148 疎開先
その日の夕食後、あたしとサラは、家族とどこに行くか話し合うことにした。
父と母とマリオン、それに兄と姉と書斎で話し合うのだ。
もちろん、ダーウ、キャロ、コルコ、ロアとミア、そしてスイも一緒だ。
書斎の大きな机に、父の領地周辺の地図をおいて、皆はその周囲に座る。
「ルリアは牧場が近いところがいいんだったね」
あたしを膝の上にのせた父が言った。
「牧場じゃなくてもいい。ヤギとかがいればな?」
あたしは、少し離れた長椅子に横たわるスイを見ながら返事をする。
スイはロアを抱きしめて、なで回しながら、クロと一緒に本を読んでいた。
「ルリアはヤギが好きなんだね」
そう言った兄は膝の上にのせたコルコを優しくなでている。
「お兄様、ルリアは小さい頃からヤギが好きなの。小さい頃からヤギの本を探していたわね」
姉の膝の上にはキャロが乗っていた。キャロは姉に優しくなでられて気持ちよさそうだ。
「そうだったかも」
姉に言われて、たしかにそんなこともあったと思い出した。
姉は記憶力がいいらしい。
「この屋敷の近くにも立派なヤギがいるでしょう?」
そう言った母の膝の上にはダーウが顎を載せている。
母もダーウの耳と耳の間の柔らかい毛をなでていた。
「うん。りっぱな子がいる」
母の言うとおり、屋敷の近くにはでかいヤギの守護獣がいるのだ。
他にも猪や牛、鳥の守護獣達もいる。
みんな、ルリアと仲のいい大切な仲間である。
「あの子たちと一緒にいけたらいいのだけどなー」
「あの子達は、あまりにも大きすぎるから難しいかもしれないわね」
どこか遠い目をして母は言う。
「そっかー」
それでも、ヤギ達なら、ついてきてくれるかもしれない。
湖畔の別邸に行ったときもついてきてくれたのだから。
「サラちゃんはなにかきぼうない? ちかくいがいで」
サラはマリオンが来やすい場所がいいのだ。
「うーんと。ルリアちゃんのいうとおり、動物がたくさんいたらたのしそう」
サラはマリオンの膝の上に抱っこされながら、ミアのことを抱きしめている。
「川とかどう? およげるかも?」
「川はダメです。近くに川があったとしても泳いではいけません」
マリオンに厳しく言われてしまった。
「なぜに?」
「川は非常に危険です。川底の石は滑りますし、流れもあります」
「マリオンの言うとおりだよ。ルリア、川はとても危ないんだ」
父もマリオンと同意見らしい。
「そっかー。みずうみよりあぶない?」
「危ないよ。水量が少なくて、ゆるやかな流れの川でも、水量が急に増えることもよくある」
「そんなことが? なぜふえる?」
あたしが尋ねると、キャロを抱っこした姉が優しく教えてくれる。
「晴れていても上流では豪雨の場合もあるの。それに上流で自然のダムができていたり」
「……だむ?」
「簡単にいうと、川がせき止められていることもあるの。倒木や岩が川を塞いだりしてね」
それが決壊したとき、たまりにたまった水が一気に流れてくる。
その流れはとても急で、水流も多い。
「そうなれば、体の大きなダーウだって流されちゃうかもしれないわ」
「おお~ダーウまで」「ぴぃ~」
ダーウがおびえた声を出しながら、ここぞとばかりに母に甘える。
きっと本当はあまり怖くないのに、慰めてほしいから怖がっているふりをしているのだ。
「もう、ダーウは仕方ないわね」
「ぴぃぃ」
ダーウはもくろみ通り母に優しく撫でられて、ご満悦だ。
「ルリアが流されたらスイが助けるのだ! なんと言ってもスイは水竜公ゆえな?」
絵本から顔を上げて、スイが元気に言う。
「スイ、もしもの時はお願いします」
父がスイに頭を下げる。
夕食時、みんなスイから水竜公ではなく、スイと呼ぶように言われたのだ。
だから、みな、スイと呼ぶことになった。
「うむ。任せるのである」
「ですが、なるべく危険に近づかないよう見守ってください」
「わかっているのである!」
スイが助けてくれるとはいえ、流されたら怖いので川では泳がないようにしよう。
あたしはそう思った。
「ねえ、サラ。馬は好き?」
川の話が終わると、母が優しくサラに尋ねた。
「はい。好きです」
「それなら、このあたりはどうかしら」
母はそう言って、地図の端の方を指さした。
「このあたりは立派な馬がたくさんいるのよ」
「みんなが乗っている馬車を曳いている馬のほとんどもこのあたりで生まれたんだよ」
母と父がそういって、あたしとサラを見る。
「馬がいっぱいなら、馬にのれる?」
あたしが尋ねると、母は笑顔で言う。
「国有数の馬産地だもの。乗れるかもしれないわね」
「おお~」
それは楽しそうだ。
あたしはダーウやヤギに乗れるのできっと馬にも乗れるに違いない。
「川もあるけど、川では泳こうとしたらダメよ?」
「わかってる」
あたしたちがいく候補地に、川があるからこそ、危ないと力説したに違いない。
「でも結構とおいな?」
サラの希望は、マリオンが来やすい場所だ。
遠いと、なかなか来れない。
「ルリア、サラ、よく見て。ここに道があるでしょう?」
母は立ち上がって、その地図の上を指でなぞる。
母の膝の上に顎を載せていたダーウは机の上に顎を移した。
「あるな?」「はい」
「この道は通りやすいから、比較的訪れやすいの」
「ほほう。よさそうだな?」
馬車で移動しやすいなら、訪れやすいのかもしれない。
だが、やっぱり遠い。ここから一泊二日、いや二泊三日ぐらいかかりそうだ。
話を聞いていたサラがマリオンに尋ねる。
「ママ、きやすい?」
「そうね、訪れやすいわね」
そして、マリオンはあたしを見て、にこりと笑う。
「ルリア様お気づきですか?」
「む?」
それは、父と母、それにマリオンはすでに行き先を決めていたらしいということに、だろうか。
あたしもサラも候補地のどこにも行ったことがないのだ。
希望を聞かれたとしても、正しく選べるわけがないので、父達が決めてくれてもいい。
それでも希望を聞いてくれるのは、あたしたちの意思を尊重しようとしてくれているからだ。
そんなことを考えていると、マリオンは全く別のことを言う。
「実は、奥方様が指したその場所、殿下の領地ではないのです」
「むむむ?」
そう言われてよく見たら、確かに領地の境界を示す線の向こう側だった。
「だれの領地?」
あたしとサラが向かう場所だ。
父の関係者、それも信頼の置ける関係者の領地なのだろう。
「王太子のおじさんか?」
「違うよ」
そう言った父はどこか楽しそうだ。
「あ、かあさまの方のおじさん?」
母の父はなくなっているので、母の実家の侯爵家はいま伯父が当主となっている。
「はずれよ」
母も楽しそうだ。
「むむう? ルリアの知っているひと?」
「よく知っている人ですね。サラはわかる?」
マリオンは優しくサラを撫でている。
「わかんない」
サラもわからないらしい。あたしもわからない。
「あ、じいちゃんか?」
王の直轄領というのもあるのだ。
「違うわ」
「えーじゃあ、だれ?」
本当にわからない。他に誰か、あたしがよく知っている領主がいるだろうか。
「正解はディディエ男爵領よ」
「え? サラの領地?」
ディディエ男爵とはサラのことだ。サラの名前はサラ・ディディエなのだ。
「サラも一度くらい自分の領土を見ておいた方がいいと思ってね」
父はサラの将来のことを考えたらしい。
「ギルベルトも将来のために定期的に大公家の領地を見て回っているのよ?」
母は兄ギルベルトを見て微笑む。
将来、父の広大な領地を受け継ぐのは兄ギルベルトなのだ。
「サラ。今は勉強とか思わず、ただ見て回るだけでいいんだよ」
兄はサラに優しく言う。
「はい」
サラは素直に頷いた。
そんなサラをマリオンは優しく撫でる。
「サラ。殿下も奥方様も、サラの希望を叶えるために考えてくれたの」
「希望って、ママがきやすいところ?」
「そう。近かったら他の貴族も接触しやすいし、そもそも意味がないでしょう?」
物理的な距離をとることで、あたしとサラに接触しにくくするために田舎に行くのだ。
マリオンが訪れやすい場所は、他の者も訪れやすい。
「その点、ディディエ男爵領は遠いし、私は引き継ぎの関係で滞在するひつようがあるから」
「あ、ママも一緒なの?」
「そうよ」
マリオンがそういうと、サラは満面の笑顔になった。
マリオンが一緒に来てくれるなら、あたしもうれしい。
「私は先に領地に入る必要があるのだけど……」
「向こうで一緒ならいい」
サラはうれしそうだ。
とはいえ、地図を見る限り、現地までおそらく二泊三日。
父と母は王都を離れられないとなると、二泊三日の間、子供だけになる。
あたしと、スイとサラ。それにダーウとキャロとコルコにロアだ。
侍女と従者は同行してくれるだろうが、それでも不安は残る。
「ルリアが、しっかりしないとだな?」
スイもサラも子供っぽいところがあるので、大人なあたしがしっかりしないといけない。
「もちろん、ルリアはしっかりした方がいいけど、私も行くから安心して」
「え? ねーさまも?」
「だって、道中二泊三日かかるのよ? 子供達だけでは不安でしょ?」
姉も子供だと思ったが、あたしは何も言わなかった。
「にーさまは?」
「ギルベルトは私の手伝いよ」
どうやら兄は母の手伝いをするらしい。
きっと父が忙しすぎて、領地経営の仕事を母が手伝っているのだろう。
それを兄が手伝うのだ。
父は姉を見て優しく微笑む。
「リディアには私の名代を務めてもらうことになる」
「ほえー。ねえさま、すごいな?」
「もちろん、地元の有力者に顔見せして挨拶する程度だが、重責だよ」
「お任せください」
姉は誇らしげに胸を張る。
「そして、なにより、ルリアとサラをお願いね」
「ああ、それが第一だ」
「はい、お父様、お母様。任せてください。私は姉なので。しっかりお世話します」
姉はとてもうれしそうだった。





