第92話 怒りと困惑と後悔と
【main view 和泉鶴彦】
雪野君と別れた後、俺、藍里、春海姉の3人は食堂の片隅でテーブルを囲んでいた。
学食だというのに食事を取るわけでもなく、楽しく談笑するわけでもない。
空気は最悪に重かった。
「…………」
その一番の理由は目を座らせたまま、若干頬を膨らませている春海姉だった。
「ねえ、ナズナ。いくら何でも先ほどの態度は雪野さんに失礼よ」
「初対面でいきなりビンタかましていた子が何言っているの?」
「うっ……!」
重いよ~!
空気重いよ~!
もう帰りたい。
「大体、藍里さんはどうして『あの人』と連絡先を交換なんかしてるのよ? 恨んでいる相手なのでしょ?」
あの人——というのは雪野君のことを指しているのだろう。
もう名前やあだ名で呼ぶこともしたくないという拒絶の意思を感じた。
「そ、そう……だったけど」
「『だった』? まさか藍里さん、盗作魔を許したとか言わないでしょうね?」
「…………」
肯定も否定もせず黙ってしまう藍里。
ここ数日、雪野くんと接してきて思う所が色々あるのだろう。
「春海さん。藍里は今朝雪野君に謝罪をしたんだ」
「はぁ!?」
「当たり前だろ。過去にどんなことがあろうと暴力はダメだ。そのことに対する謝罪は絶対必要だ」
「いいえ。必要ないわ。当然の報いだと思うわ」
この人は本当にあの春海ナズナなのだろうか?
俺が一時期憧れを抱いていた春海ナズナなのだろうか?
そう疑問視せざるを得ないくらい今の春海さんは憧れだった頃の姿と異なっていた。
藍里の為に怒ってくれているだと思ったけど、きっとそれだけじゃない。
仲が良いと思っていた人が不正していた事実が許せないのだろうな。
——いや、そもそもそれは『事実』なのだろうか?
「藍里はどうしたい?」
「私は……私も……過去のことを許せるかと聞かれたら……できないと思う」
「でしょ!?」
「だけど…………」
長い沈黙が生じる。
藍里の瞳には『迷い』が見えていた。
心の底から『敵』と思っていた彼と接してみて、あまりのいい人っぷりに戸惑ってしまっている。
それに、あんなことがあったのに先ほどは共通の趣味の話で盛り上がることができた。
たぶん藍里は出来ることなら雪野君と仲良くしたいのだと思っているのだろう。
だけど過去の遺恨がそれを邪魔する。
雪野くんが良い人なのか悪い人なのか、それを判断する材料が現段階では少ないのがいけないと思った。
「藍里、それに春海さん。明日さ、ちょっと俺に付き合ってくれ」
「「えっ?」」
過去の件に関して、俺も春海さんも、言ってしまえば藍里だって外野の存在だ。
だから——
「『当人』に話を聞きにいこう」
俺たちが抱いているモヤモヤを晴らす術はもうそれしかない。
それに俺はもう限界だった。
元気のない幼馴染の顔を眺めるのも、太陽にように眩しい笑顔を忘れてしまった春海さんを眺めるのも。
だからさっさと問題を終わらせよう。
ウダウダ悩むのはここにいる全員が性に合わないのだから。
【main view 春海鈴菜】
「どうしよう……消えない……スレを消すことができないよぉ……」
雪野弓は過去に盗作をしていた。
その噂話は私にとって僥倖だと思った。
噂を広めればナズナちゃんは彼に幻滅し、友好関係を途絶えさせることができる。
そして雪野弓を更に追い込めば学園から追い出すことも出来るかもしれない。
いい気味だ。
——そんな風に思っていた過去の自分を殺してやりたかった。
「どうしよう……弓さん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ノヴァアカデミーの学内掲示板は一度スレッドが立ち上がってしまうとスレ主であろうと削除することができないようだった。
つまり、誰も書き込みをせずスレ落ちするのを待つしかない。
だけど雪野弓の盗作騒動は今や学園のトップトレンド。
スレ落ちどころか次々と雪野弓への悪評を広げるスレが設立されまくっている。
弓さんから『逮捕』とか『刑務所』とかいう単語が出てきた時、私は完全に青ざめていた。
悪いことをしたら逮捕される。小学生でも知っていることだ。
ネットでの悪質な書き込みは実際逮捕者も出ているような犯罪だ。
自分は……それをやってしまっていたんだ。
刑務所暮らしなんて想像しただけで動悸が収まらない。
裁判前の拘留すら自分には耐えられる自信がない。
そして、何よりもあの弓さんが私に対してあんな言葉を向けてきたことが信じられなかった
私が弓さんに抱いていた印象は、『下心でナズナちゃんに近づこうとしているド陰キャ』という何とも失礼この上ないものだった。
実際、今まで私はかなりきつく弓さんと接してきていた。
だけど弓さんは私に対して本気で怒ったり、仕返ししてくることなど一度もしなかった。
故に、この男は虐められても言い返したりやり返したりすることのできない弱い男だと錯覚してしまっていた。
でも——
『刑務所がどういう所なのかイマイチ知らないから出てきたら話を聞かせてね。小説の参考にするから』
あの時の弓さんは本気でそう言っていた。
私が慌てて謝ったから許してくれたけど、たぶん私が謝罪をしなかったら彼は本当に被害届を提出していたと思う。
いや、本来ならあんな言葉の謝罪だけでは到底許されないことを私はしてしまっていたんだ。
今まで弓さんが私に何も言い返してこなかったのは弱いからじゃない、優しいからだ。
私は弓さんの優しさに甘え、犯罪に近い行為で彼の尊厳を陥れようとした。
何様だ春海鈴菜。
自分が行ってしまった過ちを少しでも清算するために、そして本当の意味で弓さんに許してもらう為に、まずは自分が立てたスレを全て削除しなければならない。
その後に彼の名誉回復に全力で勤める。
それは私が最低限やらなければいけない義務。
そう思っていたのに……
「消えてよ……みんなスレを立てないでよ……弓さんを……これ以上虐めないでよ……」
自分で始めてしまった炎上はどうしようもなく大きな猛りを上げ続けている。
激しい後悔に呑み込まれるように私はその場で泣き出してしまうのであった。




