嬉しい筈の出来事①
朝の空気がひんやりと肌を撫でる。
日中は過ごしやすく心地よい日和になりそうな予感のする、爽やかな朝だ。
そんな中、不満気な様子を隠せないウォーラル伯爵、ホレイショ。王宮に向かう馬車に共に乗った娘のイヴェットに、嫌そうに言う。
「こんな早くから行かなくても……」
「あら。 この方が自然ですし、なによりお父様と一緒なら安心ですわ」
「まあ……それはそうだろうが……」
愛娘に『パパとなら安心♡』と言われて満更でもないホレイショ。基本チョロい父なのだが、それでも今回は簡単にデレデレはできない様子。
ホレイショの心中も複雑ではある。
父として、もし子供が骨になったらと考えるとあまりに気の毒だし、陛下とは友人。協力はしたい。
だがイヴェットを婚約者に、とかいうなら話は別だ。
しかも昨日の帰り際、なんかこう第二王子殿下から感じた、レモンのような爽やかな甘酸っぱい匂い(※比喩)……それが何かは口に出したくもないので言わないが、父の勘が『こいつァ危険だ』と告げている。
しかも今の殿下は骨。
娘の性癖のド真ん中に違いない。
「──いいか、イヴェット! 骨とて狼!」
「? あっ、もしかして仮装のお話ですか? 狼の骨なら買ってくださる、と……」
全く違う。
「嬉しいですが、アレは仮面にするには小さいかもしれませんわ~」と見当違いも甚だしい返事をしながらも、期待に満ちた目を自分に向けてくるイヴェット。
娘の骨愛が凄い。益々危険だ。
戻れば美少年なのでそれはそれで嫌だが、なんなら骨の方が危険なのではないだろうか。
「なんとしてでも早く殿下の呪いを解かねばな……! 父も協力するぞ!!」
「お父様……ふふ、お父様もなんだかんだ殿下が心配なのですね」
(狼の骨をご褒美にくれるだなんて。 そんなことしなくても殿下に協力はするのに……でもなんで狼なのかしら? そこは前から欲しいと言っていた牛でいいのに)
愛深き故に業も深い父の、苦渋と打算に満ちた決断。だが残念ながらその愛は、肝心の娘に欠片も伝わっていない模様。
王宮に着いたふたりが向かうのは、ホレイショに与えられた執務室。彼にしてみれば普段通り。イヴェットは併設されている応接室だ。
イヴェットはあまり来たことがないが、応接室に家族が控えるのはそう珍しいことでもない。なんせ、お家問題は貴族あるある。勝手にフラフラ出歩いたり、書類を見たり見せたりするなどの問題を起こさなければ、特に事情は聞かれない。
イヴェットが来たことを国王陛下へと上げる書類に混ぜて即報告、オリヴァーからの呼び出しを待つ筈だった。
しかし、入口には王妃宮の侍女長が既に待ち受けていた。
ホレイショに美しい淑女の礼をとると「王妃様の命により、ご令嬢をお借り致します」と有無を言わさずイヴェットだけが連れて行かれてしまう。ホレイショは突然のことに動揺したが、ここは不自然にならないよう、予定通りであるかのように振る舞い、見送るしかない。
「参りましょう」
「は、はいっ……!」
人目に付きにくいルートを優雅な早足で進む侍女長に、何も聞くことはできない。単純に速すぎて、声を潜めてなど到底話せないのである。
疑問よりも『こんなに速いのに優雅なのは流石……』という感想しか出てこない。
辿り着いた部屋の前。立派な両扉は昨日と同じ、第二王子殿下の自室だ。
ノックをし、入室を許可するオリヴァーの声が聞こえて、侍女長はノブを手にかける。そこでようやくイヴェットに向き直り声を発した。
「ご説明差し上げられず、申し訳ございません。 ですが、すぐわかります」
「どうぞ」という言葉と共に開かれた扉。
「!?」
侍女長の言った通り、すぐにわかった。
「……早いな、イヴェット」
オリヴァーは非常に彼らしいバツの悪そうな顔で、目の前に立っていた。
眉間に寄せられた皺。への字に曲がった口は、やや唇が尖っている。
猫を彷彿とさせるアーモンド形の両眼は少し細まり、気まずげに長い睫毛が影を落とす。
自他ともに認める美形がそこにいる。
どこからどう見ても骨ではない。
(──あっ! そうだわご挨拶を……)
昨日と同じように、驚いて声を失った後に、今更なタイミングで慌てて淑女の礼をとりだす。
真面目なのかなんなのか、天然なイヴェットの挨拶を途中で制し、オリヴァーはソファへ座るよう促した。




