第9話　決意

――6年後

　朝、王都エストリアの大機関(メガエンジン)の目覚めと共に、耳がぴくりと反応してクリスは目覚める。成人が近いながらも可愛らしくも凛々しい顔つきの少年は、伸びをするとともにメイドに与えられるにしては豪奢なベッドから降りる。

　着ている女物(・・)の寝巻と下着をするりと落とすように脱いで、すらりと美しい四肢を晒す。獣人の証である尾は問題なく揺れて、耳もぴくりと動く。

　自室で寝息を立てている主人の寝息を聞きながら、落とした寝巻と下着を丁寧に畳んで洗濯物用の籠の中へ。

　そのまま脱衣所へ、それからお風呂へ。屋敷に固有の機関(エンジン)を持つ公爵家だからこそ出来る贅沢。朝風呂。

　ナタリアが考案したというこの国では珍しい肩までつかれる湯船がある。普通なら朝に入るというのは愚の骨頂。仕事に送れる。

　個人機関があるとはいえど、その能力は限られている。湯を溜めるには少しだけ時間がかかる。だが、

「魔法機関(マギアエンジン)――微笑みの炎(エンゼルフレア)」

　その手から炎を生じさせ溜めた水を瞬時に熱する。

――魔法を使えばそんなものは関係がない。

　熱湯に出現に風呂場が湯気に包まれる。蒸気機関が出す排気と違って心地が良い湯気(スチーム)を目を閉じて浴びる。

　肌がつやつやになるとメイドたちの間でそれは有名な行為。それを十分にされど短い間に行って、湯船へとその身体をつける。

「ふぅ」

　変声してなお高めの声が吐息として風呂場に木霊する。目を閉じて百まで数えて、それから上がる。いつまでも入っていたい気持ちがあるが、主を起こさなければならない。

　残念に思いながら水を抜いて、身体を拭いて、着替える。いつもの通りに、いつものように。与えられたメイド服。

　成長につれてその都度与えられたものに袖を通す。鏡の前でくるりと回って、乱れがないかをチェック。

――ない、完璧。

　最初の頃など主に直される始末だったが、今ではもうそんな失態もやることはない。最後に笑顔を浮かべて、主の部屋へと向かう。

　主の部屋は屋敷でもっとも高い場所にある。この屋敷の主なのだから当然だ。昔は、違う部屋だった。公爵様と奥方様が魔法ですら治せない病で亡くなってから、彼女の部屋はそこになった。

　それについて、主は何も見せない。わかっていたかのような。それでいてやはり悲しんでいるような表情を浮かべていたのをクリスは覚えている。

　そんな主の部屋の扉の前でまた着衣と長い髪に乱れがないかを確認して、四度ノック。

「おはようございます。ナタリア様、入りますよ」

　そう言ってから返事を待たずに入る。そうすることを許されている。

　部屋に入ると、豪奢なベッドが見える。機関製絹などをふんだんに使った豪奢な天蓋付きのベッド。そこで主であるナタリアは眠っていた。

　公爵令嬢とは思えない寝相と寝顔で、ぐっすり。昨晩は夜遅くまで何かをやっていたから、疲れているのだろう。

――このまま眠らせてあげたいですが。

　今日は大事な日だ。学園の始業の日。春の休暇が終わり、また学業が始まる日である。優秀な主様ならば休んだところで問題はない。

　しかし、今日が大事な日だとクリスは聞いている。大切な誰かが、学園にやってくる日だと。だからこそ、

「起きてくださいナタリア様」

「んー、あと、一日」

「それは昨日も聞きました起きてください」

　そう言いながら、彼女がかぶっているシーツを奪い取る。天蓋も開け放っているので、寒いはずだ。

　機関都市の朝は特に良く冷える。大機関の稼働と共に駆動し始めた、冷却機関により発生した冷気が管(パイプ)を伝って街中に伝わるからだ。

　夜の冷えこみに乗じてそれがあるから、機関都市の朝は冷える。どこの街よりも発展した重機関都市エストリアならばその冷えは他の比ではない。

　その冷えを感じてしまえば眠ってはいられない。

「うぅ、寒い。寒いですわぁ。はぁぁ」

「おはようございますナタリア様」

「あぁ、おはようですわ、クリス。相変わらず可愛らしいですわね。嫌なら言っても良いですのよ。男なら男らしい格好の方がよいでしょうに」

　ナタリアの勘違いによってメイドにされてしまったクリス。確認してなかったナタリアも悪かったが、言わなかったクリスも悪い。

　言うタイミングならばいつでもあったが、ナタリアが気が付くまで言わなかったのだ。気が付いたのはすっかりメイドが板についていた頃。

　それからナタリアはしきりにちゃんとした執事とかにしましょうかとか言ったのだが、クリスはメイドが良いと今でもメイドである。

「いいえ、ナタリア様。私はナタリア様のメイドです。あなたがそう言ったのです。その言葉に私は救われた。だから、ナタリア様のメイドなのです」

「だから、それは、私(わたくし)の勘違いで」

「それでもです。それに、今更男の恰好をする方が違和感あると思いますよ。女主人の相手をするのはメイド。私がナタリア様のお世話できないじゃないですか。やめてください。あと、だらしのない格好もやめてください」

「ほんっと、言うようになりまたわね。でも、うれしいですわ。きちんと育ってくれて」

　そう言ってナタリアはクリスの頭を撫でる。年下ではあるが、すっかりとナタリアよりも伸びてしまった背。高い位置にある頭に手を伸ばしてナタリアはクリスをなでなで。

「もう、子供ではありませんよ」

　嬉しさを悟られないようにクリスは返す。

「私(わたくし)から見たら、まだまだ可愛いクリスですわ」

　ナタリアにとっては、二人目の子供みたいな感覚。きちんと育ってくれたことには、嬉しい反面、勘違いから女装男子として一生を過ごす危険性のある子供に育ってしまったことだけが悔やまれる。

　出会った頃に男と気が付かなかった自分を呪いたく思っているナタリア。風呂などの世話はマリアーヌにまかせっきりで、メイドとして育てると言ってそれに忠実に彼女が従った結果がこれ。

　もはや女に世話されるより男に世話される方がナタリアとしては楽だとすら思うくらいには諦めた。

「それじゃあ、着替えを」

「はい、ではこちらで寝巻をお脱ぎください」

「自分で着替えられますのに」

　そうナタリアは言うが、

「公爵家の主が一人で着替えるなどあってはならないことです」

　やはりクリスはこの一点張りで着替えさせない。そんないつものやりとりをしながら、ナタリアはクリスにボタンを外された寝巻と下着を脱いでしまう。

　18歳になりほとんど成熟したと言っても過言ではない肉体がさらされる。戦場働きのおかげで適度に筋肉が付いていながら女性特有の柔らかさを残したすらりと整った肉体。

　それはまさに黄金律の肉体と言っても過言ではないとその全身を見てチェックしているクリスは思う。傷一つなく、その肌はきめ細かく瑞々しい。

　実った果実(胸)は同年代の乙女たちよりも幾分は大きく、それでいて素晴らしい形と弾力であることをナタリアが眠っている間にひそかに揉んだクリスはしっている。

　尻もまた同じく。小さく可愛らしいそれはかぶりつきたいほどの柔らかさがあることが見ているだけでも伝わる。

　全身からは華のような香りが漂っており、特に金糸のようにさらりとして揺れるたびに光り輝く粒子を撒き散らしているかのような髪からは極上の香りがする。

　嗅覚でそれを感じれば否応なく興奮してしまうが、全てはスカートの下の出来事。主にはバレない。務めてすまし顔で、クリスはナタリアへと下着をはかせる。

　ナタリアの正面にいるので、秘部なんかに丁度顔が来るので、とても下半身がヤバイが全てはスカートの下である。

　無論、バレないように、

「男に着替えさせられているのに、本当動じませんね」

　そんなことを言う。

「今更のお話ですわ。貴方は私(わたくし)の子供みたいなもの。子供相手に恥ずかしいと思うことなんてありませんわ」

「慎みが不足していますよ」

「女装してメイドしている貴方に言われたくはありませんし、それに貴方はメイドなのでしょう？　メイド相手に四肢をさらすことを恥ずかしいと思う女貴族はいませんわよ。それからそう言うのであれば、いい加減メイド、やめれば良いではありませんか」

「丁重にお断りします」

　だったら、この話題は終了ですわ。と彼女が言ってもいつもの通り、この話は終わる。

　晒された、いつまでも見ていたい肢体。されど、このままではナタリアが風邪をひく。それは駄目であるため、惜しみながらクリスはナタリアに服を着せていった。

　◇　◆　◇　◆　◇　◆　◇　◆　◇

　朝食時。卓上に並べられた食事を前に、ナタリアとその弟であるベルだけの食事。両親は数年前に病死した。流行り病だ。

　悲しくないと言えば嘘になるがそれ以上に残念で仕方がなかった。今世の両親。まだ孫の顔も見せていないのだ。

　結婚した姿すらも見せられなかった。それがあまりにも残念であった。一児の父であったからこそ、ナタリアは流行り病で亡くなった両親が残念で仕方がない。

　前世でも今世でも親孝行が出来なかった。更に、ここから親不孝なことをするのだから、本当に親不孝な娘だ。

　そうなってしまったこと。それだけがナタリアの心残りであった。今日からの日々への緊張からかそんなことを考える。

　送られてきた資料に目を通して、愕然としたあの時の気持ちを思い出す。それでもやると決めたのだ。

――娘を幸せにすると。

「姉さん？　どうかしましたか？」

　ベルの声でナタリアは我に返る。

「いえ、なんでもないわ」

「そう？　何かあるなら言ってよね。姉さんってそういうこと何も言わないから」

「きちんと管理できていますわ」

「そっか。でも、気を付けてよね。何かあったら殿下に申し訳が立たないよ。お父様たちにもね」

「わきまえておりますわよ。あなたもしっかりレディ・ジャスミンについて勉強なさい。あなたがアルゲンベリードの次期当主なのですからね」

「うん、姉さん！」

――可愛らしい弟。

――素直で姉を慕ってくれている可愛いベル。

　これからやることを彼が知ればどう思うだろうか。軽蔑するだろうか。それとも止めるだろうか。

　これかやること。それは王子とアイラを結婚させること。そして、世界を平和にすること。

　まず二人を結婚させるにはアイラにナタリア以上の功績を手に入れさせる。その一方でナタリアの評判も下げる。そうすれば相対的に難易度が下がる。

　前者は、ゲームのイベントの中におあつらえ向きのものがあった。それをナタリアが演出する。後者はゲーム通りいじめて退学にさせようとすればいい。

　ただ全部が全部ゲーム通りではいけない。ゲームにおいてナタリアはアイラをいじめ、そして、殺しかけるのだ。

　アイラは、王族の血をひいた、聖女と呼ばれるものらしい。その覚醒のトリガーがナタリアが彼女を殺しかけること。

　いいや、殺すことだ。自殺では出来ない。誰かに命を奪われることで聖女として覚醒するのだという。

　とりあえず、それをナタリアが初めて知った時は、聖女などという重要なものが何で平民なんぞになっているんだとナタリアはツッコミを入れたが、そういうものだという。

　聖女はこれから起こる戦乱において重要な役割を担う。伝説にもそれはあり、丁重に扱わなければならない。

　その聖女をいじめており、更に殺そうとしたナタリアの評価は下がり、その頃アイラと仲良くしていた王子が義憤によって婚約解消まで行くという流れ。

　その後、ナタリアは放逐される。それがゲームの流れ。

――娘を手にかけるなんてできるはずがない。

　これが、酷いことを強いるということ。だからこそ、アイラがしきりにやめてくれと言ったその理由。

　ナタリアに、もう一つの聖女の血筋に殺されることでしかアイラは聖女として真に覚醒できない。それがアイラの血に刻まれた魔法機関なのだ。

　覆すことは不可能。聖女の力がなければ来るべき戦にて世界は滅ぶ。実際、ゲームにおいて死を回避するとバッドエンドらしい。

　魔王なる者の力を削げずにすべては無に帰す。聖女の力なしに魔王が倒せるのか聞いたが不可能にしか思えなかった。

　聖女の力で魔王が張る強力な何重もの結界を破壊しなければならない。それが出来るのが、アイラという少女が持つ聖女としての力。

　ナタリアが持つ全ての魔力を扱えるという力では駄目なのだ。

「――だからって、娘を手にかけたくはありませんわね」

　それでもやるしかない。それが、悪役令嬢の役割なのだ。

――何度も聞いた。ですが、そんなもの認めない。

――全部、自分が叩き潰してしまえば良い。

　そのためにそれだけの力をつけて来た。敵対する全てを薙ぎ払い。魔王なんてものも一人で倒す。不可能だろうがやるのだ。

　アイラと王子の結婚は、彼女に功績を積ませて、ナタリアの評価を下げる為にいじめて退学にしようとするだけで王子がなんとかするだろう。

　殺すまでする必要はない。

　あとの不利益はすべて、自分が背負う。命に代えても。子供に戦争なんてさせられない。

――やるのだ。

――不可能だろうが、なんだろうがやる。そのために力を磨いてきた。

　それで、放逐されれれば自由だ。何をしても良い。

――ぐうたらしても、酒を飲みまくっても文句を言われることはない。

　贅沢生活は送れないだろうが、戦場生活が長いので、それほど苦でもない。魔法があればあとは楽に暮らせる。

　最初の目的も達成でき、娘夫婦も幸せに出来る。ついでに世界も平和になる。これが最高の結末というものだろう。

――だから、あと少しだけ頑張ろう。

――そのあとは、目いっぱいぐうたらして、お酒を飲んで、楽しく暮らそう。

――時々、娘夫婦に会いに行って孫の顔を見に行こう

「姉さん？」

　ベルもまた守るべき子供の一人だ。

「なんでもありませんわ。さあ、いただきましょう」

――そのために、やるべきことをやるのだ。

　◇　◆　◇　◆　◇　◆　◇　◆　◇

　朝食を食べ終わると、ナタリアは学園へと向かう。貴族や魔法の才能がある者が通う学園。単に学園とだけ呼ばれる。

　クリスを伴いナタリアはクラスへと向かっていた。当然のように王子と同じクラス。貴族ばかりのクラス。最優秀な者たちが集う特別なクラス。

　今日ここにアイラがやってくる。魔法ではない特別な癒しの力を評価されて。ジャスミン主義に染まった学園長だからこその判断。

　しかし、貴族には評判が悪い。平民がクラスにやってくるのだから。原作のナタリアは平民を大層見下していじめるほどに評判が悪い。

　これからその悪役令嬢を演じるのだ。ただでさえ、子供の中に大人が混じっていて、力も学力もトップを取っているという状況で罪悪感しかないところに娘をいじめるというコンボ。

　正直、やめてサボっていたい。仕事以上にやりたくないことこの上ないことだ。だが、娘の為である。ならば、どんなことでもやると決めている。

「頑張りますわよ」

「ナタリア様？」

「なんでもありませんわ。クリス」

　そうこうしている間に、鐘が鳴り朝礼が始まる。いつも通りに今日の予定が報告され、そして、

「今日は、我がクラスに新たな仲間が加わる」

　教師の言葉と共に、アイラ(娘)が紹介される。

　まずは、綺麗な礼をするアイラ。

――うんうん、綺麗な礼。貴族にも引けを取らない。

　顔立ちも整っている。髪は貴族のように金色ではないが、質素な赤毛であれど良く手入れされている。癖が強いものの、それもまた個性だ。

　芋虫と馬鹿にした男や女は既に粛清済みである。身体に恐怖を覚え込ませて治療して、記憶も消した。残っているのは、アイラを馬鹿にしようとしたら忌避する程度の恐怖。

　これから馬鹿にしようとする輩もいるだろう。ゆえに、ナタリアは先手を打つ。まずは覇気をクラス中に撒き散らす。

　戦場で多くの敵と戦ってきた。人とも魔物とも。参考になるのは竜との戦い。竜の覇気は、いかなるものをも動けなくするほど。

　だからこそ、ナタリアは己の覇気を放って馬鹿にしようと動いた連中をピンポイントで狙い撃ちにしてやる。

　蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。初手でアイラを馬鹿にしようとした連中は全員恐怖で動けなくなってしまった。

　隣に座る王子もこれには苦笑。

「本当にアイラが大事なんですね」

「当たり前ですわ。あんなにも可愛らしくまるで、女神のようなアイラを馬鹿にするなんて、まったくなってない連中ですわ、まったく」

　何やらアイラが、やったことを見て引いているような気がしたナタリアだが笑顔を返してやり、クラス中ににらみを利かせる。

　教師はそんなことに気が付かず、

「どうかしたかね。アイラ君、早く自己紹介をしなさい」

「は、はい。アイラです。平民ですが、皆さまのような高貴な方々と共に学べる栄誉を神に感謝いたします。どうか、よろしくお願い致します」

　鈴のような可愛らしくも、蒸気オルガンから奏でられる極上の演奏にも勝るような美しくも透き通った凛とした声――ナタリア主観――がクラスに響き渡った。

　貴族ばかりの中でも己の意志を持った凛々しい娘の姿。

「ああ、カメラ、カメラはないのですの！」

　それを見て、ナタリアは興奮していた。

「お、落ち着いてくださいお義父さん！」

「これが落ち着いていられますの！　私(わたくし)娘の中学の入学式に行けませんでしたのよ！　とても楽しみにしていましたのに。これが、これが最後のチャンス！」

　こっそりとギャーギャー騒ぐナタリアと王子をよそに、朝礼は続くのであった。

　◇　◆　◇　◆　◇　◆　◇　◆　◇

　世界基盤に刻まれた通りにことは進む。運命は悪役令嬢を、逃がしはしない。刻まれた宿命は変わることはなく。

――歯車回転を続け

――螺旋は廻り続ける

――回転悲劇の螺旋は、まだ回転を止めない。

　それでも、悪役令嬢は、

――右手を、伸ばす