春歌下
『玉葉和歌集』二九二首、『風雅和歌集』三〇〇首より。
〈玉葉和歌集〉
山中春望といふことを詠み侍りし
〇〇〇九 鳥の音ものどけき山の朝あけに霞の色は春めきにけり(京極為兼)
訳】山中の春望ということを詠みました(時の歌)
〇〇〇九 鳥のさえずりも(景色も)のどかな山の朝明けに霞の色は春らしくなってきたことだなあ。
※京極派らしい、聴覚と視覚に訴えた一首。作者は藤原俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為教-為兼)で京極派の創始者。
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睦月のはじめつかた雨降る日詠ませ給うける
〇〇一八 のどかにもやがてなり行くけしきかな昨日の日影今日の春雨(伏見院御製)
訳】正月の初め頃に雨が降る日にお詠みになった(歌)
〇〇一八 のどかな気分にすぐになって行く様子だなあ、昨日の(うららかな)日射し(も)、今日の(静かに降る)春雨(も)。
※下の句に京極派好みの対句的表現を使用。作者は後鳥羽天皇の玄孫(後鳥羽-土御門-御嵯峨-後深草-伏見)で前期京極派の庇護者。
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春御歌の中に
〇〇三三 なほ冴ゆる嵐は雪を吹き混ぜて夕暮れ寒き春雨の空(永福門院)
訳】春の御歌の中に(あった歌)
〇〇三三 いよいよ冷え込む強い風は雪を吹きまぜている、夕暮れの寒い春雨の空であるよ。
※三句末の「て」で時間の経過を表す京極派らしい一句。作者は西園寺実兼女。伏見院の中宮で後期京極派の指導者兼庇護者。
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春歌の中に
〇〇六一 朝明けの窓吹く風は寒けれど春にはあれや梅の香ぞする(北畠親子)
訳】春の歌の中に(あった歌)
〇〇六一 朝明けの窓に吹く風は寒いけれども(さすがに)春ではあるからか、梅の香がすることだ。
※春の寒さに梅の香りを取り合わせた一首。作者は伏見院の典侍(後に法親王を出産)。権大納言典侍・従三位親子とも。
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家に歌合し侍りし時、春雨を
〇〇八三 梅の花くれなゐにほふ夕暮れに柳なびきて春雨ぞふる(京極為兼)
訳】(乾元二年・一三〇三年に)家で歌合をしました時、春雨を(詠んだ歌)
〇〇八三 梅の花が紅色に美しく咲いている夕暮れに(緑の)柳が(風に)なびいて春雨が降る。
※色彩的な為兼代表歌の一。作者は藤原俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為教-為兼)で京極派の創始者。
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春雨を詠ませ給うける
〇〇九七 山の端も消えていくへの夕霞かすめる果ては雨になりぬる(伏見院御製)
訳】春雨をお詠みになった(歌)
〇〇九七 山の稜線も消えていくほど幾重にも重なる夕霞によって霞んでいる果ては雨になってしまったことだ。
※時間の推移とともに自然が変化していく様子をとらえた、京極派和歌の代表歌の一。作者は後鳥羽天皇の玄孫(後鳥羽-土御門-御嵯峨-後深草-伏見)で前期京極派の庇護者。
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春月を
〇一二三 雲みだれ春の夜風の吹くなへに霞める月ぞなほ霞みゆく(北畠親子)
訳】春の月を(詠んだ歌)
〇一二三 雲(が)乱れ春の夜風が吹くにつれて霞んでいる(朧)月がなおさら霞んでいく。
※早春の不安定な気候がもたらす不安感を描いた一首。作者は伏見院の典侍(後に法親王を出産)。権大納言典侍・従三位親子とも。
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(花の歌詠み侍りける中に)
〇一三二 木々の心花近からし昨日今日世はうすぐもり春雨の降る(永福門院)
訳】(花の歌を詠みました中に(あった歌))
〇一三二 木々の心では花(の咲く時が)近いらしい、昨日今日(と)世(の中)はうす曇りで(温かな)春雨が降っていることだ。
※木々の生命力を詠んだ一首。作者は西園寺実兼女。伏見院の中宮で後期京極派の指導者兼庇護者。
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春歌の中に
〇一七四 思ひそめき四の時には花の春春のうちにも曙の空(京極為兼)
訳】春の歌の中に(あった歌)
〇一七四 しみじみと強く思ったことだよ。四季のうちでは花の(咲く)春(が一番素晴らしく)、春の中では曙の空(が一番素晴らしいということを)。
※初句切れにすることで破格の力強い表現となっている一首。作者は藤原俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為教-為兼)で京極派の創始者。
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曙花を
〇一九六 山もとの鳥の声々明けそめて花もむらむら色ぞみえゆく(永福門院)
訳】曙の花を(詠んだ歌)
〇一九六 山の麓の鳥たちの(さえずる)声が(夜が)明けはじめ(ると聞こえてき)て花もあちらの花こちらの花と(群がって咲く美しい)色が見えていくことだ。
※聴覚から視覚へと展開しつつ、微妙な時間の推移を描く一首。作者は西園寺実兼女。伏見院の中宮で後期京極派の指導者兼庇護者。
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花御歌の中に
〇二〇四 咲き満てる花のかをりの夕づく日かすみてしづむ春の遠山(西園寺実兼)
訳】花の御歌の中に(あった歌)
〇二〇四 咲き満ちている山桜の白い花のためにつややかに美しく見える赤い夕日が霞に包まれながら沈んでいく春の遠方に見える山よ。
※京極派の特色である薄明の桜の美を詠んだ一首。作者は西園寺公経の曾孫。伏見院の外戚。権門歌人。
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五十番歌合に、夕花
〇二一〇 目に近き庭の桜の一木のみ霞みのこれる夕暮の色(二条道良女)
訳】五十番歌合に(提出した)、夕(方の)花(の歌)
〇二一〇 (辺り一面が霞に覆われている中で)間近に見える庭の桜の一本の木だけが霞まずに残っている夕暮れの色であるよ。
※京極派独特の美を詠んだ一首。作者は九条左大臣女。二条教良女の従姉。
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題しらず
〇二一三 入相の声する山のかげ暮れて花の木の間に月出でにけり(永福門院)
訳】題しらず
〇二一三 (夕暮れにつく)入相の鐘の音がする山陰(は日が)暮れて桜の木の間から月が出てきたことだ。
※聴覚から視覚へと展開しつつ、微妙な時間の推移を描く一首。作者は西園寺実兼女。伏見院の中宮で後期京極派の指導者兼庇護者。
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雨中春庭といふことを
〇二六六 咲き出づる八重山吹の色ぬれて桜なみよる春雨の庭(京極為子)
訳】雨の中の春の庭ということを(詠んだ歌)
〇二六六 咲きはじめる八重咲きの山吹の(花の)色(が雨に)濡れて桜(が)波(が打ち)寄せる(ように庭の端に)寄っている春雨の庭であるよ。
※『源氏物語』の野分の帖を連想させる一首。作者は為兼の姉。藤大納言典侍・京極為教女とも。
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弥生のつごもりの夜よみ侍りし
〇二九二 めぐりゆかば春にはまたも逢ふとても今日のこよひは後にしもあらじ(京極為兼)
訳】三月の最後の日の夜(に)詠みました(時の歌)
〇二九二 (月日が)めぐりゆくならば春(という季節そのもの)にはまたも出逢うことがあるとしても今日の(この)今宵(という瞬間)は未来にはあるまい。
※京極派の迫真的叙景歌創出の基盤となった、惜春の情を詠んだ一首。作者は藤原俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為教-為兼)で京極派の創始者。
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〈風雅和歌集〉
題しらず
〇〇二七 沈み果つる入日の際に現れぬ霞める山のなほ奥の峰(京極為兼)
訳】題しらず
〇〇二七 (霞んでいる山に)沈みきろうとする落日の間際に現れたよ。霞んでいる山のさらに奥の峰が。
※新しい美を発見した、為兼の代表作。類歌はない。作者は藤原俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為教-為兼)で京極派の創始者。
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(題しらず)
〇〇八四 梅が香は枕に満ちて鶯の声より明くる窓のしののめ(京極為兼)
訳】(題しらず)
〇〇八四 梅の香りは枕の辺りに満ちて(聞こえてくる)鶯の声から(夜が)明けてゆく(のを感じる)窓の(外の)夜の明けはじめであるよ。
※典型的な早春詠ではあるが、構成によって題詠では終わらないリアリティを詠んだ一首。作者は藤原俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為教-為兼)で京極派の創始者。
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百首歌中に
〇一二九 つばくらめ簾の外にあまた見えて春日のどけみ人かげもせず(光厳院御製)
訳】百首歌の中に(あった歌)
〇一二九 燕が簾の外にたくさん見えていて、春の一日ののどかさ、(辺りには)人影もない。
※勅撰集としては珍しい歌材を詠んだ一首。作者は後伏見院の第一皇子で伏見院の孫。北朝初代天皇。
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春の御歌の中に
〇一三二 なにとなき草の花さく野辺の春雲にひばりの声ものどけき(永福門院)
訳】春の御歌の中に(あった歌)
〇一三二 (足元には)特にどうということもない(名も知らぬ)草の花が咲く野辺の春、(空には)雲に(舞い上がって鳴く)ひばりの声ものどかであることだ。
※桜・藤・山吹といった「名の通った花」「伝統的な花」ではないものを歌材とした珍しい一首。作者は西園寺実兼女。伏見院の中宮で後期京極派の指導者兼庇護者。
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花の御歌の中に
〇一九三 枝もなく咲き重なれる花の色に梢も重き春の曙(伏見院御製)
訳】花の御歌の中に(あった歌)
〇一九三 枝も(見え)ないほどに咲き重なっている(盛りの桜の)花の(美しい)色に梢も(花の重みで)重そうな春の曙であるよ。
※色彩にあふれ、絵画的な一首。作者は後鳥羽天皇の玄孫(後鳥羽-土御門-御嵯峨-後深草-伏見)で前期京極派の庇護者。
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夕花を
〇一九九 花の上にしばしうつろふ夕づく日いるともなしに影消えにけり(永福門院)
訳】夕べの花を(詠んだ歌)
〇一九九 桜の花の上にしばらくの間映っている夕陽が(いつ)沈むということもなしに(いつの間にか夕陽の)光が消えてしまったなあ。
※時間の推移とともに消えていく春の夕景の美を詠んだ、京極派和歌の代表作。作者は西園寺実兼女。伏見院の中宮で後期京極派の指導者兼庇護者。
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春の歌とて
〇二四六 すみれ咲く道の芝生に花散りて遠方かすむ野辺の夕暮れ(北畠親子)
訳】春の歌ということで(詠んだ歌)
〇二四六 菫が咲いている道の芝生には(菫の)花が散っていて、遠くの方は霞んでいる野辺の夕暮れ(であるよ)。
※京極派らしい、遠近の対比を詠んだ一首。芝生・菫といった歌材も珍しい。作者は伏見院の典侍(後に法親王を出産)。権大納言典侍・従三位親子とも。
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閑庭落花を
〇二四八 つくづくと雨ふる里の庭潦散りて波よる花のうたかた(鷹司清雅)
訳】「閑庭の落花」を(歌題として詠んだ歌)
〇二四八 ぼんやりと雨が降る古里の庭の水たまり(を見ていると)、散っては(水面の波によって)一方に寄り集まっている花びらが(はかない)水の泡(のようであるよ)。
※人のいない静かな庭を詠んだ一首。作者は藤原道長の裔(道長-頼通-師実-家忠-忠宗-忠雅-兼雅-忠経-定雅-長雅-定長-清雅)。花山院清雅とも。権門歌人。
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朝藤といふ事を
〇二八五 紫の藤咲くころの朝曇り常より花の色ぞまされる(覚円)
訳】朝の藤ということを(歌題として詠んだ歌)
〇二八五 紫色の藤の花が咲くころの朝の曇り(空によって)いつもより(藤の)花の色(の鮮やかさ)が勝っている(ように感じられることだよ)。
※晩春の曇り空によって紫色がより鮮やかに見えるという細かな色彩感覚を詠んだ一首。作者は永福門院の弟。
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題知らず
〇二九一 何となく見るにも春ぞ慕はしき芝生に混じる花の色々(後伏見院御製)
訳】題知らず
〇二九一 何となく見るにつけても(過ぎ去っていく)春が(懐かしく)慕われることだ、芝生に混じ(って咲いてい)る(草)花のいろいろよ。
※山吹・藤といった伝統的な花ではなく、芝生に咲く小草花を愛でるという新しい美を発見した一首。鎌倉末期と考えれば驚くべき新しさと言える。作者は伏見院の第一皇子。永福門院は養母。




