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頁018

古文】これに立ち並ばんと向かへる人々の、/

語釈】

※これ=『万葉集』のこと。

※立ち並ば(立ち並ぶ)=①立って並ぶ・並ぶ。②匹敵する・肩を並べる・同じほどになる。

訳文】これに肩を並べようと(『万葉集』に)向き合っている(歌人の)人々が、



古文】心を先として(ことば)を欲しきまま/

語釈】

※欲しき(欲し)=①得たい。欲しい。②そうありたいと思う。願わしい。

訳文】(歌を詠むのに不可欠な歌を詠もうという)心を優先して(歌を詠むための)言葉を思いのまま



古文】にする時、同じことをも詠み、先達の/

語釈】

※先達=①修行・学問などで、先に道に達すること・また、その人・先人・先輩。②修験道で、他の修験者を先導すること・また、その人。③案内者・指導者。

訳文】に使う場合(に)、(一首の中に)同じ言葉をも詠んだり、先人の



古文】詠まぬ(ことば)をも憚るところなく詠める/

語釈】

※詠まぬ(ことば)=歌語として使用しなかった言葉のこと。

※憚る=遠慮する・気がねする・嫌がる。

訳文】詠まなかった言葉をも遠慮するということなく詠んでしまった(という)



古文】ことは、入道皇太后宮大夫(だいぶ)俊成、京極/

語釈】

※入道=①仏道に入って修行すること。また、その人。出家。②髪をそり僧衣を着ているが、在俗のままで仏に仕え、寺に入っていない者。平安時代の天皇・皇族・貴族など身分の高い人にいうことが多く、多くは法名を付けた。

※皇太后宮大夫(だいぶ)=皇太后宮の長官。

※入道皇太后宮大夫(だいぶ)俊成=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての公家で歌人、藤原俊成のこと。筆者である為兼の高祖父。七番目の勅撰和歌集である『千載和歌集』の選者であり、百人一首83番歌「世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」でも知られる。最終官位が正三位・皇太后宮大夫であったことによる。(藤原)俊成-定家-為家-(京極)為教-為兼。

※京極=平安京の東西両端をそれぞれ南北に通る大路。東京極大路と西京極大路がある。

※中納言=令外の官の一。太政官の次官。大納言に次ぐ。中国風の呼び名は「黄門」。

※京極入道中納言=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての公家で歌人、藤原定家のこと。藤原俊成の子。筆者である為兼の曽祖父。八番目の勅撰和歌集である『新古今和歌集』の選者であり、百人一首97番歌「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」でも知られる。邸宅が京極殿(きょうごくどの)と呼ばれたことから京極殿または京極中納言と呼ばれた。

※京極殿=平安京の東京極大路に面した邸宅の汎称。

訳文】ことは、入道皇太后宮大夫(だいぶ)(と呼ばれた)俊成、京極



古文】入道中納言、西行、慈鎮和尚(じちんくゎしゃう)など

語釈】

※入道=①仏道に入って修行すること。また、その人。出家。②髪をそり僧衣を着ているが、在俗のままで仏に仕え、寺に入っていない者。平安時代の天皇・皇族・貴族など身分の高い人にいうことが多く、多くは法名を付けた。

※京極=平安京の東西両端をそれぞれ南北に通る大路。

※中納言=令外の官の一。太政官の次官。大納言に次ぐ。中国風の呼び名は「黄門」。

※京極入道中納言=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての公家で歌人、藤原定家のこと。藤原俊成の子。筆者である為兼の曽祖父。八番目の勅撰和歌集である『新古今和歌集』の選者であり、百人一首97番歌「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」でも知られる。邸宅が京極殿(きょうごくどの)と呼ばれたことから京極殿または京極中納言と呼ばれた。

※京極殿=京都の東京極大路に面した邸宅の汎称。

※西行=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての僧で歌人。西行法師とも。百人一首86番歌「嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな」でも知られ、私家集である『山家集(さんかしゅう)』が名高い。

慈鎮和尚(じちんくゎしゃう)=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての僧で歌人、慈円のこと。慈鎮和尚(じちんかしょう)諡号(しごう)(=死後に与えられたおくり名)。百人一首95番歌「おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖」でも知られる。

訳文】入道中納言(と呼ばれた定家)、西行、(死後に)慈鎮和尚(と呼ばれた慈円)など



古文】ま/で殊に多し。されば五条入道が、/

語釈】

※殊に=とりわけ・特に。

※されば=そうであるから。そうだから。それゆえ。だから。

※五条入道=藤原俊成の通称。五条三位、五条入道三位、岡崎三位とも。

訳文】(に至る)まで殊更に多い。そうであるから五条入道(と呼ばれた俊成)が(「思へば」を一首の中に二度入れた)、



古文】「思へば夢ぞあはれなるうき世

語釈】

※思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりのまどひと思へば=「見てもまた思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりの惑ひと思へば」【俊成五社百首しゅんぜいごしゃひゃくしゅ・住吉・三九七番歌】の一部を切り取ったもの。

俊成五社百首しゅんぜいごしゃひゃくしゅ=文治六年(1190年)に藤原俊成が自作の百首歌を伊勢太神宮・賀茂御社・春日社・住吉社・日吉社の五つの神社にそれぞれ奉納したもの。俊成は独詠では生涯で三度、七種の百首歌を遺している。

訳文】「(見てもまた)思へば夢ぞあはれなるうき世



古文】 ば/かりの惑ひと思へば」/

語釈】

※思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりのまどひと思へば=「見てもまた思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりの惑ひと思へば」【俊成五社百首しゅんぜいごしゃひゃくしゅ・住吉・三九七番歌】の一部を切り取ったもの。

俊成五社百首しゅんぜいごしゃひゃくしゅ=文治六年(1190年)に藤原俊成が自作の百首歌を伊勢太神宮・賀茂御社・春日社・住吉社・日吉社の五つの神社にそれぞれ奉納したもの。俊成は独詠では生涯で三度、七種の百首歌を遺している。

訳文】 ばかりの惑ひと思へば」



古文】とも詠み、「暦を巻き返して/

語釈】

※暦を巻き返してなほ春と思はばや=「今日くれぬ夏の暦を巻き返しなほ春ぞとも思ひなさばや」(俊成五社百首しゅんぜいごしゃひゃくしゅ・伊勢・20)のこと。

訳文】とも詠み、「暦を巻き返して

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