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夏歌上

『玉葉和歌集』一五六首、『風雅和歌集』一四六首より。

〈玉葉和歌集〉


  名所歌の中に、大井川

〇二九七 大井川岩波はやく春暮れて筏の(とこ)に夏ぞ来にける(藤原俊成女)


訳】名所歌の中に(あった)、大井河(の歌)

〇二九七 大井川の岩波(が速く流れていくその速さのように、)早くも春が暮れて(川を下る)筏の床に夏が来たことだ。

 ※春を惜しむ気配のない珍しい一首。作者は俊成の孫で養女。


     ◆


  廉義公(れんぎこう)家歌合に

〇三〇二 卯の花の散らぬ限りは山里の木の下闇もあらじとぞ思ふ(藤原公任(きんとう)


訳】廉義公(と呼ばれた藤原頼忠公の)家(での)歌合に(提出した歌)

〇三〇二 (白い)卯の花が散らない限りは(真っ白な花の明るさが映えて)山里の木の下の暗闇というものもあるまいと思うよ。

 ※平明な表現で卯の花の白さを詠んだ一首。作者は藤原忠平の曾孫。百人一首(五五)でも有名。


     ◆


  稲荷の社ちかき所にて、夕郭公といふことを人々よみ侍りける時

〇三二八 稲荷山こえてや来つる時鳥ゆふかけてのみ声のきこゆる(源頼実(よりざね)


訳】稲荷神社の近いところで、「夕方のほととぎす」ということを人々(が)詠みました時(に詠みました歌)

〇三二八 稲荷山を越えて来たのだろうか、ほととぎすは、(稲荷神社に木綿をかけるように)夕方になってだけ(鳴く)声が聞えるよ。

 ※「ゆふ」は「夕」と神事のための「木綿」が掛けられている。『今鏡』では稲荷明神に祈請して得た歌とする。作者は頼光の孫、和歌六人党の一人。


     ◆


  百首御歌の中に

〇三四五 あやめふく茅が軒端に風過ぎてしどろに落つる村雨の露(後鳥羽院御製)


訳】(配流先の隠岐で詠まれた遠島)百首の御歌の中に(あった歌)

〇三四五 (節句の)あやめが葺かれている茅葺きの(貧しい家の)軒端に風が吹き過ぎて(その風で急に)乱れ落ちてくる村雨の雫よ。

 ※「しどろに(しどろなり)」は「しどろもどろ」の「しどろ」に同じ。『百人一首』(九九)でも知られる。


     ◆


  百首歌の中に

〇三五四 五月雨は晴れぬと見ゆる雲間より山の色こき夕暮の空(宗尊親王)


訳】(文永六年八月)百首歌の中に(あった歌)

〇三五四 五月雨は晴れたと見える、雲間から(覗く濡れた)山の色が濃い夕暮れの空よ。

 ※自然の変化を時間の微妙な推移の中に捉えた、京極派歌風の先駆的な一首。


     ◆


  檐盧橘(のきのろきつ)

〇三七四 五月雨の雲吹きすさぶ夕風に露さへかほる軒の橘(二条為道)


訳】「軒の盧橘」(という歌題で詠んだ歌)

〇三七四 五月雨の雲(を吹き払うほど)吹き荒れている夕方の風に(乗せて、雨の)露さえ(己の香りに染めて)薫らせている軒の橘(であるよ)。

 ※京極派好みの夏の清新な叙景歌と言える一首。作者は二条為世の子。


     ◆


  延喜六年、内の御屏風十二帖の歌、仰言によりて奉りける中に、鵜河

〇三七七 篝火(かがりび)のかげしうつればぬばたまの夜川の底は水も燃えけり(紀貫之)


訳】延喜六年(九〇六年)、内裏の屏風十二帖に書く和歌を、醍醐天皇のお言葉によって献上した中に(あった)、鵜河(という題で詠んだ歌)

〇三七七 (鵜飼のための)篝火の光が(水面に)映ると、真っ暗な夜の川底は水まで燃えている(ように見える)ことだ。

 ※鵜飼は幻想的ということで歌材として好まれた。


     ◆


  夏月透竹といふことを

〇三八六 さ枝もるかげぞほどなき呉竹のよわたる月の明けやすきころ(鷹司基忠)


訳】「夏の月が竹を透く」ということを(歌題として詠んだ歌)

〇三八六 小枝(の間を)洩る(月の)光はわずかな間であるよ。竹の節ほどに短い夜を渡っていく月の、明けやすい(この)ころ(は)。

 ※月光の移り行く様子を微妙な時間の推移に重ねて詠んだ一首。作者は道長の雲孫(うんそん)(八代後の子孫。道長-頼通-忠実-忠通-近衛基実-基通-家実-鷹司兼平-基忠)。


     ◆


  永仁二年五月内裏五首の歌に、野亭夏朝(やていのなつのあした)

〇三九八 草深き窓の蛍はかげ消えてあくる色ある野辺の白露(飛鳥井雅有)


訳】永仁二年(一二九四年)五月の内裏御会(で提出した)五首の歌に(あった)、野亭の夏の朝(という題で詠んだ歌)

〇三九八 草深い(庵の)窓辺を飛び交っていた蛍の光が消えて、(夜が)明けていく(光に輝く)色を見せる野辺の白露であるよ。

 ※光の違いを詠んだ一首。作者は伏見院の東宮時代の歌の師で、ほとんど同時代の人物と言えるが京極派ではない。永仁(えいにん)勅撰の議で伏見院に撰者として選ばれた四人のうちの一人(撰集開始前に薨去)。


     ◆


  千五百番歌合に

〇四〇三 軒白き月の光に山かげの闇をしたひて行く蛍かな(後鳥羽院宮内卿)


訳】千五百番歌合に(詠んだ歌)

〇四〇三 軒が月光に白く光ると、山蔭の(闇の方が良いとばかりに)闇を慕って飛んで行く(ように見える)蛍よ。

 ※光の明暗が京極派好みの一首。


     ◆


  夏歌の中に

〇四〇七 行きなやむ牛の歩みに立つ塵の風さへ暑き夏の小車(藤原定家)


訳】夏歌の中に

〇四〇七 (あまりの暑さに)行き悩んでいる(のろのろとした)牛の歩みによって立つ塵を舞い上げる風さえも暑い夏の牛車よ。

 ※王朝の美意識からは外れた、真夏の炎天下に都大路を行く牛車の暑苦しい風景を描出する異色の一首。夏の暑さをストレートに詠んだ歌は少ない。


     ◆


  題しらず

〇四一六 夕立の雲間の日影晴れ初めて山のこなたを渡る白鷺(藤原定家)


訳】題しらず

〇四一六 夕立を降らせていた雲間から日光が(差し、空が)晴れ始めて、山のこちら側を飛んでいく白鷺(が色鮮やかに見えるよ)。

 ※田園を飛ぶ白鷺の美しさを発見した一首。この美意識は京極派に受け継がれた。


     ◆


  題しらず

〇四一七 立ちのぼり南の果てに雲はあれど照る日隈なきころの大空(藤原定家)


訳】題しらず

〇四一七 立ち昇って、(遥か遠い)南の(空の)果てに雲はあるけれども、照りつける日光には曇りのないこの頃の大空であるよ。

 ※『万葉集』(一九九五)を踏まえた一首。


     ◆


  夏歌の中に

〇四二〇 入日さす峰の梢に鳴く蝉の声を残して暮るる山もと(二条為世(ためよ)


訳】夏の歌の中に(あった歌)

〇四二〇 沈もうとする夕陽(の光)が射す(まだ明るい)峰の梢で鳴いている蝉の声(だけ)を残して、暗く暮れていく(静かな)山のふもと(であるよ)。

 ※視覚と聴覚が実感を伴って詠まれた、実に京極派的な一首。


     ◆


  樹蔭納涼といふことを

〇四二四 川風に上毛吹かせてゐる鷺の涼しく見ゆる柳原かな(源仲正)


訳】「木陰の納涼」ということを(詠んだ歌)

〇四二四 川風に表面の方の羽を吹かせて(じっとして)いる鷺が涼しく見える柳の原であるよ。

 ※上の句が特に写実的な一首。作者は頼光の曾孫。


     ◆


〈風雅和歌集〉


  郭公の聞くを

〇三三二 あしびきの山時鳥深山出でて夜ぶかき月の影に鳴くなり(源実朝(さねとも)


訳】郭公が聞いたのを(詠んだ歌)

〇三三二 山にいるほととぎすが深い山の奥から出てきて、深夜の(空高く昇った月の煌々とした)月明かりの中で(晴れ晴れと)鳴いているなあ。

 ※作者は源頼朝の次男、鎌倉幕府三代将軍。 『百人一首』(九三)でも知られる。


     ◆


  延喜の御時、古今集撰びはじめられけるに、夜ふくるまで御前にさぶらふに、時鳥の鳴きければ

〇三四〇 こと夏はいかが鳴きけん時鳥こよひばかりはあらじとぞ聞く(紀貫之)


訳】醍醐天皇の御代に、『古今和歌集』を撰びはじめられた時に、夜が更けるまで(天皇の)御前にお仕えして(歌を撰んで)いたところ、ほととぎすが鳴いたので(詠んだ歌)

〇三四〇 (今年とは)異なる(年の)夏はどのように鳴いたのだろうかほととぎすは。今宵ほど(の素晴らしさ)ではなかったと聞くよ。

 ※天皇の御前で撰者たちが熱心に『古今和歌集』の撰に当たっている様子を詠んだ有名な一首。


     ◆


  夏の歌の中に

〇三八一 雨晴るる軒の雫に影みえて菖蒲にすがる夏の夜の月(九条良経)


訳】夏の歌の中に(あった歌)

〇三八一 (夜の)雨があがった(ばかりの暗い)軒の(雨だれの)雫に光が見えて(滴り落ちずに)菖蒲にすがっている(ように見えるその雫に)夏の夜の月(が映っている)。

 ※作者は道長の仍孫(じょうそん)(七代子孫。道長-頼通-師実-師通-忠実-忠通-九条兼実-良経)。『百人一首』(九一)でも知られる。


     ◆


  宝治百首歌の中に、水辺蛍

〇四〇〇 秋ちかし雲居までとやゆくほたる沢辺の水に影の乱るる(藤原俊成女)


訳】宝治(二年に詠んだ)百首の歌の中に(あった)、水辺の蛍(という題で詠んだ歌)

〇四〇〇 秋が近い。空までと(飛んで)ゆくのだろうか、蛍は。沢辺の水に(映った)光が(風に)乱れている。

 ※作者は俊成の孫で養女。


     ◆


  正治二年、後鳥羽院にたてまつりける百首歌の中に

〇四〇二 涼しやと風のたよりをたづぬれば茂みになびく野辺のさゆり葉(式子内親王)


訳】正治(しょうち)二年(一二〇〇年)、後鳥羽院に献上した百首の歌の中に(あった歌)

〇四〇二 涼しいなあと(良い香りのする)風という使者をたずねてみると、(風上の野原の)茂みに(風に)なびく笹百合の葉(と満開の花があったことだよ)。

 ※作者は後白河天皇の第三皇女。『百人一首』(八九)でも知られる。

歌を一首、入れ替えました。


     ◆


五十首歌の中に

〇三六二 杣人(そまびと)の取らぬ真木さへ流るなり丹生(にふ)の川瀬の五月雨のころ(後鳥羽院宮内卿)


訳】五十首の歌の中に(あった歌)

〇三六二 木こりが切り出していない雑木さえ流されていく丹生(にう)川の河原に五月雨が降る今この頃は。

 ※五月雨で増水した川を詠んだ一首。作者は後鳥羽院の女房で村上源氏の裔、具平親王の来孫(らいそん)(五代後の子孫。具平親王-師房-俊房-師頼-師光-宮内卿)。

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