吟遊詩人から勇者となった男の妻ですが、結婚をなかったことにしたいこの国から逃走します
吟遊詩人という職業がある。
彼らは歌や物語を各地で拾い、披露し、広めていく。歌や楽器だけでなく、言語や魔法、剣術や武術に秀でた彼らを人々は歓迎した。特殊な彼らは中立国であるオルトーク神国で育てられ、自ら相棒を選んでは二人一組で各地を回った。彼らを害するものはオルトークの敵とされ、また自分たちを庇護するオルトークを彼らも大事にした。
吟遊詩人には自由を。彼らは神を、歴史を、文化を、愛を、憎悪を教えていく存在だから、手を出してはいけない。
いつしかそんな不文律ができたのも当然だった。
オルトークの証である、神聖力が込められた金の枝のブローチを付けた彼らの自由を、何人たりとも奪ってはいけない。また、吟遊詩人たちも自らの欲のためにその力をつかってはいけない。
吟遊詩人は愛を運ぶ風であれ。命を伝える歌であれ。その力を留めてはいけない。金の枝は流れるべきもの。
それは、守られるべきルールだった。
神聖歴九九九年。魔王と呼ばれるものが立った。かの王を倒すために、各国から精鋭たちが集められたが、同時に吟遊詩人たちも集められた。もちろん全員ではない。吟遊詩人の中からオルトークが選出した、力のある者たちだ。そのうちの一組は若い夫婦だった。精鋭たちと共に、彼らもまた、死力を尽くして戦い、そして魔王を討ち取った。
この話は、そこから始まる。
◇
本来なら普通の人たちと親しく付き合ったりしない吟遊詩人たちだったが、さすがにかの大戦で共に戦った戦友たちは別だった。一年とはいえ、相方以外の人間たちと生活を共にしたのだ。戦う力も、美貌も──吟遊詩人たちは見目麗しい者が多かった──魅力もある彼らと、普段なら親しく言葉を交わせない彼らと、人は関わりたがったし、様々な世界を知りたがっている吟遊詩人たちもまた、彼らと関わり合いになりたがった。
戦いが終わった後、吟遊詩人たちは戦いから引き出した英雄譚を伝えに各地に散ったが、幾人かの吟遊詩人たちは、友や生涯の伴侶として選んだ相手に誘われて彼らの旅路に付き合った。
一組は中央に位置するマルレーンへ。オルトーク神国と隣り合うそこへ向かった一組は、オルトークにある吟遊詩人組合へ情報を持ち帰る立場だったが、オルトークに戻る前にマルレーンに立ち寄るという。
もう一組は西側に位置するティルスへ。姉妹で組んだ彼女たちは、姉がティルスの勇者と恋に落ちたため、一度ティルスで拠点を探した後、オルトークに戻ってペアを解消する予定だという。
最後の一組。夫婦の吟遊詩人は、精鋭の中に混じっていた一人の王女の護衛を手伝いながら北のウーネベルクへ向かった。ウーネベルクは魔王の拠点からほど近い。彼らは妻の方が体調を崩したため、ウーネベルクで休養を取ってからオルトークに戻る予定だった。
「大丈夫か、ルーシー」
妻である自分を心配げに呼ぶランドールに、吐き気を我慢しながらルシルは笑みを浮かべて見せた。吐きたいのに吐けない。基本的に吟遊詩人は男も女も頑丈な人間が多い。健康でなければ吟遊詩人にはなれないからだ。ルシルがランドールと共に吟遊詩人になってから十年経つが、これまで吐き気に襲われた覚えはなかった。胃腸も強いし、酒にも強い身体がこれほどまで弱るのは、魔王の持つ瘴気に中てられたか──もしくはもうひとつの可能性か。覚えがあるだけに、ルシルは後者かとあたりを付けたが、さすがに医者に診てもらうまではうかつに話せない。ルシルも人間なので、体調を崩しただけという可能性も、ないわけではない。
「ありがと、ランディ……」
しゃべるだけで吐きそう。もはや自力で座るのもつらいため、ルシルはランディの馬に同乗している。ウーネベルクの王女は優雅に馬車に乗っているが、吟遊詩人であるルシルが同乗するわけにもいかないし、また、王女はルシルと仲良くないため、ルシルとしても遠慮したかった。
本来ならウーネベルクに行きたいわけではない。ウーネベルクのマンデリン王女は、ルシルの夫がお気に入りであった。魔女である彼女が旅の仲間に加わったときから、マンデリン王女はルシルが嫌いであったし、ルシルもまた王女の存在が煙たかった。吟遊詩人はあまり他人に思い入れを持つことはないが──思い入れを持つほど交流を持たない存在だ──さすがに一年ほど一緒にいれば、夫に懸想する女性からの悪意に辟易もする。
「落ち着いたらすぐオルトークに戻ろう」
ランドールもまた、ウーネベルクに行きたいわけではなかった。公私ともにパートナーを務めるルシルの身体は心配だったが、ウーネベルクのマンデリン王女がまとわりついてくるのも不快であったし、かの国の騎士であるテンセルが、既婚者であるルシルに秋波を送っているのも気に食わなかった。マンデリン王女とテンセルの不快さと、ルシルの身体を天秤にかけた場合、不快感を飲み込んでもルシルの健康を優先せざるを得なかったという状態だ。魔王国に一番近い国がウーネベルクであり、ウーネベルクの王都までいかなくとも一番近い町で医者に診てもらおうと思っている。マンデリン王女は王城までランドールを連れて帰る気でいるが、もとより吟遊詩人を拘束することは禁じられている。即座にオルトークをはじめとした連合国に攻められるだろう。どの国も、吟遊詩人が持ち込む情報を頼りにしているし、また吟遊詩人に噂を流してもらったりすることもあるため、彼らを敵に回すことはない。
ランドールは、魔王国との国境に近い商業都市ポルカドールに逗留するつもりだった。医師に診せ、ルシルの体調が回復してからオルトークの拠点に戻ってしばらく静養しよう。そう考えていたのだ。
ランドールの敗因は、動けない妻がかどわかされるとは思っていなかったことだった。
◇
「どういうことですか、テンセル殿」
意識を取り戻したルシルは、目の前の戦友をにらみつけた。戦友ではあったが、自分たちの意思に反して秘密裏に夫と引き離され、監禁された現状から、もはや彼は敵である。
「魔王を倒した勇者として、この戦いの褒美に貴女をいただきました」
目の前の勇者──魔王退治に赴いた一団は、みな勇者と呼ばれている──は、狂ったことを口にする。本来のルシルなら、得意の魔術を駆使して逃げるところであったが、気を失っている間に魔術封じの首輪をつけられていた今、身体能力だけでここから抜け出さなくてはならない。もちろん得物である弓も、身に着けていた短刀もすべて取り上げられているが。
目的地であったポルカドールを目の前にして、吐き気と眠気と眩暈がひどくて動けなくなったルシルのため、ランドールが単身で医師を迎えに行ったのが仇となった。
テンセルやマンデリン王女を信用していないランドールではあったので、もちろんそれ以外の人間にルシルを頼んでいったのだが、通常の階級制度から外れた存在であるランドールは、上位者であるマンデリン王女たちに彼らが逆らえないということを失念していた。
結果、ルシルは無力化され、見知らぬ場所に閉じ込められている。貞操の危機だが、自分の状態を鑑みるに無理もできない。多分だけれど──お腹に子どもがいるだろうから。
「わたしはモノではないのだけれど」
「貴女は私の妻となるのです」
しゃべるのも億劫だったが、どうにか口を開く。返ってきた返答に吐き気がひどくなった。完全に狂ったとしか思えない。寝かされていた寝台の上で、ルシルは身構えた。体調の悪い自分のための寝台ではなく、目の前の男との新婚生活のための寝台だとでもいうのか。非常に気分が悪い。なんならここで吐いてやろうと思った。吐瀉物で汚れた寝台に女を組み敷く趣味の男ではありませんように。
「わたしは既婚者ですけど? テンセル殿もご存じでしょう?」
「この国にいるならば、どうとでもなる」
うっそりと嗤って、敵となった男はルシルに近寄ってきた。
「結婚などなかったことにできる。貴女は、私の妻となるのです」
「申し訳ありませんが、非常に気分が悪いです。吐きます」
「やぁ、これはすまなかったね、貴女は具合が悪いのだった」
近寄られてはたまったものではないと、妨害するように腕を突き出すと、テンセルは微笑みを浮かべたまま止まってくれた。余裕がある態度が不安を掻き立てる。ランドールの不在は限定的なものだ。身軽になって馬を駆った彼は、きっとすぐ医師を連れてあの村に戻ってくる。ポルカドールはさほど離れていない。あの村から出たとしてもたかが知れているはずだ。
ルシルの姿が消えた時点でランドールがぶちぎれるのはわかっている。激怒するランドールはすぐルシルを見つけるだろう。だが、この国の最高戦力とされているテンセルがルシルを人質とする限り、ランドールは全力を出せない。
(まずはこの国を出よう。もうウーネベルクには来ない。吟遊詩人を、オルトークを敵に回したんだ。全力でこの国の仕打ちとオルトークの反撃を世界中に広めてやるわ)
吟遊詩人は物語を流布するだけの存在ではない。彼らは情報を操り、またひそかに情報を抜き去る術を持っている。夜に紛れ、秘されている情報を取っていくことができるし、無害な人になりすまして情報を吹き込むこともできる。表向きは歴史や文化を人々に伝える存在ではあったが、戦時中などの特殊なとき、一部の吟遊詩人はそのような仕事も行うのだ。
だからこそ、吟遊詩人から自由を奪ってはいけないし、オルトークは彼らを庇護する。
(そうなると、ここでわたしが捕まっていてはだめかぁ)
ルシルがいなければ、ランドールはテンセルなど即座に倒すだろう。仮に魔術が使えなくともランドールは強い。剣でも、体術でも、魔術でも、ランドールの武力は人一倍あるのだから。
「そうですね……わたしの夫となるのならば、わたしの気を惹いていただかないと。柑橘水をいただける? あなたとおしゃべりするにも、こうも気分が悪くてはダメだわ。ね?」
莞爾として微笑んで見せると、テンセルの頬が上気した。単純な男である。
ルシルは胸の前で指を組んで、小首をかしげてテンセルを見上げた。愛らしい容貌のルシルに、そのポーズはよく似合う。上目遣いでじっとテンセルの青い瞳を見つめ続けると、彼がたじろぐのがわかった。
「わたし、あなたのことが知りたいわ。デイヴィッド・テンセル殿、まずは愛称を聞かせていただける? それから、あなたの今までのことを。どのような場所でどのように育ってらっしゃったの? その強さはどのようにして手に入れたのかしら。かなり努力されたのでしょう? なんと言っても勇者に選ばれるくらいですもの。ねぇ、わたしに教えて。あなたの物語を」
情報を抜き出すのはルシルの得意技だった。魔術を封じられていても関係ない。人は言葉で語るものだ。
◇
ランドールは目の前の女を斬り捨てようと、腰に下げた剣の柄に手を触れた。怒りが渦のように腹の中を灼く。
吟遊詩人の力はルシルの方が上だが、武力は圧倒的にランドールが上だった。情報を集め、語りをまとめ、拡げる妻の隣で楽器をつま弾くだけでなく、旅の安全を守るのがランドールの仕事だ。
「オルトークの金の枝の約定を知っていてそう言いますか?」
低い声で尋ねると、目の前の王女は傲慢な笑みを浮かべた。赤く紅を刷いた形の良い唇が、にいっと吊り上がるのを見たランドールは、渦巻く不快感を表に出すまいと表情を消す。整った容貌のランドールが無表情になるとやたら怖くなるそうなのだが、威嚇を兼ねたその表情にも、王女はたじろがなかった。
「吟遊詩人は辞めることができると聞いたわ。ティルスの勇者と結婚するから、クーシュは妹とのペアを解消して吟遊詩人ではなくなると言っていたもの。約定よりも本人の意思が優先されるのでしょう? ねぇ、ランディ様もわたくしと結婚してこの国に住めばいいのよ。勇者となったわたくしは、お父様の後を継いで女王となるわ。あなたはその王配にふさわしい。いいえ、あなたしかいないの」
「俺の妻はルシルだけです」
「わたくしは王女よ? 勇者であり、女王となる者。わたくしの配偶者には勇者がふさわしいわ」
「この国にもいるでしょう、勇者が」
「わたくしにふさわしいのは、あなたよランディ様」
「愛称を許しているのは妻だけです」
堂々巡りだ。斬るか。とはいえ、ルール外に生きる吟遊詩人とはいえ、さすがに王女殺害は問題になる。妻に迷惑をかけるわけにはいかないランドールは、必死に自らの殺気と戦っていた。指先や髪の先でちりちりと雷光が閃く。
「俺たち吟遊詩人はなにものにも縛られない。歌を、歴史を、文化を伝えるのが定めであり、国に尽くす運命からは解き放たれている」
「美しい鳥には、大空以外にも住処はあってよ」
鳥かごで暮らす道を選べと告げる王女に、ランドールは背を向けた。彼女を守る兵士たちが彼に槍を向けたが、王女と違い彼らを斬り捨てるのは正当防衛と言えるだろうか。
「わたくしを選ばないならば、国を挙げてあなたを捕まえるわ!」
「愚かな王女の物語をありがとうございます、マンデリン王女。だが、俺はその添え物にはならない」
力強く言い切ったランドールは、大地を蹴るとともに、雷光をまといながら兵士たちに向けて剣をひらめかせた。彼らは槍の穂先を差し出したが、それよりも先にランドールの剣は槍を切り裂き、彼らの鎧に雷を落としていった。
王女のそばにもうひとりのウーネベルクの勇者の姿がない。つまり、あの男はルシルの側にいる。それは、ランドールにとって耐えかねることだった。
◇
テンセルはとめどなく語った。恋焦がれる女性に愛称を呼ばれ、蜜のような笑みを向けられ、ただただ自分の話を聞いて受け入れてもらえる。その時間が心地よく、気づけばテンセルは完全に彼女の手の内にあった。
「デイヴ様、そう、そんなことまでできるように努力なさったのね。それはあなたの才能ですわ。とてもすごいこと。普通の人にはできませんわ。さすが勇者様」
「ルー、ルー、君が褒めてくれるなら、俺は報われる」
彼女の相棒と同じように呼んだら、自分だけの愛称として「ルー」を与えられた。それもまた、彼の自尊心をくすぐる。
キスをねだろうと頬に手をかければ、体調がよくなってからだといなされるのは切ないが、その代わりのように肯定の言葉が降り注ぐ。容貌も、力も、育ちも、名前すら褒めてもらい、テンセルは天にも昇る心地だった。
咽喉の渇きを覚える彼女に、テンセルは柑橘をナイフで切り、手渡す。代わりのようにルシルはテンセルのグラスにワインを注いだ。テンセルがワインを飲むのを嬉しそうに彼女は眺めるし、テンセルが手ずからに与えた果物を、彼女はおいしそうに食んだ。あなたに切ってもらう果物はおいしいと言われたら、いくらでも与えたくなる。
テンセルは単純だった。目の前で思い人が振り向いてくれた。それに溺れた。ワインで酩酊していたともいう。
「わたしもあなたとワインが飲みたいわ。香辛料と、柑橘をたくさん入れてあたためたワイン。ここに香辛料はないの? 作ってくださる?」
目の前の語り部がほどよく解けてきたのを察したルシルは、甘えるようにテンセルに作業をねだった。ルシルから目を離さなくていいようにか、この部屋には暖炉も食料も飲み物もあったが、監視しながら調理は無理だろう。なにより、彼は酩酊している。
「わたしのためにあなたが作ってくれたグリューワインで乾杯しましょ? おしゃべりしながら作れば、わたしさみしくないわ。ねぇ、今度は騎士団について聞かせて。デイヴ様は国一番強いもの。その武功が聞きたいわ」
ルシルのかわいらしいおねだりに、テンセルは相好を崩した。心配になるほどのちょろさに感謝をする。手駒のように作業に入るテンセルに甘い言葉をかけながら、ルシルは髪の毛からピンを引き抜き、足首を戒めている拘束具の鍵穴に突っ込んだ。毛布の陰に隠れて解錠するが、テンセルが気づくことはない。騎士として失格ね、と、心の内で舌を出した。
「まぁ、最年少で隊長に? 今は副団長なの? 団長より強いのに変ね」
「剣の腕とは関係ないと言われてね。いや、俺が一番強いんだよ?」
「そうよね、勇者として選ばれたのはデイヴ様だもの。あなたが一番強いのはみんなわかってるはずなのに、なぜなのかしらね?」
褒めつつ、騎士団の情報も抜く。人数、組織の形、指導方法……ぺらぺらとしゃべるテンセルは、それは団長にはなれないだろうと思わせるほどよくしゃべった。
「ああ、ルー。俺の女神。愛する人よ。君の欲するワインができたよ。ねぇ、口移しで飲ませてほしい。俺に褒美をもらえないか」
うっとりと、ワイン入りのカップを手にしたテンセルは、ルシルの手を取った。気持ち悪いとルシルが思ったのと、ドアがはじけ飛んだのは同時だった。
「ルーシー!」
ランドールの声に合わせて、ルシルはテンセルの顎を思いきり蹴り上げた。続けてあおむけに倒れたテンセルの、急所を踏み潰す。
絶叫が上がったが、ルシルは悪いことをしたとはちっとも思わなかった。テンセルの自業自得である。あと、承諾なく女性をかどわかして毒牙にかけようとする男に生殖能力は必要ないと思う。
◇
愛する妻を取り戻したランドールは、その足でウーネベルク国を出た。まずはこの国から出ないと安心できないルシルは、吐き気を堪えて馬上にいる。振動が今の身体に悪影響を及ぼすかもとは思ったが、彼らの手から逃げるのが最優先だ。未確定だけれど、と前置き付きで子どもの存在を告げられたランドールの手腕にすべてを任せる。子どもの存在を知った直後から、ルシルはランドールの風魔法でくるまれている。まるで貴重品だ。ランドールはまだ高ぶった気が落ち着かないのか、たまに風に流れる髪の毛の先で、パチパチと雷光が弾ける。
オルトークまでは遠いが、ウーネベルクを縦断してマルレーンに向かうのではなく、西のティルス経由でオルトークに戻ることにした。ティルスに向かった同胞の助力を得るのが優先だ。ランドールは片手で抱きしめた妻と共に、荒廃した魔王国を駆けていた。寒さや振動が少しでも伝わらないよう、風魔法の調整に全神経を傾ける。
ルシルの魔術封じの首輪はまだそのままだった。不便だが、ティルスなりオルトークなりに到着すればどうにでもなる。
「あとで……」
腕の中で妻がささやいたのに気づき、ランドールは耳を澄ませた。ルシルのか細い声が続く。
「あとで、伴奏をつけて。語りの部分は組み立てたから……ウーネベルクの愚者の話を、伝えましょう」
吟遊詩人として優秀な妻は、馬上でずっと一連の出来事のまとめにいそしんでいたらしい。その言葉を聞いて、ランドールはようやく愉快な気持ちを取り戻した。
「そうだな、皆に拡散してもらおう」
「あそこの軍事情報も手に入ったから、協会長に伝えてうまいことつかってもらう……」
「ああ」
ランドールの頷きに、安心したのかルシルの身体から力が抜けた。
「しばらく、お休みだしね、わたしたち。オルトークで数年ゆっくりしよう」
「協会勤務に変わるな」
夫婦の吟遊詩人に子ができた場合、オルトークの吟遊詩人協会に身を寄せるのは決められていた。ひとところにいることのない吟遊詩人だが、引退後と子育て中は協会で後進を育てる立場になる。
「ちょうど大きな仕事が終わったからいいのかもね」
「次の大きな仕事が来てくれたのは喜ばしいことだ」
夫の言葉に、ルシルは笑った。たしかに出産と子育ては大きな仕事だ。なにせ初めての経験なのだから。
魔王退治より大変じゃないといいな、と、ルシルは夫の腕の中でこっそり笑った。
◇
その後、ランドールとルシルが流した話や情報で、ウーネベルクは国力を落とした。
横恋慕で夫婦を引き裂こうとした勇者たちの愚かな物語は、魔王退治の話と共に民衆や各国の宮殿で殊の外好まれた。尊ぶべき勇者もまた愚かであったというのは、戦で暗い影を落としていた人々の生活に笑いをもたらしたし、手っ取り早く復興をしたい国のうち、ウーネベルクに隣接していた国は侵略を選んだ。軍事情報が漏れていたウーネベルクが隣国に勝てるはずもなく、その領土を減らす結果となったのだ。
後世〝ウーネベルクの愚者〟と呼ばれた愚かな王女の物語が原因で、マンデリン王女は不能となった勇者テンセルを配偶者として離宮に引っ込まざるを得なくなったのだが、かの勇者たちも、ウーネベルクが十数年後隣国に併呑されるとまでは思ってもいなかっただろう。
〝ウーネベルクの愚者〟の物語は、オルトークの金の枝の約定と共に、長く語り継がれたと言う。
吟遊詩人がスパイになってしまった……。
そして逃走する勇者の妻を書きたかったのに、妻は逃走せず敵を籠絡しだした……つよいな。
テンセルは女性恐怖症となったため、妻となった王女と会話もできません。ちょろいだけでなくメンタル弱いね、君。




