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古文】これに立ち並ばんと向かへる人々の、/
語釈】
※これ=『万葉集』のこと。
※立ち並ば(立ち並ぶ)=①立って並ぶ・並ぶ。②匹敵する・肩を並べる・同じほどになる。
訳文】これに肩を並べようと(『万葉集』に)向き合っている(歌人の)人々が、
古文】心を先として詞を欲しきまま/
語釈】
※欲しき(欲し)=①得たい。欲しい。②そうありたいと思う。願わしい。
訳文】(歌を詠むのに不可欠な歌を詠もうという)心を優先して(歌を詠むための)言葉を思いのまま
古文】にする時、同じことをも詠み、先達の/
語釈】
※先達=①修行・学問などで、先に道に達すること・また、その人・先人・先輩。②修験道で、他の修験者を先導すること・また、その人。③案内者・指導者。
訳文】に使う場合(に)、(一首の中に)同じ言葉をも詠んだり、先人の
古文】詠まぬ詞をも憚るところなく詠める/
語釈】
※詠まぬ詞=歌語として使用しなかった言葉のこと。
※憚る=遠慮する・気がねする・嫌がる。
訳文】詠まなかった言葉をも遠慮するということなく詠んでしまった(という)
古文】ことは、入道皇太后宮大夫俊成、京極/
語釈】
※入道=①仏道に入って修行すること。また、その人。出家。②髪をそり僧衣を着ているが、在俗のままで仏に仕え、寺に入っていない者。平安時代の天皇・皇族・貴族など身分の高い人にいうことが多く、多くは法名を付けた。
※皇太后宮大夫=皇太后宮の長官。
※入道皇太后宮大夫俊成=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての公家で歌人、藤原俊成のこと。筆者である為兼の高祖父。七番目の勅撰和歌集である『千載和歌集』の選者であり、百人一首83番歌「世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」でも知られる。最終官位が正三位・皇太后宮大夫であったことによる。(藤原)俊成-定家-為家-(京極)為教-為兼。
※京極=平安京の東西両端をそれぞれ南北に通る大路。東京極大路と西京極大路がある。
※中納言=令外の官の一。太政官の次官。大納言に次ぐ。中国風の呼び名は「黄門」。
※京極入道中納言=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての公家で歌人、藤原定家のこと。藤原俊成の子。筆者である為兼の曽祖父。八番目の勅撰和歌集である『新古今和歌集』の選者であり、百人一首97番歌「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」でも知られる。邸宅が京極殿と呼ばれたことから京極殿または京極中納言と呼ばれた。
※京極殿=平安京の東京極大路に面した邸宅の汎称。
訳文】ことは、入道皇太后宮大夫(と呼ばれた)俊成、京極
古文】入道中納言、西行、慈鎮和尚など
語釈】
※入道=①仏道に入って修行すること。また、その人。出家。②髪をそり僧衣を着ているが、在俗のままで仏に仕え、寺に入っていない者。平安時代の天皇・皇族・貴族など身分の高い人にいうことが多く、多くは法名を付けた。
※京極=平安京の東西両端をそれぞれ南北に通る大路。
※中納言=令外の官の一。太政官の次官。大納言に次ぐ。中国風の呼び名は「黄門」。
※京極入道中納言=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての公家で歌人、藤原定家のこと。藤原俊成の子。筆者である為兼の曽祖父。八番目の勅撰和歌集である『新古今和歌集』の選者であり、百人一首97番歌「来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」でも知られる。邸宅が京極殿と呼ばれたことから京極殿または京極中納言と呼ばれた。
※京極殿=京都の東京極大路に面した邸宅の汎称。
※西行=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての僧で歌人。西行法師とも。百人一首86番歌「嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな」でも知られ、私家集である『山家集』が名高い。
※慈鎮和尚=平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての僧で歌人、慈円のこと。慈鎮和尚は諡号(=死後に与えられたおくり名)。百人一首95番歌「おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖」でも知られる。
訳文】入道中納言(と呼ばれた定家)、西行、(死後に)慈鎮和尚(と呼ばれた慈円)など
古文】ま/で殊に多し。されば五条入道が、/
語釈】
※殊に=とりわけ・特に。
※されば=そうであるから。そうだから。それゆえ。だから。
※五条入道=藤原俊成の通称。五条三位、五条入道三位、岡崎三位とも。
訳文】(に至る)まで殊更に多い。そうであるから五条入道(と呼ばれた俊成)が(「思へば」を一首の中に二度入れた)、
古文】「思へば夢ぞあはれなるうき世
語釈】
※思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりのまどひと思へば=「見てもまた思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりの惑ひと思へば」【俊成五社百首・住吉・三九七番歌】の一部を切り取ったもの。
※俊成五社百首=文治六年(1190年)に藤原俊成が自作の百首歌を伊勢太神宮・賀茂御社・春日社・住吉社・日吉社の五つの神社にそれぞれ奉納したもの。俊成は独詠では生涯で三度、七種の百首歌を遺している。
訳文】「(見てもまた)思へば夢ぞあはれなるうき世
古文】 ば/かりの惑ひと思へば」/
語釈】
※思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりのまどひと思へば=「見てもまた思へば夢ぞあはれなるうき世ばかりの惑ひと思へば」【俊成五社百首・住吉・三九七番歌】の一部を切り取ったもの。
※俊成五社百首=文治六年(1190年)に藤原俊成が自作の百首歌を伊勢太神宮・賀茂御社・春日社・住吉社・日吉社の五つの神社にそれぞれ奉納したもの。俊成は独詠では生涯で三度、七種の百首歌を遺している。
訳文】 ばかりの惑ひと思へば」
古文】とも詠み、「暦を巻き返して/
語釈】
※暦を巻き返してなほ春と思はばや=「今日くれぬ夏の暦を巻き返しなほ春ぞとも思ひなさばや」(俊成五社百首・伊勢・20)のこと。
訳文】とも詠み、「暦を巻き返して




