秋よりも(むしろ夏にこそ)月に馴れ親しむことだよ。涼もうということで(月を見ながら)うたた寝のままで(夜を)明かす毎夜毎夜(を思えば)。
※「月は秋に詠むもの」という当時の常識を覆した一首。
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夏月をよみ侍りける
〇三八七 夜にかかる簾に風は吹き入れて庭白くなる月ぞ涼しき(二条教良女)
訳】夏の月を詠みました(歌)
〇三八七 夜になりかかった頃、(壁に)かかっている簾に風が吹き込んで、(見渡せるようになった)庭が(月明りで)白くなっている、(その)月(の光)の涼しげなことであるよ。
※「かかる」は「夜にさしかかる」と「壁にかかる簾」とをかけている
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夏歌の中に
〇三九二 夏の夜は静まる宿のまれにしてささぬ戸口に月ぞくまなき(北畠親子)
訳】夏の歌の中に(あった歌)
〇三九二 夏の(暑い)夜は、寝静まる家は稀であって、(鍵を)差さない(開けたままの)戸口に月(の光)が(隅々まで)隈なく射し込んでいることだ。
※古典和歌には珍しく、市中の風景を詠んだ一首。
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夏歌の中に
〇三九七 闇よりも少なき夜半の蛍かな己が光を月に消たれて(藤原為守女)
訳】夏歌の中に(あった歌)
〇三九七 闇(夜の時)よりも(数が)少ない(月夜の)夜半の蛍だなあ、自分の光を月(明かりに)消されたせいで。
※京極派らしい、よく観察された一首。
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三十首歌人々に召されし時、遠夕立
〇四一三 風はやみ雲のひとむら峰こえて山見えそむる夕立のあと(伏見院御製)
訳】三十首の歌を人々に召された時に、「遠き夕立」(の題で詠んだ歌)
〇四一三 風が激しいので雲のひとかたまりが峰を越えて(消え去り、)山(の姿が)見え始める夕立の後(であるよ)。
※夕立の後の自然の動きを直線的に描いた一首。
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夏歌の中に
〇四一九 枝に洩る朝日の影の少なさに涼しさ深き竹の奥かな(京極為兼)
訳】夏の歌の中に(あった歌)
〇四一九 (竹林の)枝の間から洩れて射し込む朝の日の光が少ないので、涼しさが(よりいっそう)深く感じられる竹林の奥(の方)であるなあ。
※為兼の代表作の一。
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夏歌の中に
〇四二一 暮れかかる遠方の空の夕立に山の端見せて照らす稲妻(世尊寺定成)
訳】夏の歌の中に(あった歌)
〇四二一 暮れかかる遠方の空の夕立に(よって)、山の稜線を(一瞬)見せて照らす稲妻(であるよ)。
※秋の稲妻ではなく、夏の夕立ちに伴う稲妻を詠んだ一首。
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百首御歌の中に、蓮を
〇四二二 こぼれ落つる池の蓮の白露はうき葉の玉とまたなりにけり(伏見院御製)
訳】百首の御歌の中に(あった)、蓮を(詠んだ歌)
〇四二二 零れ落ちた池の蓮の白露(の雫)は、(水に)浮いている(蓮の)葉の(上で)玉とまたなったことだよ。
※露の玉が蓮の葉の上にあるという歌は多く詠まれているが、露の玉を動的に見せたところに独自性がある一首。
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納涼の心を
〇四三二 岩根伝ふ水の響きは底にありて涼しさ高き松風の山(大江宗秀)
訳】納涼の心を(詠んだ歌)
〇四三二 岩根(を)伝い流れる水の響きは(谷)底にあって、(その)涼しさは高い(山を吹く)松風の(音に込められている、そういう涼しい)山(であるよ)。
※第四句の「涼しさ高き」がいかにも京極派らしい独自性の高い表現の一首。
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〈風雅和歌集〉
三十首御歌の中に、夏鳥といふことを
〇三七六 かげしげき木の下闇のくらき夜に水の音して水鶏鳴くなり(永福門院)
訳】三十首の御歌の中に(あった)、夏鳥ということを(詠んだ歌)
〇三七六 (茂った枝葉のせいで)木の陰が濃く闇になっている暗い夜に水の音がして(心細い鳴き声の)水鶏(が)鳴いていることだ。
※光を排し、聴覚のみで寂しい世界を描こうとした一首。
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夏の御歌の中に
〇三九一 月や出づる星の光の変はるかな涼しき風の夕闇の空(伏見院御製)
訳】夏の御歌の中に(あった歌)
〇三九一 月が出ようとしているのか、星の光り具合が変わったようだ。涼しい風の(吹く)夕闇の空(であるよ)。
※月の出によって星の光が微妙に変化したのをとらえた一首。
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夏の御歌の中に
〇三九二 涼みつるあまたの宿もしづまりて夜更けて白き道の辺の月(伏見院御製)
訳】夏の御歌の中に(あった歌)
〇三九二 (人々が)涼んでいたたくさんの家々も寝静まって、夜が更けるにつれて白々と辺りを照らす路傍の(夏の)月(であるよ)。
※為政者らしい、庶民の平和な眠りを詠んだ一首。
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題しらず
〇四〇八 松をはらふ風は裾野の草に落ちて夕立つ雲に雨きほふなり(京極為兼)
訳】題しらず
〇四〇八 松を(吹き)払う(激しい)風は裾野の草に落ちていき、夕方に起こり立つ(夕立)雲に雨が争う(ようにすぐさま激しく降ってくる)ことだ。
※瞬間的な自然の激しい動きを詠んだ一首。
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題しらず
〇四〇九 行きなやみ照る日くるしき山道に濡るともよしや夕立の雨(徽安門院)
訳】題しらず
〇四〇九 進むのに苦労する、照りつける日差しも苦しい山道に、濡れてもよい、夕立の雨(よ、降ってはくれないものか)。
※夏の暑さによる苦しさを詠んだ珍しい一首。
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百首御歌の中に
〇四一三 夕立の雲飛び分くる白鷺のつばさにかけて晴るる日の影(花園院御製)
訳】百首の御歌の中に(あった歌)
〇四一三 (今にも雨があがりそうな)夕立の(暗い)雲を飛ぶことでかき分けている(ように見える)白鷺の翼に合わせて晴れていく日の光(であるよ)。
※夕立雲・白鷺・日光という明暗の対比が鮮やかな一首。
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文保三年後宇多院に百首歌たてまつりける時、夏歌
〇四一四 月うつる真砂のうへの庭潦あとまで涼し夕立の雨(西園寺実兼)
訳】文保三年(一三一九年)に後宇多院に(続千載集の選歌資料として)百首歌(を)献上した時(に詠んだ)、夏歌
〇四一四 月が映っている(庭に敷き詰めた細かな)砂利の上の水たまり(に。止んだ)後まで涼しい夕立の雨(であるよ)。
※視覚からも涼しさを感じさせる一首。
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百首御歌の中に
〇四二一 空晴れて梢色こき月の夜の風におどろく蝉の一声(花園院御製)
訳】百首の御歌の中に(あった歌)
〇四二一 空が晴れて(葉が茂った)梢の色が濃い(夏の)月の夜に、夜風に驚く蝉の(鳴き声が)一声(だけ聞こえたことだよ)。
※夏の夜の静かさを破った蝉の一声を詠んだ一首。
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題しらず
〇四三一 夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞ涼しき(楊梅兼行)
訳】題しらず
〇四三一 夏の日の夕暮れ時の日光がまだ照っている(暑い)道端だけれども、ひとかたまりの雲の下にいると(影になっていて)涼しい(ことだ)。
※夏の暑さや涼しさを現実的かつ日常的な題材や状況によって描く京極派らしい一首。
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(題知らず)
〇四三九 草の末に花こそ見えね雲風も野分に似たる夕暮れの雨(永福門院)
訳】(題知らず)
〇四三九 (青々とした)草の先端には花も見えない(夏の景色である)けれども雲も風も(秋の)野分に似ている夕暮れの(激しい)雨(であるよ)。
※夏ではあるけれども秋の訪れが近いことを知らせる一首。




