149 ※呪術師
コミックス2巻が5/7に発売となります。
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ルリア達が王宮で国王を救った、王宮事変の三日後のこと。
ルリア達がディディエ男爵領に疎開することが決まる一月近く前のこと。
いまだにサラの父であるディディエ前男爵は苦しんでいた。
◇◇
元々、ディディエ男爵家はアマーリアの実家であるクレーブルク侯爵家の分家筋の家だ。
男爵家の正当後継者は、男爵の一人娘であるマリオンと、その娘のサラである。
だが、この国において、基本的に爵位を継ぐのは男だとされている。
マリオンを男爵にするには、色々な障害が多すぎた。
そこで、婿養子に入り男爵を継いだのが、前男爵だった。
前男爵は元々、クレーブルク侯爵家に代々仕える騎士家出身の騎士である。
勇猛で、忠節で、剣の腕はたち、同僚に慕われる。そんな立派な騎士だった。
その優秀さを評価したアマーリアの父が、マリオンの夫に推挙したのだ。
外では優秀で人当たりもよく人望もあるのに、家庭では横暴なクズになる。
前男爵はそういう男だったらしい。
前男爵がしでかしたことを知ったアマーリアは当然激怒した。
既になくなっている父の代わりに兄である侯爵を怒鳴りつけ、責任を問いただした。
侯爵もマリオンの結婚時に色々な役割を果たしていたので、全くの無責任ではなかったのだ。
侯爵もアマーリアから実情を知らされ、自らの不明を恥じ、激怒した。
そして、真実を知らされた前男爵の実家である騎士家も激怒した。
人格者で知られる前男爵の兄である現当主は爵位を返上しようとするほど恥じた。
爵位返上を辞めさせるために、侯爵とアマーリア、そしてマリオンまでが説得したほどだった。
◇◇
そして、前男爵は、実家である騎士家に引き取られた。
当然、家の恥である前男爵に騎士家の者達は冷たかった。
ただ罪を犯したのではない。
本来守るべき、幼子を虐待し、自分の妻を虐げたのだ。
それは、騎士家の信条としても、到底許せる振る舞いではなかった。
引き取ったのは、放逐して伝染病をばらまくわけにはいかなかったからに過ぎない。
「だれか……誰か……」
前男爵がいるのは、馬小屋を改造して作った隔離小屋だ。
前男爵を苦しめているのは、本当は病ではなく、マリオンにかけた呪いが自分に返ったものである。
だが、他の者には伝染病である赤痘だと思われている。いくら呼んでも当然誰も来ない。
朝と夕にパンとスープ、水が差し入れられるが、それだけだ。
その差し入れも、直接持ってくるわけではない。
屋根に穴を開け、滑車やロープを工夫して、上から差し入れるのだ。
そうしないと、強力な感染力を持つ赤痘がうつってしまうからである。
「……いたい……うぅ」
もはや、トイレに行く力も無くなった前男爵は自分の糞尿にまみれていた。
それが赤く腫れ上がったできものに染みる。
奇しくも、ルリアが初めて会ったときの国王ガストネと、似たような姿になりつつあった。
ガストネはルリアとサラに救われたが、ここにルリアとサラはいない。
「なぜ、俺が赤痘などに……ディディエ男爵たる俺がどうしてこんなめに…」
前男爵は、返事もないのに、同様のつぶやきを日に何十回と繰り返す。
だが、その日は返事があった。
「それは赤痘ではない。忘れたのか?」
誰もいないはずの部屋から、独り言に対する返事があって男爵は「ひぁ」と悲鳴をあげた。
「お前が、お前の妻に赤痘に似た呪いをかけろと、呪術師に依頼したのだろう?」
「え? あ、ぁ……」
いつの間にか部屋の中には怪しげな香がたちこめられていた。
そして、部屋の中には呪術師が立っている。
濃い灰色のフード付きローブを着た呪術師は、背は低く腰が曲がっており、大きな杖を持っていた。
依頼した呪術師とは雰囲気が異なるが、フードを深く被っているせいで顔は見えない。
「それで、何があった?」
老爺とも老婆とも判断がつかぬしわがれ声で、呪術師は言う。
「なにが? とは……」
香には判断力を奪う効果があったらしい。
男爵は朦朧とした意識の中で、素直に答える。
「呪いがかえったと言うことは、解呪した者がおるのだろう? 誰が解いた?」
「かい……じゅ?」
男爵は理解していないが、そんなことはお構いなしに呪術師は続ける。
「お前に腫れ物ができた日に何があった?」
「……俺が赤痘に……なった」
まったく見当外れのことを答える前男爵に呪術師は小さく舌打ちした。
だが、訂正して説明する時間が惜しかったのだろう。無視して問いかける。
「それ以外には何があった?」
「……ヴァロア大公妃が……訪ねてきた」
「やはりか」
呪術師は「北の沼地の魔女」の一員だった。
巨大な呪術師集団である「北の沼地の魔女」にとって、ディディエ男爵家の出来事は些事だ。
だから、これまで放置されてきた。
だが、ナルバチア大公と組んで王家に呪いをかけたことがばれた。
ヴァロア大公が指揮を執り「北の沼地の魔女」殲滅作戦が動き始めた。
「北の沼地の魔女」は追い詰められつつある。
どうにかするために調べている過程で、呪術師はディディエ男爵家の出来事に目をとめたのだ。
「ヴァロア大公家に……鍵があるな」
呪術師の言葉を、朦朧とした意識の中、前男爵は聞いていたが理解出来なかった。
ヴァロア大公妃アマーリアを呪った「南の荒れ地の魔女」は壊滅した。
その後、組織を再編されて、大公の配下に収まった。
最初に王を呪った場所は、ヴァロア大公家の別邸の近くだった。
殺したはずなのに、なぜか、すぐ王は平然と朝議に出席していた。
王宮を襲い、王と王太子を呪うことにも成功したはずだった。
だが、なぜか、呪術師を含めて全員捕らえられ、王も王太子も次の日には平然としていた。
「あのときも、直後にヴァロア大公が王宮を訪れていたな……」
ヴァロア大公は呪術師の天敵と判断するしかない。
「大公に何がある?」
思考を深める呪術師は、もう前男爵を見ていない。
「新たに呪うのは得策ではないな」
大公妃、男爵夫人、王と王太子にかけられた呪いはことごとく返された。
新たに大公家の人間を呪ったところで、返されて終わりだ。
「お……。おれはディディエ男爵だぞ……おれが、こんな目に遭っていい……わけが……」
朦朧とした前男爵のつぶやきを聞いて、呪術師はにやりと笑った。
「そうだな。男爵閣下がそんな目にあっていい訳がないな」
「……」
「お前に復讐する機会をやろう」
「ふく……しゅう?」
「ああ、そうだな……ディディエ男爵領に連れて行ってやろう」
「……なぜ?」
「呪いというものは、ゆかりのある地の方が威力が増すのだ」
その日、前男爵の隔離小屋は燃え落ちた。
あまりにも激しい炎で、前男爵の死体は骨すらも残らなかった。
赤痘の苦しみに耐えきれず、自害したのだと、皆が噂した。
赤痘の患者は、骨がもろくなるので、骨が残らなかったことを誰もおかしいとは思わなかった。
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