『あの時のこと』
先に本屋で組み紐の作り方の本を購入し、ふたりはカフェに入った。
新しいカフェは人気で結局他の店を選んだけれど、ふたりとも大して気にしていない。それぞれ違う『季節のデザートプレート』を頼み、シェアしながらいつものように会話を楽しむ。
「刺繍じゃもう間に合いそうにないけれど、これなら、と思って。 イヴェットは刺繍、終わった?」
「あ……そうね、あとは仕上げだけよ」
「来るといいわね、憧れの骨の方」
実のところ、この数日慰霊祭やブロードンのことなどさっぱり思い出さなかった。憧れだし初恋なのも間違いではないのだけれど、それどころじゃなかったというか。仕上げだけなのは前からなのに、一刺しもしていないので当然終わっていない。
(あらやだ、殿下との『あの時のこと』でちらっと出た時には仕上げようと思ってたのに、すっかり忘れていたわ。 骨への愛もブロードン様への憧れも変わらずあるというのに……)
『あの時のこと』──それは想像通りというか、物凄く大したことでもない。
オリヴァーが勝手に期待していた『誰かにあげる為のイヴェットの刺繍のハンカチ』が自分の為でなかったと知り、ガッカリした結果、逆ギレして難癖をつけただけのこと。
その際に骨の図案にケチをつけたので、イヴェットが激怒。さっさと謝れば良かったところをグズグズしているうちに王妃がタイミング悪く婚約の話を出してしまい、難癖をつけた理由を恋心からの嫉妬と認めたくないオリヴァーがまたも逆ギレ、自爆したのである。
ちなみにイヴェットは勿論、骨の図案にケチをつけられたことしか知らない。
(そういえば、なんで殿下はあんなに怒っていたのかしら?)
それまでは一緒に『骨カッコイイ』と言っていたくらい。家族ですら生温かく見守るだけの骨愛の理解者を得た──そう思っていたからこそ、温厚なイヴェットも悲しさのあまり激怒したのだ。
(今思えば他に理由があったのかもしれないけれど……まあ、互いに子供だったってことよね)
イヴェットに今更『あの時のこと』へのこだわりはないので、雑に処理した。
オリヴァーはちゃんと謝罪していない癖に、まだ気にしている様子を度々見せていただけに、なんなら『謝罪されない方がオイシイのでは』とすら思っている。
甘いものを堪能しつつそんなことを考えているイヴェットを前に、既にデザートプレートを食べ終えたモイラは、先程購入した本を眺めて難しい顔。
「組み紐、どんなのにするの? 色は決めてるのでしょう?」
「うん、色だけはなんとなく。 これとか素敵だけど、難しいかしら……」
「私あんまり器用じゃないのよね~」とボヤきつつ、モイラは本に載っている組み紐を指す。
「あら本当、結構複雑ね……」
「でしょう?!」
(──もしかして、術式を組み込めないかしら?)
それは、フト出てきた発想だった。
「ね、モイラ。 組み紐って今学園で流行ってたりする? 元々騎士様に剣飾りとかで贈ったりする風習が地方にあるのは知ってたけど」
「流行ったのは結構前よ~。 っていうか地方の風習の方が知らないわ。 皆は『恋のお守り』として鞄とかペンケースに付けてたみたい」
「! ええと……自分で作ったのを?」
「だったら本を買ってないわよぅ。 私もその時は興味がなかったからよく知らないけど、露店で売ってたみたい。 もうそのお店はないらしくて……ちょっと欲しかったなって」
「……」
「イヴェット?」
「どんなかたち?この本に載ってる?」
「え、うん……ちょっと待ってね。 ──あ、コレかな? こんな感じのよ」
「!」
「こういうのも可愛いわよね。 私でも作れそうだし……」
モイラが『私でも作れそう』と言うだけあり、組み紐の組み方自体が複雑な物ではなく、術式が──という発想は当て嵌らなさそう。
だが、想像の根幹としてはきっと正しい。
それを裏付けるように、モイラが語る。
「この本だと蜻蛉玉だけど、皆の持ってるのは石が組まれてたわ。 天然石?っていうの? 宝石みたいには研磨されてないやつ。 組み紐の色は違うけど、皆同じ石よ。 多分『恋愛の石』とか呼ばれている石なんでしょうね。 生憎、鉱石には詳しくないけれど」
イヴェットはそれを聞きながら、宮廷魔術師の言葉を思い出していた。
『相当な人数から少しずつ呪いを掛けられている』
『不特定多数から拾った小さな負の感情をなんらかの方法でオリヴァーに向けた、或いは、不特定多数からオリヴァーへの感情を拾い、それをなんらかの方法で呪いに変化させた』
『羨望や恋情といった想いは呪いに変化させやすい』
(これは……魔術師様達は、このことをご存知かしら……?)
「……モイラ、」
「イヴェット、どうしたの?」
「ごめんなさい、急用を思い出してしまって……!」
「えっ、それはいいけど……えっ!」
イヴェットは「ごめんなさい」ともう一度謝罪をしながら、鞄から出したお金をテーブルに置いて駆け出していた。
「……やだもう、多いじゃない。 まあ、明日返せばいいか……」
釣られて立ち上がったモイラは、そうひとりごちながら座り直す。既に見えなくなったイヴェットを追い掛けるように視線を窓の外に向けると、空はまた雨が降り出しそうな気配。
お店から馬車を呼んで貰うことにし、改めてお茶を注文する。組み紐を買うのはまた後日でいい。元々、どこか元気がないイヴェットを気晴らしに連れ出すのが一番の目的だったので。
(……本当になにがあったのかしら。 あんなにイヴェットが焦るなんて)
親友の、珍しく動揺した様子にモイラは本の先程のページに視線を落とし、ひとり小首を傾げた。




