182 ダムと化け物
あたしは、強烈な呪いの気配が漂ってくる川の上流を睨む。
「あれは、やばい」
あたしが小声でつぶやくと、スイがやってきてぼそっと言う。
「ああ……やばいのである」
狩人達が言っていたように、上流にはダムが造られている。
やばいのは、そのダムの向こうに溜まっている毒の水だ。
毒の濃度は高い。触れただけで病気になりそうだ。
あのダムが決壊したら、農作業どころではない。
川周辺の草木は枯れ、畑は腐り、動物は死ぬだろう。
あたしは狩人達を見る。
「あのダムを壊そうとして、よくぶじだったな?」
決壊しはじめたら、毒の水が鉄砲水のようになるかもしれなかった。
蟻の一穴というように、わずかな穴でダムや堤は決壊する物なのだ。
壊れ始めた時に素早く修復しなければ、大変なことになっていただろう。
「いえ、壊そうとしても壊せなかったので……」
「そうか、こううんだったな?」
壊そうとした狩人達にとっても、この領全体にとってもだ。
「それに……精霊達がいるな?」
「逃げ遅れたのかもしれないのである」
ダム周辺に瀕死の精霊達が固まっていた。
川原やダムの上に精霊が転がっている。溜まった毒の水の上に浮いている精霊までいる。
その全てが、死にかけている。早く助け出さなければなるまい。
スイが小声でつぶやく。
「ルリア。どうするのである? ものすごい気配がしているのであるが……」
「あのダムを壊さないようにしながら、その気配の主と戦わないとだな?」
あたしも他の者には聞こえない用に小声で返事をする。
「難しいのである。だが、あの毒水が流れ出したら大変なのである」
スイの言うとおりだ。
ものすごい呪いの気配の主を倒したところで、毒水が流れ出したら最後だ。
男爵領は人も動植物も生きられない土地になってしまう。
「じゃあ、スイちゃんは決壊したら、ダムの水を止めて?」
「あの大量の毒水全てをであるか?」
「むりか?」
「スイはめちゃくちゃ強い水竜公ゆえ可能であるが、他のことができなくなるのである」
「わかった。他はまかせてな?」
「でも、止めたとして、そのあとどうするであるか?」
それは重大な問題だ。
敵を倒したところで、毒が無くなるわけではない。
『……ルリア様なら解毒できるのだ』
「できるかな?」
『できるのだ。でも手助けできる精霊がクロだけなのに精霊力を大量に使い過ぎるから……』
「それは問題ではないな?」
あたしの将来の身長なんかより、男爵領の民とその生活、動植物の命の方が大事だ。
比べものにならない。
『そういうと思ったのだ。でも、大量に使うと言うことは戦闘では節約しないとなのだ』
「なるほど、たしかにな?」
気配からして化け物というのは強大な敵なのは間違いない。
敵を倒すのに、大量の精霊力を使ってしまえば、水を解毒する分がなくなってしまう。
「節約して、倒せるかな?」
「スイに任せろと言いたいのであるが……水を抑えないといけないであるからな……」
「ばうばう!」
すると、ダーウが任せろと力強く言った。
「そだな。ダーウ頼むな?」
ダーウにはサラ達の護衛をしてほしかったが、戦力が足りない。
「ダーウとルリアが化け物の相手をする。スイちゃんは水が流れないように気をつける」
「うむ」「わふわふ」
「ルリアは隙を見て毒水をげどくする」
「無理はしたらだめなのである。解毒には時間がかかるはずなのである」
「そだな。げどくしているあいだは隙になるものな?」
あたしはスイとダーウと簡単に打ち合わせると、トマス達に言う。
「気をつけて。やばいけはいがするよ?」
「やばいけはいですか?」
「うん。みんな、気合いを入れて、サラちゃんと狩人の人たちをまもってな?」
「それはもちろん。ですが、ルリア様のことも私は――」
「トマス。ルリアのことはスイとダーウが守ってくれるからな?」
「うむ。トマス、手分けして守るのである! その方が効率が良いのである!」
「ばうばう」
そして、キャロとコルコはダーウの背から移動する。
コルコはサンダーの横に、キャロはサンダーのお尻に登った。
「キャロとコルコもありがと。たのむな?」
「きゅきゅ」「ここ」
キャロとコルコは「こっちは任せて思う存分戦って」と言ってくれた。
これで、あたしも安心できる。
「ロアはしがみついていてな?」
「りゃむ!」
ロアはあたしの髪をぎゅっと掴む。大分痛い。
だが、ロアが落ちるよりはいい。
「もっとしっかりつかんでいいよ?」
「りゃ~」
そして、あたしは全員に改めて言う。
「気をつけてな? ほんとうに敵は強そうだからな?」
「はい」
「それに水の毒のこさがまずいかも。みんな水にはいらないようにな?」
ダーウは川の中をバシャバシャ走っていただけで病気になったのだ。
そのときの毒の濃度より、ずっと濃い。
ダムにせき止められている水の濃度は触れただけでただれるだろう。
こちら側に漏れ出ている分も、相当に濃い。
「みんな。川岸にたいきしてな? ルリアとスイちゃんでなんとかする」
次の瞬間、ダムより上流側の河原を、卵形の化け物が走ってくるのが見えた。
金属質の黒色で、まともな生物ではないのは明らかだ。
しかも、なかなかに速い。
「あれが化け物だな?」
確かに、狩人達に化け物と呼ばれるだけのことはある。
大体高さは父の身長の一・五倍ぐらいある。手足は細いが長い。
卵の上部にうっすらとした顔のような物がついており、
「ウェェェェェェェ」
と人に似た声で叫んでいた。
「ダーウ! スイちゃん!」
「ばう!」「おう!」
あたしはレオナルドに乗ったまま、一気に加速する。
あの化け物がダムに到達して、ダムを壊されたら厄介だ。
化け物がダムに到達するより前に止めなければならない。
「ほあああああ!」
「ぶるるるる!」
レオナルドは速い。
化け物は馬並みに速いが、守護獣の馬であるレオナルドは馬よりずっと速いのだ。
それでも、このままではダムに先に到達するのは、化け物の方だ。
「食らうのである!」
こちらに向かって駆けてくる化け物に向かって、走りながらスイが水魔法を放つ。
それは岩ですら穿つ高威力の高速で飛ぶ水の弾丸だ。
「なに! 効いてないのである!」
化け物の体表で、スイの水の弾丸は弾かれた。
「ならば! こうである!」
スイは毒水を操り水の腕を作り出して、化け物を掴んで止めようとする。
「ウエエエエエエエ」
だが、化け物は容易に水の腕を振りほどく。
足が遅くなったのは一瞬だけだ。
「でも、まにあった!」
スイが作り出してくれた一瞬の遅れを利用し、あたしとダーウはダムと化け物の間に入る。
「わおおおおおん!」
ダーウが、走ってきた勢いそのままに、化け物目がけて思いっきり体当りをした。
「うぇぇぇぇぇぇ!」
ダーウより遥かに体重が重いであろう化け物が止まり、後ずさる。
どうやら、ダーウの体当りは、ただの体当りではないらしい。
全身を魔力で覆った魔法に近い体当りだ。
「でかした! ダーウ」
「ばう!」
あたしはよろめく化け物に、レオナルドに乗ったまま、かっこいい棒で斬りつける。
「とりゃああああ!」
化け物はあたしの棒を見て、慌てたように回避する。
「ギヤアアアアアアアア!」
回避されたせいでかすっただけだ。
だが、岩のような化け物の左側面に傷が入った。





