第96話 微睡み
「…………」
「…………」
沈黙の寝室内にて僕は雫に抱きかかえられている。
僕は彼女の頭をゆっくりと撫で続けている。
最初は女の子の頭を撫でる行為にドキドキしていたけど、今は完全に落ち着きを取り戻し、空間の心地良さに若干微睡かけていた。
「……ね、キュウちゃん」
僕以上に眠そうな表情をしている雫が不意に話しかけてくる。
「クイズです。さっきの話し合いの時、私がキュウちゃんの言葉に一番怒りを覚えたのはなんでしょう~か?」
「うぐぐ、心当たりがあり過ぎて難問だ。アレかなぁ、勝負で僕が負けたら自主退学してもいいよって言ったこと?」
「ぶぶー。それは2番目です」
違っていたか。
これじゃないとすると本当にどの発言のことだろうか。
「ちなみにキュウちゃんが自主退学したら雫ちゃんももれなく自主退学します」
「なんで!? ダメだよ!?」
僕はともかく雫が自主退学なんて駄目に決まっている。
せっかくの才能を磨かないなんて勿体なさ過ぎる。
「じゃ、もう自主退学しても良いよなんて言わないこと。自分を大切にしない人……嫌い」
一応負けても自主退学なんてしない運びにはなったけど、下手すると僕と雫の両方が退学する未来も有り得たのか。
もう自分を犠牲にするやり方は止めよう。
「わかった。雫に嫌われるのだけは僕も耐えられないからこれからは自重するよ」
これ以上嫌われる要素を増やしたくないので雫の頭を撫で回す手もそろそろ止める。
「…………」
なぜか物凄く睨まれた。
「え、えっと……い、1位は、な、なんだろうなぁ」
「1位はたった今更新されました」
「なんで!?」
「…………」
雫は僕の右手を物凄く凝視する。
さすがにここまでくると僕もわかる。
恐る恐る再び雫の頭を撫で始める。
「うへへへへ」
どうやら正解だったようだ。
僕の親友は撫でられるのが好きな模様だ。
何この生き物くっそ可愛い。
「ねえ、雫。本当の1位はなんだったの?」
猫のように目を細めている雫の頬をツンツン突きながら正解を訪ねることにした。
「キュウちゃんがウラオモテメッセージよりもエイスインバースの方が面白いって言ったこと」
「えっ?」
「……私は絶対に認めないからね」
琴線そこ!?
そんなことで雫は怒っていたの?
「絶対にウラオモテメッセージの方が面白いんだもん」
拗ねるように唇を尖らす雫。
「えっと、ウラオモテメッセージの方が面白いって言ってくれてありがとう。雫がずっと作品のファンで居てくれるおかげでいつも救われているよ」
僕が知る限り、ウラオモテメッセージの一番のファンは雫だ。
何を面白いと思うかは人それぞれ。
大衆向けの作品が合わなかったり、逆に評価されてない作品を好きなったりするのはよくあることである。
「自分が絵を付けているからかもしれないけど、私にとってウラオモテメッセージはとても大事な作品なの。今まで生きてきた中で一番好きな作品」
「そ、そこまで言ってくれると照れるな」
「今まで私の中でウラオモテメッセージが不動の1位だった。でも最近は別の作品がトップに並び立っているの」
「……エイスインバース?」
雫は首を横に振る。
「エイスインバースは確かに面白いと思う。悔しいけど淀川藍里の絵もマッチしている。でも私の中ではウラオモテメッセージには遠く及ばない。私情が入っているかもしれないけどね」
「エイスインバースじゃないのなら……あっ、もしかして!」
「ふふっ。その通りだよ。私の中のトップトレンドは『クリエイト彼女は僕の小説に恋をする』だよ。一緒にお風呂で見た作品」
「お、思い出させないで」
あの時の羞恥がリフレインし、僕は瞬時に紅潮する。
「もし良かったらだけど、氷上与一との対決で使う作品には『クリエイト彼女』を選んで欲しい。あの作品なら勝てるよ。例え氷上与一がどんな作品を持ってこようとも」
「そ、そうかな。ま、まぁ、考えておくよ」
「うん」
「…………」
「…………」
それっきり室内は再び沈黙に包まれた。
でもこの沈黙が不思議と心地良い。
雫とはいつも常に何かを喋り合っている関係だったからたまにはこんな風に静かなのも悪くないな。
でも静かだとやっぱり眠くなってしまう。
雫も同様なのか、彼女の息遣いは段々と寝息の物へと変わっている気がした。
もういいか。このまま寝てしまっても。
そう思い、僕も目を閉じようとした時——
コンコンとノック音が鳴った。
ガチャとドアが開かれる。
「弓くーん? ご飯できましたよ」
「そ、そう。花恋さんありがとう」
この隣人は本当に躊躇なく人のプライベート空間に侵入してくるなぁ。
まぁ、今さら咎めるつもりはないのだけど。
「って、水河さん!? いらっしゃったのですね」
「えへへ。お邪魔してます。さっきぶり~」
「はい。さっきぶり……ですね……あの……何をしていらっしゃるので?」
花恋さんは若干前のめりになりながら聞いてくる。
まぁ、そうだよね。横っ腹に抱き着いている女の子がいたらそりゃあ驚くよね。
「キュウちゃんを抱き枕にしていたら本当に眠りそうになっていただけだよ」
「抱き枕!?」
「そ、その、違うんだよ花恋さん。雫とは先ほどの話し合いについてもう一度語り合っていただけで」
「その体勢でですか!?」
「ま、まぁ……」
「ていうか水河さん頭なでてもらっているじゃないですか! ず、ずるい!」
「えへへ~。親友特権なのだ~」
「水河さんばかりずるいです~! 弓くん、私のことも久しぶりに撫でてください!」
「久しぶりとな!? キュウちゃん雨宮さんのこともナデナデしてあげたことあるのか!」
「……あったっけ?」
「ありました! 高校の頃、例の渡橋で私もナデナデしてもらったことありましたもん」
あー、そういえばあったな。
初めて花恋さんと桃色っぽい空気になりかけたあの日か。
半年くらい前の出来事だ。もはや懐かしい。
花恋さんは僕の眼前で両手をついて、頭をずぃと突き出してきた。
撫でろ、ことらしい。
「よしよし」
花恋さんの頭に手が伸びてゆっくりと撫で回す。
「えへへ。気持ち良いです。ありがとうございます弓く——って撫でてるの弓くんじゃない!?」
「よ~しよしよし。わしゃわしゃ」
花恋さんの頭に手を置いていたのは雫である。
まるで動物を手名付けるように撫でまわしていた。
「もう~! ママ、わしゃわしゃしないでください。弓くん! 今度二人きりの時私のことも撫でてくださいよ! もう!」
「か、考えておくね」
中々ハードルの高い要望だな。
雫といい、花恋さんといい、女の子というのは頭を撫でられたい生き物なのだろうか。
「夕飯出来ていますから一緒に食べましょう」
「うん。ありがとう」
僕と花恋さんは基本交代制で料理当番を決めていた。
あれ? 今日って僕が当番の日じゃなかったっけ?
「花恋さん。もしかして僕に気を使って当番を交代してくれたの?」
「えへへ。どうでしょうね~。たまたまお料理したい気分だったのかもしれませんよ?」
顔に指を当て悪戯っぽく笑う姿がこの上なく可愛かった。
「ごはんの時間だったんだね。じゃ、私はこれで失礼するね」
「水河さん一緒に食べていってください」
「じゃ、二人共また明日ね」
花恋さんの言葉を聞こえないふりして帰ろうとする雫。
逃がすまいと花恋さんが雫の腕をガシッと掴んだ。
「た・べ・て・い・っ・て・く・だ・さ・い♪」
「うわーん! 捕まったぁ!」
「捕まったとは人聞き悪いですね。私料理の腕は結構上達したんですよ! ねっ!? 弓くん」
「…………」
「なんで目を逸らすんですかぁ!」
結局、花恋さんが作った夕食はまともな料理が一つも存在しなかった。
そしてこの日も雫が在り合わせなもので夕飯を振舞ってくれたのであった。




