173 男爵領の村
男爵邸の門から外に出たあたし達はゆっくり静かに移動していく。
「……ぁぅ」
ダーウもはしゃぎたいだろうに、空気を読んで静かに棒を咥えてついてきた。
領民達の後ろを、あたしとダーウ、サラとトマス、スイの順で並んで歩いていく。
少し歩いて、屋敷から離れたところで、領民の一人が足を止めて頭を下げた。
「男爵閣下。申し訳ありません。山を登る準備をしておりませんので……」
まさかすぐに山に向かうとは思わなかったのだろう。
「そだな? どのくらいかかる?」
「一時間、いえ、三十分で!」
「わかった。村の中でてきとうにまってるな?」
「ありがとうございます」
あたしはついでに気になっていたことを言う。
「あのな? なるべく少人数がいいな?」
「少人数でございますか?」
「うん。少人数。」
もし、呪者との戦闘になったり、治癒魔法を使うことになったら目撃者は少ないほうがいい。
それに、領民は呪者との戦いでは戦力にはならない。守らなければならない対象だ。
できるだけ少ない方が良い。
「かしこまりました。狩人を選びます」
「うん。たのむな?」
十分ほど歩いて、村に到着した。
あたしとサラ、スイ、そしてトマスは馬に乗ったまま、村の中へと入っていく。
「しばし、お待ちください」
「うん! 急がなくていいよ?」
直訴に来た村人達は一斉に走って、村の中に散らばっていく。
大急ぎで準備をするのだろう。
あたしは村の中を見回した。
村はとても広かった。
住居は村の中の小高い位置にあり、低い位置には畑が広がっていた。
そしてその全域が獣よけのしっかりした木と土の柵に囲まれている。
畑の間を川からひいてきた用水路が流れていた。
馬小屋は畑のそばではなく、小高い住居の方にある。
「川があふれたときに、うまが流されないようにかな?」
「そうかも? きいてたとおり、みずながれてないね?」
それをみたスイがぼそっという。
「スイが水を流すのは簡単なのであるが……一時しのぎにしかならないのである」
スイの魔法に頼るとなると、収穫が終わるまで毎日水魔法を使う必要がある。
しかも一度に一日分の水を出すわけには行かない。
一度に出せば用水路からあふれてしまうからだ。
何回にも分けて、できれば、常時水を出し続けなければならない。
それはさすがに大変だ。
「でも、スイちゃん、解決できなかったら、おねがいね?」
サラが申し訳なさそうに言う。
「うむ。サラは大船に乗ったつもりでいるといいのである! 失敗してもスイがいるのである」
「ありがと。えへへ」
村の中を観察したあたしはサラに尋ねた。
「たしか、男爵領には村がみっつあるんだったな?」
「うん。そうなの。大きい村と小さな村がふたつ。ここは大きな村」
「そっかー。ひともいっぱいだな? 何人ぐらいいるの?」
「五百人ぐらい」
「……おおいな?」
「うん、男爵領で一番大きな村だからね」
あたしは馬小屋を見る。
「でも、うまはあんまりいないな?」
「うまをそだててるのは、小さな村なんだって」
「へー。そっちの村にも、こんどいこうな?」
「うん!」
サラは自分の領地について、あたしが思っていたより詳しかった。
サラは領主としての責任感で、色々と勉強しているに違いない。
「それにしても……精霊がいないな?」
あたしはサラとスイにしか聞こえないぐらい小さな声で言う。
話せるほど成長した精霊はめったにいないが、もっと幼い精霊はそこら中にいる。
だが、この村には精霊の気配がない。
「どうしたんだろ? やっぱり川がよごれてるから?」
「きっとそうなのである」
サラとスイも小さな声でこたえてくれる。
「やっぱり、川のみずのせい?」
あたしは地面の中にいるであろうクロに尋ねた。
『わからないのだ……水質の汚染が原因かもしれないのだけど……』
クロがわからないなら、誰にもわからないだろう。
「あのね、ルリアちゃん。きのせいかもとおもってたけど、お屋敷の精霊は増えてた」
「あ、たしかに?」
「でも、ルリアの周りに集まるのはいつものことなのである」
スイの言うとおり、あたしの周りには精霊がよく集まるのだ。
だが、村の精霊が減っているなら、お屋敷に避難してきたと考えた方がいいのかもしれない。
「やはり、川のみずか……」
あたし達が話している様子を、村人達が物陰から見ていた。
「あの方々は一体?」
「どうやらご領主様らしいぞ」
本当に小さな声でささやきあっている。
距離もあるので普通は聞こえないだろう。
だがあたしは耳がいいので聞こえるのだ。
「幼い女の子だと聞いてはいたが、本当に幼いんだな」
「でも賢そうだ」
「それに立派な馬だなぁ。さすがはご領主様だ」
「頭の上にのっているのは、なんだ? 竜か?」
「いや、竜がこんなところにいるわけは……」
ロアも注目されている。
「おかしいな? もしかして……」
あたしが領主だと誤解されている気がする。
「領主様の髪は、まるで炎のような赤さだ。まるで……伝説の厄災の……」
「不吉な――」
「ばう!」
ちょうどそのとき、ダーウが吠えながら棒を振り回した。
「ひぃ、恐ろしい犬が威嚇してる! やはり厄災の魔女の――」
「ばうばうばうばう!」
やはりダーウはあたしが悪口を言われていると思って威嚇してくれているらしい。
「ありがと、ダーウ。でもだいじょうぶだからな?」
「わふ~」
ダーウは前足を、レオナルドの横腹についてあたしに頭を寄せた。
「ありがとな? でも、ルリアはへいきだ」
ダーウの頭をわしわしと撫でた。
どうやら、男爵領でもあたしの前世の悪名は轟いているらしい。
だが、厄災の魔女と呼ばれても、もうなんとも思わない。
むしろ、どや顔したくなる。不思議な気分だ。
「……このしんきょうの、へんかは……なぜだろな?」
「どしたの? ルリアちゃん」「りゃむ?」
「なんでもない!」
あたしはダーウと、そしてロアを撫でまくる。
あたし達の会話が聞こえてないであろう村人達は噂を続ける。
「ご領主様が赤髪だとは知らなかった」
「ご領主様はそっちじゃないぞ?」
「え?」
「尾花栗毛の馬に乗っていらっしゃるのがご領主様だ」
尾花栗毛のサンダーも立派な馬だ。
だが、守護獣のレオナルドは立派すぎる。
領主が一番立派な馬に乗っていると思うのは自然かもしれない。
「ああ、よかった。なんとも優しそうで賢そうなご領主さまじゃないか」
「よかったよかった」
サラが褒められているのは素直に嬉しい。
それにあたしはおびえられているらしい。それは、少しかっこいい気がする。
かっこよく見えるように、にやりとしておいた。
「悪女? にもなれたほうがいいものな?」
「ルリアちゃん、なに言ってるの?」
「なんでもないな?」
耳のいいサラでも領民の言葉は聞こえていないらしい。
そんなことを考えていると、地面からにゅっとクロが出てくる。
『ぎりぎりなのだ』
それだけいうと、すぅっとまた地面に潜る。
「クロは一体どうしたのであるか?」
「……む。わからないな?」
すると、またすぅっとクロが現れて、
『耳に精霊力が集まっているのだ。まだ大丈夫だけど、それ以上は危険なのだ』
そういって、また潜っていった。
「そ、そうだったか。気をつけるな? クロ、ありがと」
あたしは小声で地面の中にいるクロにお礼を言った。
どうやら、あたしはつい無意識で精霊力を使って耳を強化してしまうようだ。
気をつけなければいけない。
「とはいえ、ぎりぎりということは、このぐらいならいいってことだな?」
完全に禁止ではないので助かる。
あたしが、村人達の会話に耳を傾けていると、
「でっけー」
十歳ぐらいの男の子が、レオナルドの前、すぐ近くまで来ていた。





