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17.興味

 騒がしい食堂の雰囲気に落ち着かず、温かいスープを口に運びながら周囲に視線を巡らせる。すると、程近い席に座っている蜂蜜色の髪の近衛騎士と目が合った。

 偶然に、というよりは、きっと今まで彼に観察されていたのだろう。けれど、彼は悪びれた様子もなく、目が合ったことが嬉しいとばかりに、人の良い笑顔を浮かべながら手を振ってくる。

 食堂に着くまで、彼は私とアルベルト様の会話を取り持つように話しかけてきた。お堅い騎士団の印象を覆すような砕けた口調で話し、何度かアルベルト様から馴れ馴れし過ぎると小突かれながら、それでもめげることなく陽気に振る舞う彼を見ていると、これまで暗く沈みがちだった気持ちが少し楽になった。

 ニコル・ライドネス。それが、彼の名前だった。何代にも渡って騎士を輩出しているライドネスという名の子爵家があるので、きっと彼はその一門なのだろう。

 ……手を振り返さないといけないかしら。

 そう思って手を挙げかけた時、彼の隣にすわっているアルベルト様に何か注意をされたようで、彼は肩を竦めてこちらに目配せすると、視線を騎士仲間の方に向けた。

 彼らが囲んでいるテーブルとその周辺には、近衛騎士や他の隊に所属する騎士が固まっている。食堂の内部はかなり広いけれど、その中でも騎士や衛兵、侍女に女官などのように職別で座るテーブルが決まっているらしい。

 食堂の利用方法について懇切丁寧に説明してくれたのもニコルだった。その傍で不機嫌に黙り込んだままだったアルベルト様は、私が侍女用のテーブルに向かう前に案内してくれたお礼を言うと、片手を挙げて小さく頷いただけだった。

 ドレイク侯爵家の夜会で助けて貰ったことや、オーレンが来るまで見守っていてくれたお礼。それから感情のままに詰ってしまったことへの謝罪。アルベルト様に会うことがあれば言わなければと思っていたのだけれど、それはとても彼の部下が幾人もいる前で口にすることはできなかった。言えば、何があったのか彼らに興味を抱かせてしまい、結果として詮索されるアルベルト様に迷惑が掛かってしまう。

 私よりも随分早いペースで夕食を終えた近衛騎士の方々は、一斉に立ち上がった。

「それじゃあ、お先に失礼します」

 わざわざ私の近くまで来て軽く会釈していったニコルを待つようにこちらを見ていたアルベルト様と一瞬、目が合った。けれど、私が会釈を返そうと立ち上がりかけた時には、彼は踵を返してこちらに背を向けていた。

 ――アルベルトが母親のせいであなたを誤解していたのだとしたら?

 オーレンの言葉が脳裏を過る。

 今でも、アルベルト様は私の事を、権力に媚びへつらう底意地の悪い女だと思っているのだろうか。

 アルベルト様に訊いてみたい。私はあなたのお母様に恨まれているようだから、悪口を吹き込まれていたのではないですか、と。

 そんな、できるはずもないことを思いめぐらせながら、白銀の制服を着たその後ろ姿が食堂から消えるまで、私はその姿を見つめていた。



 私が食事を終える頃、制服を着た数人の侍女達が食堂へやってきた。

 席を立ち、近づいていって挨拶する。お仕えしている主の部屋から直接夕食をとりに来たという彼女らは、王妃陛下や王女殿下の侍女だった。もう少しすれば王太子妃殿下の侍女も仕事を終えてやってくるだろうと教えられ、それならばここで挨拶しようと彼女達を待つことにした。

「でも、あなた、大変ね」

 食事をしている侍女達の傍に腰掛けてお茶を飲んでいると、不意にその中の一人にそう言われて首を傾げる。

「王太子妃殿下は異国の方でしょう? ……しかも、ここだけの話、王太子殿下のご寵愛も薄れているそうじゃない?」

「えっ……?」

 王太子ご夫妻の関係が良好ではないという話は、これまで耳にしたこともない。驚きを隠せない私に、別の侍女が嘆息する。

「第二王子の婚約者でいらっしゃるアリアンナ様と比べても、見劣りするのは否めないわ。それがご自分でも分かっていらっしゃるから、苛立って周囲に辛く当たられるのだそうよ」

「だから、嫌になって他の部署に移動願を出したり、辞めていったりする子もいるのよ」

「ご自分の国から連れてきた侍女が身体を悪くしたのも、ストレスが原因よ、きっと」

「昨日も突然、侍女の配置換えがあって、王太子妃殿下の侍女が一度に三人も他部署へ異動になったんですって」

 口々に語られる内情に、ただただ唖然とするばかりだった。主となる王太子妃殿下にお会いする前から、とんでもない情報を耳にしてしまったと眩暈を起こしそうになる。

 その後、王女殿下やアリアンナ様にお仕えする侍女達は現れたものの、王太子妃殿下の侍女達はなかなか食堂に現れなかった。

「異動があったばかりで、人手が足りずにまだ仕事が終わらないのだと思うわ。あなたは明日に備えて、もう部屋に戻って休んだ方がいいわよ」

 とある年配の侍女に諭されるようにそう言われ、諦めて仕方なく席を立った。



 食堂から出ると、近くの木にもたれていた人物が幹から背を離し、こちらに手を振りながら近づいてくる。

「やあ。随分とゆっくりな食事でしたね」

「まさか、待っていてくださったのですか?」

「副隊長から、慣れない夜道は危険だろうから、寮まで送るように言われたのですよ」

「まあ。それでは、随分とお待たせしてしまいましたね」

 恐縮する私に、ニコルは気にしないでくださいと笑顔で応えると、私の隣に並んで歩き始めた。

 アルベルト様が、私の事を心配してくれている……?

 ドレイク侯爵家での夜会の時も、危険な男から私を助けてくれて、庭に逃げた私をオーレンが来るまで見守ってくれていた。

 私に良い感情を持っていなくても、もしかしたらアルベルト様は、幼い頃から婚約者だった私に、多少なりとも情はあるのかも知れない。私が、アルベルト様が不幸になるのを望んでいないように、彼も私が不幸になるのを望んではいないと、そう思ってもいいのだろうか。

 何とも言えない苦い感情が胸に広がっていく。

 今更気を遣われたところで、嬉しいだなんて思えない。寧ろ、こうやってアルベルト様に借りを作ることで、後ろめたい気持ちになる。

 私は、オーレンと共にアルベルト様とリリィ嬢に復讐しようとしていたのに。私の幸せな姿を見せつけ、婚約破棄したことを後悔させ、よりを戻そうとしてきたら思い切り突き放してやるつもりだったのに。

 一人だけ絶望して泣いて、見返してやろうなんて張り切って、上手くいかなくて落ち込んで。それなのに敵に哀れまれて情けをかけられるなんて、本当に馬鹿みたいじゃない。

 自嘲気味な笑みを浮かべると、ニコルに不審げな視線を向けられたので、慌てて別の話題を振った。

「ニコル様、お仕事はよろしいのですか?」

 夕食を食堂でとったということは、彼らはこれから夜勤なのではないだろうか。それなのに、こんなところで新米侍女の世話を焼いていていいのだろうか。

 すると、ニコルはきょとんとした後、不思議そうな笑みを浮かべた。

「今日の勤務は終わりました。後は、寮に帰って寝るだけですよ」

「そうなのですか」

 ふと疑問が脳裏を過った。彼の上司であるアルベルト様も、食堂で夕食をとっていた。今日の勤務が終わっているのなら、何故侯爵家に帰って食事をとらないのだろう。

 食堂の食事は、貴族出身の騎士や侍女も利用する為、それなりの品も提供されている。それでも、伝統と格式のあるリッツスタール侯爵家のディナーに比べれば、お粗末だと言わざるを得ない。

「食堂の食事はどうでした?」

「ええ、まあ……」

「でしょうね。でも、寮生活をするなら、どうしても食事は食堂でとることになる。でも、すぐに慣れますよ。食事の内容にも、あんなに人の多い賑やかな場所で食べることにも」

「ニコル様も、最初は戸惑いましたか?」

「私は、貴族とは言えさほど裕福ではなかったし、家族も多かったから別に戸惑ったりはしませんでしたね。それに、私達騎士は見習いになった時点で寮生活を送ることになっていますから、もうすっかり慣れてしまいました」

「でも、正騎士になれば家からの通勤が認められるでしょう?」

 勿論、私の兄のように、毎日家から通うのは面倒くさいと寮生活を続けている変わり者がいるのは知っている。ニコルもそうなのだろうか。

「私のように兄弟が多くて実家に居場所のない者や、地方出身の者はずっと寮生活のままです。それに、副隊長のようにご実家から通われていても、また寮生活に切り替える方もいらっしゃるし」

「え……?」

 ということは、アルベルト様も今、寮で暮らしているということ……?

 確か、私とまだ婚約状態であった頃、正騎士となったアルベルト様は騎士寮を引き払って侯爵家で生活するようになっていた。

 いつの間に、また騎士寮で生活するようになったのだろうか。王宮の騎士寮で暮らしているということは、リリィ嬢とはいつ会っているのだろう。もしかして、夜会に出席する時ぐらいしか会っていないのだろうか。

「どうして、また寮に戻られたのでしょう」

 思わずそう訊ねてしまってから、慌てて口を噤んだけれど、もう後の祭りだった。

「……気になりますか?」

 ニコルの顔から人の良い笑みが消えた。

 訝し気に目を細める彼に、咄嗟にいいえ、と首を横に振ったけれど、本当はその理由に興味はあった。ただ、婚約破棄された身としては、あまりアルベルト様の事を知りたがるのは良くないような気がしたのだ。

 すると、ニコルはフッと小さく息を吐いた。

「そうでしょうね。あなたは婚約していた時から、副隊長にあまり興味があるようには見えませんでしたから」

「……え?」

 訝し気な表情を浮かべる私に、ニコルは気を悪くしたらすみません、と苦笑いを浮かべた。

「あなたは副隊長と夜会に参加しても、一曲だけ踊ったら義務は果たしたとばかりにすぐに傍から離れ、行動を共にすることもなかったでしょう? 副隊長はあんな風だから分かりにくいかも知れませんが、自分は好かれていないようだと気にしていたんですよ」

 ズン、と胸に重い痛みが走った。

 だってそれは、アルベルト様の邪魔になってはいけないと思っていたから。私が傍にいていいのなら、そう言ってくれると、傍に招き寄せてくれるはずだと。そうしないということは、アルベルト様はご友人方や同僚の方との会話に私を参加させたくはないのだ。そう思っていたから。

 ……私は、ずっと自分が一方的に被害者だと思っていた。婚約者なのに無関心だったアルベルト様に、祖父や叔母への恨みから私達の仲を裂こうとしてきた彼の母親。彼らのせいで、私達の関係は悪化し、リリィ嬢という存在が現れて呆気なく崩壊してしまったのだ。そう思っていた。

 けれど、私にも非はあったのだ。アルベルト様の事を愛していたのなら、迷惑になると思ったとしても、もう少し積極的に愛情を示すべきだった。もっとあなたの傍にいたいと、あなたを愛していると、言葉や態度で伝えるべきだったのだ。

「申し訳ありません。無神経なことを言ってしまいました」

 衝撃を受け、表情を強張らせたまま俯いた私に、ニコルは慌てたように謝ってきた。

「いえ、いいのです。お邪魔になってはいけないと遠慮していたことを、そう受け止められていただなんて、聞かなければ分からなかったことですから」

 無理矢理笑顔を浮かべて首を横に振ると、ニコルは困ったように眉を下げて視線を逸らせた。

「あなたは、副隊長のことを……、いえ、何でもありません」

 問いかけて慌てて打ち消したニコルの言葉を、私は聞き流すことにした。

 アルベルト様のことを愛していたのか、と訊かれて、それに是と答えることに何の意味があるのだろうか。もう、私達は取り返しのつかないところまで行き着いていて、互いの他に愛している人がいるというのに。



 侍女寮の門に着き、私はニコルに送って貰った礼を言って別れた。

 寮内には、先に食事を終えて戻った侍女達が幾人もいるせいか、明かりも増えて昼間よりも活気がある。

 玄関を入ると、すぐ脇にある管理人室から顔を出した年配の女官が、私の顔を見て小さく溜息を吐いた。

「あなたにと、お届け物を預かっています」

「私に? どなたからでしょう」

 手渡された箱を眺めながら首を傾げると、女官は意味ありげな笑みを浮かべた。

「王太子殿下の側近のお一人でしたね」

「オーレン!?」

 思わず声を上げてしまい、ぎょっとした顔で振り向いた侍女達に何でもないと首を横に振りながら、居ても立ってもいられなくて箱を抱えたまま玄関を飛び出し、門を出た。

 周囲はもうすっかり暗くなっていて、終業時間が過ぎたばかりの頃と比べると人の流れも随分と少なくなっている。目を凝らして辺りを見回したけれど、オーレンらしき人の姿は見つからない。

「どうされました?」

 一抱えほどある箱を抱き締めたままうろうろしている私を不審に思ったのか、門衛が問いかけてくる。

「オーレン・ランデル様が訪ねて来たそうですが、どちらに向かわれたか分かりますか?」

「ああ、こっちですね。でも、帰られてから時間が経っていますし、今頃はもう王宮を出られていると思いますよ」

 門衛が指し示したのは、食堂の方向だった。けれど、食堂から寮に帰る間にすれ違わなかったということは、私が食堂にいる間に帰ってしまったのだろう。

 ……会いたかった。

 会って、謝りたかった。勝手に侍女になると決めたことも、恋人役をちゃんと務められなかったことも。

 箱が変形してしまうほど強く抱きしめながら部屋に戻り、急いで明かりを灯してから箱を開ける。

『あなたが望むように。遠くから見守っています』

 相変わらず美しいオーレンの筆跡を、指先でなぞる。

 王太子妃殿下は後宮で暮らしていて、公務の時以外はほとんどそこから出ることはない。側近とはいえ、近衛騎士でもないオーレンが後宮へ足を踏み入れることはないだろう。つまり、私達が王宮内で偶然出会う可能性は低い。

 ……それでも、見守ってくれている。

 少なくとも、完全に見捨てられた訳ではない。そう思えただけで、今の私には充分だった。



 その夜。私は、贈り物の中に入っていたラベンダーのサシェを枕の下に敷いて横になった。

 言葉に出さなければ、態度で示さなければ、伝わらないことがあるのだ。例えば、オーレンが私の事を応援しようと思ってくれていても、こうして伝えてくれなければ、私はずっとオーレンに愛想を尽かされてしまったのだと思い込んでいた。

 ……ちゃんと、伝えなければ。

 彼に感謝していることも、そして、愛していることも。

 その上で、彼が私を必要としないのならば、それは仕方のないことではないか。

 ぎゅっと枕の端を握り締め、想像しただけで込み上げてきそうになる涙を指の先で拭う。そんな臆病で弱い自分に、そんなことでは駄目だと言い聞かせながら、暗い部屋の中で一人目を閉じた。


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