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春歌上

『玉葉和歌集』二九二首、『風雅和歌集』三〇〇首より。

〈玉葉和歌集〉


  春たつ日よめる

〇〇〇一 今日に明けて昨日に似ぬはみな人の心に春の立ちにけらしも(紀貫之)


訳】立春の日に詠んだ(歌)

〇〇〇一 今日(立春の日)に(夜が)明けて(立春の今日が)昨日に似ていない(=昨日とは違って感じる)のはすべての人の心に立春という春がやってきてしまったらしいなあ。

 ※『貫之集』(四一一)からの改作。作者は武内宿禰の裔(武内宿禰(建内宿禰)-紀角-(田鳥or白城or角)-小弓-大磐-小足-塩手-大口-大人-麻呂-猿取-船守-勝長-興道-本道-望行-貫之)。『古今和歌集』仮名序・『土佐日記』の著者であり、『百人一首』(三五)でも知られる。専業歌人。


     ◆


  春の夜、雨の降り侍りけるに

〇〇一四 夜もすがら思ひやるかな春雨に野辺の若菜のいかに萌ゆらむ(具平(ともひら)親王)


訳】春の夜、雨が降りましたところに(詠んだ歌)

〇〇一四 夜通し気にかけることだなあ。春雨に野原の若菜がどれほど(青々と)芽吹くだろうかと。

 ※京極派好みの自然詠と言える。作者は村上天皇の第七皇子。諸芸に通じ、その博学多識ぶりは類を見ないと言われた。


     ◆


  禖子(ばいし)内親王家庚申の歌合に、若草を

〇〇一六 雪まぜにむらむら見えし若草のなべて(みどり)になりにけるかな(出羽弁(いでわのべん)


訳】(後朱雀天皇の第四皇女である)禖子(ばいし)内親王家での庚申の歌合に、若草を(詠んだ歌)

〇〇一六 (残っている)雪と混ざってまだらに見えた若草が、一面に緑色になってしまったなあ。

 ※「むらむら」(=まばらに・まだらに)は京極派好みの語。作者は平季信(すえのぶ)女。初め、一条天皇中宮彰子に仕え、のちにその妹の後一条天皇中宮威子、その娘の章子内親王、禖子(ばいし)内親王などに仕えた。


     ◆


  竹間鶯といふ事を

〇〇五二 窓近き竹の葉風も春めきて千代の声ある宿の鶯(北条貞時)


訳】竹の間の鶯ということを(詠んだ歌)

〇〇五二 窓に近い竹の葉を吹く風も春めいて「ちよ、ちよ」と(まるで千代の春を寿いでいるかのような)鳴き声を上げる(我が)宿の鶯であるよ。

 ※関東武家歌人の一人。北条時宗の嫡男。ほとんど同時代の人物と言えるが京極派ではない。


     ◆


  春歌の中に

〇〇六二 白雪に降り隠さるる梅の花人知れずこそ匂ふべらなれ(紀貫之)


訳】春の歌の中に(あった歌)

〇〇六二 (降り積もっている)白雪に降り(続けることで)隠されている梅の花(は)人知れず(ひっそりとその香が)匂っているようであるよ。

 ※『貫之集』では冬の歌に分類されている一首。作者は武内宿禰の裔(武内宿禰(建内宿禰)-紀角-(田鳥or白城or角)-小弓-大磐-小足-塩手-大口-大人-麻呂-猿取-船守-勝長-興道-本道-望行-貫之)。『古今和歌集』仮名序・『土佐日記』の著者であり、『百人一首』(三五)でも知られる。専業歌人。


     ◆


  二条院御時、梅花遠薫といへる事を

〇〇七三 梅の花咲かぬ垣根も匂ふかなよその梢に風や吹くらん(藤原長方(ながかた)


訳】二条院の御代に、「梅の花が遠く薫る」ということを(歌題として詠んだ歌)

〇〇七三 梅の花が咲いていない垣根も(かぐわしい花の香りが)薫ることだ、遠く離れたところの(梅の)梢に(春の)風が吹いているのだろうか。

 ※家集に『長方集』がある。作者は藤原俊成の甥(俊成の姉妹の子)で藤原定家の従兄に当たる。


     ◆


  三十首歌の中に

〇〇八二 梅が枝のしぼめる花に露落ちて匂ひ残れる春雨のころ(宗尊(むねたか)親王)


訳】三十首の歌の中に(あった歌)

〇〇八二 梅の枝の、しおれている花に露が落ちて、(濡れた梅の花の)匂いが残っている春雨の頃よ。

 ※『古今集』仮名序の在原業平評(在原業平はその心余りて詞足らず、しぼめる花の色なくて匂ひ残れるが如し)に基づいて詠まれた一首。作者は後嵯峨天皇の第一皇子、鎌倉幕府六代将軍。万葉ぶりの歌を含む平明真率な作風で、京極派の先駆者的存在ととらえられている。


     ◆


  後京極摂政、家に六百番歌合し侍りけるに、雲雀を詠み侍りける

〇一一一 末遠き若葉の芝生うちなびき雲雀鳴く野の春の夕暮れ(藤原定家)


訳】後京極摂政(と呼ばれた九条良経が)、家で六百番歌合(を)しました時に、雲雀を詠みました(歌)

〇一一一 若葉の芝生が(春風に)なびき、雲雀が鳴く野の春の夕暮れ(であるよ)。

 ※芝生・雲雀という勅撰集では珍しい歌材を詠み込んだ一首。歌材として京極派に受け継がれる。作者は為兼の曽祖父。『新古今和歌集』の撰者の一人であり、『百人一首』(九七)でも知られる。


     ◆


  西行法師勧め侍りける百首歌の中に

〇一一九 朝凪に行きかふ舟のけしきまで春を浮かぶる波の上かな(藤原定家)


訳】西行法師(が私に詠むよう)勧めました百首歌の中に(あった歌)

〇一一九 朝凪(の海)に行きかう舟の様子までが春らしさを浮かべている波の上であるよ。

 ※『万葉集』(三三〇一)を本歌取りした一首。作者は為兼の曽祖父。『新古今和歌集』の撰者の一人であり、『百人一首』(九七)でも知られる。


     ◆


  しづかならんと思ひ侍るころ、花見に人々詣で来たりければ

〇一四四 花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の(とが)にはありける(西行法師)


訳】閑居していようと思います頃に、花見に人々がやってきたので(詠んだ歌)

〇一四四 花見にということで群れながら人々が来ることだけが、惜しいことに桜の欠点であることだ。

 ※桜に人が群がってしまうのを桜の欠点とする一首。逆説的に他に欠点はないとも読める。作者は藤原不比等の裔(藤原不比等-房前-魚名-藤成-豊沢-村雄-秀郷-千常-文脩-文行-公光-佐藤公清-季清-康清-西行)。『山家集』を書いたことで知られ、『新古今和歌集』入集数第一位(九十二首)・『百人一首』(八六)でも知られる。


     ◆


  後京極摂政左大将に侍りける時、家に六百番歌合し侍りけるに、春曙

〇一九五 霞かは花鶯に閉ぢられて春に籠もれる宿の曙(藤原定家)


訳】(九条良経が)後京極摂政左大将でありました時(に)、家で六百番歌合(を)しました時に、春の曙(を詠んだ歌)

〇一九五 霞のせいだろうか(いや、そうではないだろう)、(咲いている)花と(鳴いている)鶯によって閉じ込められて、春(という季節そのもの)に閉じこもっている(私の)家の(この春の)曙(であるよ)。

 ※「春曙の述懐の記念碑的な詠作」(by中川博夫)。作者は為兼の曽祖父。『新古今和歌集』の撰者の一人であり、『百人一首』(九七)でも知られる。


     ◆


  建保(けんぽう)五年四月庚申(かのえさる)に、春の夜

〇二一一 山の端の月待つ空のにほふより花に背くる春のともし火(藤原定家)


訳】建保五年(一二一七年)四月の庚申(の夜の歌会)に、春の夜(の題で詠んだ歌)

〇二一一 山の端に出てくる月を待つ空が、ほのかに明るくなってくると(月の光で花を観賞するために)花を避けて(壁の方に)背ける春の灯火(であるよ)。

 ※白居易の漢詩「春夜」を和歌化した一首。作者は為兼の曽祖父。『新古今和歌集』の撰者の一人であり、『百人一首』(九七)でも知られる。


     ◆


  春歌の中に

〇二二一 山深き谷吹きのぼる春風に浮きてあまぎる花の白雪(藤原為家)


訳】春の歌の中に(あった歌)

〇二二一 深い山の谷から吹き上げる春風に浮かび上がり、霧のように空を曇らせて舞う白雪のような落花よ。

 ※自然の動きをよくとらえた構図の大きな一首。作者は為兼の祖父で定家の子。


     ◆


  賀茂社へよみてたてまつりける百首歌に、やまぶきを

〇二七〇 桜ちり春の暮れゆく物思ひも忘られぬべき山吹の花(藤原俊成)


訳】賀茂神社へ詠んで献上した百首歌に(あった)、やまぶきを(詠んだ歌)

〇二七〇 桜が散り、春が暮れてゆく憂鬱さも、きっと忘れてしまうに違いない(ほど美しい)山吹の花であるよ。

 ※桜は桜、山吹は山吹で詠まれることが多いが、桜と取り合わせられたことで山吹がいかに王朝人に愛されたかが分かる一首。作者は為兼の高祖父(藤原俊成-定家-為家-京極為教-為兼)。『千載和歌集』の撰者であり、『百人一首』(八三)でも知られる。


     ◆


 春日社へ奉りける百首歌中に、三月尽(さんぐゎつじん)の心を

〇二九〇 年を経て春の惜しさはまされども老いは月日の早くもあるかな(藤原俊成)


訳】春日大社へ奉った百首歌の中に(あった)、(「陰暦三月(=春)が終わること」を意味する)「三月尽(さんがつじん)」の心を(詠んだ歌)

〇二九〇 年月を経て(行く)春の惜しさは募るけれども、老い(というもの)は月日の(過ぎるのが何とも)早く感じることだな。

 ※現代にも通じる普遍的な心情を詠んだ一首。作者は為兼の高祖父(藤原俊成-定家-為家-京極為教-為兼)。『千載和歌集』の撰者であり、『百人一首』(八三)でも知られる。


     ◆


〈風雅和歌集〉


  題知らず

〇〇〇九 なにとなく心ぞとまる山の端に今年見そむる三か月の影(藤原定家)


訳】題知らず

〇〇〇九 何ということなく心が惹かれる、今年初めて見る(正月三日の)山の稜線(の辺り)の三日月の光に。

 ※「清新な感覚を持った秀歌」(by井上宗雄)。定家二十五歳の作。作者は為兼の曾祖父。『新古今和歌集』の撰者の一人であり、『百人一首』(九七)でも知られる。


     ◆


  題しらず

〇〇一四 春山の佐紀野(さきの)のすぐろかき分けて摘める若菜にあは雪ぞふる(藤原基俊)


訳】題しらず

〇〇一四 春の(草花が咲いている)佐紀山の(南側に広がる)佐紀野の野焼きで黒くなった草をかき分けて摘んだ若菜に淡雪が降る。

 ※歌材として珍しい「すぐろ」(=野焼きのあとの黒く焦げた草木)を詠むことで、すぐろの黒、若菜の緑、雪の白の三色を取り合わせた一首。作者は道長の曾孫、源俊頼と並ぶ院政期歌壇の重鎮で、俊成の師。


     ◆


  山花を

〇二〇二 盛りなる峰の桜のひとつ色に霞も白き花の夕映え(飛鳥井雅孝)


訳】山の花を(詠んだ歌)

〇二〇二 真っ盛りである峰の桜と一つの色に(溶け合って)霞も白い、桜の花の夕日の美しさ(であるよ)。

 ※伝統的に「白菊」のような形でのみ色名表現をしてきた勅撰集の中で、「白し」と色を形容詞で説明するという勅撰集では極めて異色の色名の表現形態をとっている一首。作者は飛鳥井雅有の甥で猶子(ゆうし)(=家督相続を前提としない養子)。京極派歌人ではないが、京極派歌壇からは重視された。


     ◆


  (花の歌に中に)

〇二五四 散る花は浮草ながら片寄りて池のみさびにかはづ鳴くなり(二条為実)


訳】(花の歌の中に(あった歌))

〇二五四 (古池に)散る(桜の)花は浮草と一緒になって(池の)片方に寄っていて、(その)池の(表面に浮かぶ)錆(のようなもの)の辺りには(水錆を散らさずにひっそりと)蛙が鳴く(声が聞こえる)のである。 

 ※散る花の動きと、静かな蛙の対比を詠んだ一首。作者は俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為氏-為実)で為兼の従弟。二条派的歌人。


     ◆


  題知らず

〇二六一 おもだかや下葉にまじるかきつばた花踏み分けてあさる白鷺(藤原定家)


訳】題知らず

〇二六一 (水辺に)おもだかが群生しているなあ。(おもだかの緑の)下葉(の辺り)に混じって見える(青い)かきつばたの花を(白く長い脚で)踏み分けて(白く長い首を上下させながら餌を)あさる白鷺がいるよ。

 ※緑・青・白と、色の対比を詠んだ一首。作者は為兼の曾祖父。『新古今和歌集』の撰者の一人であり、『百人一首』(九七)でも知られる。

歌を一首、入れ替えました。


     ◆


  春歌の中に

〇二六七 雪とのみ桜は散れる木の下に色変へて咲く山吹の花(二条為世)


訳】春の歌の中に(あった歌)

〇二六七 雪とばかりに桜は散っている(花びらで一面真っ白な)木の下で(桜の花びらの白さとは)色を変えて(山吹色に)咲く山吹の花よ。

 ※「色変へて」は「色変へで」説もあり。作者は俊成の玄孫(藤原俊成-定家-為家-為氏-為世)で為兼の従兄。為兼の永遠のライバルで二条派の御曹司。永仁(えいにん)勅撰の議で伏見院に撰者として選ばれた四人のうちの一人(撰集開始前に辞退)。

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