ローニャの危機 本編98
「お嬢様、お帰りなさいませ。旦那様がお呼びです」
「……分かったわ」
重い足取りで父の待つ執務室へと向かった。
「ただいま戻りました」
「……」
「申し訳ございませんでした」
「謝罪はいい。目処がついたのか?」
「いえ、まだです」
「役立たずめ」
「申し訳ございません。ですが、先日ようやく専属の侍女を送り込みました。今のところは順調です。私が強く出ることで侍女を信用するように仕向けているところです」
「……これからどうするつもりだ?」
「週に一度、教会で治療を行っています。帰り際を狙い、こちらに連れてくる予定です」
「次こそは上手くやれ。失敗すれば先方は黙っていない」
私は父に頭を下げた後、執務室を出た。
廊下に出た時に後ろから声がして振り返ると、弟のジャダンが立っていた。
「姉さん、久しぶり。元気だった?」
「えぇ、もちろん元気よ? ジャダンは元気にしていた?」
「僕はいつも通りさ。母上も元気にしている。もう帰るんでしょう?」
「そうね。結婚してからあまり実家に長居するのも良くないし、もう戻るつもりよ」
「そうだね。我が家のために、ひいては僕のために頑張ってね」
ジャダンはにたりと笑顔で私に言い放った。
我が家はいつもこうだ。
私も駒の一つでしかない。
母もまた駒の一つに過ぎない。
家族という絆はこの家には存在しないのだ。
『あの獣を捕らえろ』だなんて無理を言ってくる。
いつから我が家はこんな家族になってしまったのだろう。
幼い頃は父も母も優しかった。
他の家よりも幸せだと思っていたのに。
ある日を境に父は人が変わってしまったわ。弟もいつの間にか父のようになってしまった。
母が人質になり、逃げようにも逃げられない。
……私はただ母を助けたいだけ。
そのためなら何だってするわ。
――――
「ローニャ様、本日の治療お疲れ様でした」
「グリークス神官長、お疲れ様でした」
私はいつものように治療を終えてお茶をしている。お腹がペコペコなのはいつものことだ。
「ローニャ様、最近マダム・レミアの店で新作のドレスが発表されたようです。時間もまだありますし、行ってみませんか?」
「エリスの選んだドレスはどれも品がいいってみんな褒めてくれるの。行ってみようかな。マルカスさんいいかな?」
「警護の点で不安があります。次回は寄れるように手配しますから今回は諦めていただけますか」
「そうよね。マルカスさんのいう通りだわ。突然お店に寄っては迷惑を掛けてしまうし、マルカスさんの意見は最もだわ」
「大丈夫ですよ。マダム・レミアは上位貴族ご用たちの店ですし、ドレスを待っている間に出されるフォンシュは今流行りのロンダム店のものだそうですよ」
「え、本当?? いいなぁ。マルカスさん、行ってみたい。いいでしょう?」
私は流行りのマールというものをずっと食べてみたかったの。
研究所の人たちが甘くて柔らかい食べ物だと言っていたの。ここ最近は怪我人も減り、魔獣討伐も一定の効果があって王都周辺では食べ物を中心に人々の生活水準が上がってきている。
街で色々生み出される食べ物に私も食べてみたいと思っていたのだ。
「……仕方がないですね。長時間は難しいので少し立ち寄る程度にお願いします」
「うん! ありがとう!」
私はエリスの提案でマダム・レミアの店に行くことになった。
久々に街に遊びに行くと思うと嬉しくってつい馬車の窓から外を眺めて言葉数が増える。
「ようこそおいで下さいました。王女様にはこちらのサロンで承ります」
そうマダム・レミアに言われサロンへ向かった。サロンには数名のスタッフが一列に並び一斉にお辞儀をしている。
「先触れを出していないのに凄いね」
何気ない一言だったの。その言葉にすぐに反応するようにマダム・レミアは答えた。
「いつも貴族の方が来られているのですぐに対応できるようにしております」
「ふーん。そんなものなのね」
「どうぞロンダム店の菓子でも摘まみながらドレスを見て下さい」
マダム・レミアの指示で店のスタッフの一人がお茶とお菓子を持ってきた。
「美味しそう!」
エリスが毒見をした後、菓子を食べる。
「美味しいお菓子ね」
「今王都で一番の菓子店といっても過言ではないですから。こちらのドレスの試着をしてみませんか?」
数着のドレスがトルソーに掛けられていた。
マダム・レミアはにこやかにドレスの試着を勧めてきた。
「ローニャ様にはとてもお似合いだと思います」
「うーん。でも時間があるし今回は辞めておくわ」
「ローニャ様、こっちドレスも素晴らしいですよ。少しくらいなら試着してみても大丈夫だと思います」
「ちょっとだけなら……いいかな?」
私はエリスとマダム・レミアにのせられて試着室へと入っていく。
試着を手伝って貰った時、不意に眠気が襲ってきた。
「……エリス、もう戻るわ」
着替えの途中で試着室から出ようとするけれど、エリスが制止する。
「もう少し、お待ちください」
……その声を最後に、私の意識は暗転した。




