第82話 いつかしずく色に ③
「弓……さん……まさか……小説家を辞めるつもりなの?」
「…………」
「答えて!! 辞めるつもりなの!?」
問い詰めてくる雫さん。
ごめんね雫さん。
僕はここまでだけど、雫さんにはきっと明るい未来が待っているから。
「……雫さん。今まで本当にありがとうございました。雫さんのおかげで僕はここまで——」
「そんな言葉聞きたくない!!」
「僕は……もう……書けないよ」
「聞きたくないよ!!!!」
涙声で激昂する雫さん。
「誤解はいつか絶対に解ける! 弓さんの小説はいつか絶対みんなの心を揺れ動かす! 私が憧れた小説家はこんな所で絶対終わらない! 終わるわけないんだ!!」
なんて嬉しいことを言ってくれるんだ。
僕は一人じゃなかった。
たった一人、味方はいてくれた。
味方は……たった一人。
「……じゃあ、どうすればいいんですか?」
「書くんだよ! キミは小説家でしょ!? 小説を書くだけでいいんだよ!」
「書いて……書いてどうするんだ!? 非難されて……傷つけられて……Web小説家『ユキ』はもう書く場所なんて残されていないじゃないか!」
「書く場所なんていくらでもある! 『だろぉ』に拘らなくていいじゃんか! 『ヨムカク』だっていいじゃない! 『ベータポリス』だってあるじゃない!」
「一緒だ! 場所を移したところで……ユキの悪名が無くなるわけじゃない!」
エイスインバースの人気は本物だ。
そのまがい物としてユキの悪行は付きまわる。
エイスインバースの小説が発売すれば、氷上与一の名前と共にユキの悪名も知れ渡ることだろう。
仮に僕がヨムカクで成功したとしても、いずれ『だろぉ』読者は僕を糾弾しにやってくる。
そうなれば破滅。ユキは何度でも破滅してしまう。
そんなの……耐えられる気がしない。
「だったらユキを捨てればいい! もう一度『弓野ゆき』として公募に挑戦してみればいいじゃない!」
「駄目だ……駄目なんだよ……僕はもう……執筆するのが怖い……それに、ウラオモテメッセージ以上の作品を書ける気がしないんだ」
「そんなことない! 弓さんなら書ける!」
「根拠もなく適当言うな! 無理なんだよ……ウラオモテメッセージは……僕のとっておきだったんだ。何年も前から……プロットを組んできたんだ。何度も何度も推敲して……ようやく納得のいく形となったのがあの作品なんだ」
「だったらもう一度何年もかけて書けばいい」
「黙れ!! お前なんかに創作の苦しみが分かるわけないだろう!? 僕が今どんな気持ちなのか少しは考えたらどうなんだ!!」
苛立ちで感情の全てを暴言として吐き出した。
吐き出した後にちょっとだけ後悔した。
僕は唯一の味方を失ってしまう発言をしてしまったのだ。
こうなってしまえばもう自暴自棄だ。
吐き尽くしてやる。
僕の中の汚い感情を、全て雫さんに、この女にぶちまけてやる。
そうすれば僕は今度こそ独りになれる。
「どうして……どうしてパクリ小説の方が人気出るんだよ! ウラオモテメッセージはここから……もっと……もっと面白くなるはずだったんだ! エイスインバースにも負けない仕上がりになるはずだったんだ!!」
「……うん」
「おかしいじゃないか! どうみてもエイスインバースが後追いだろ!? 明らかにあっちがパクってきたんじゃないか!」
「うん」
「向こうはただ書籍化が決まっていただけじゃないか。それだけでどうしてみんなアッチを信じるんだよ! 書籍化ってそんなにすごいのか!? 書籍化ってそんなにえらいのか!? どうして書籍化されるだけで向こうがオリジナルになるんだよ! どうして書籍化されてないだけで僕が盗作魔ってことになるんだよ!!」
「……うん」
「出版社も目が腐ってんじゃないの!? ウラオモテメッセージは総合ランキング10位に入っていたんだぞ!? だったら書籍化の打診くらいあってもいいじゃないか! そう思うだろ!?」
「うん」
「何が『うん』だ。適当に相槌打ちやがって! どうせお前も僕のことを哀れなピエロとしかみてないんだ」
「違う」
「違わないんだよ! お前もお前だ。お前がもっと人を惹きつける絵を描ければ良かったんだ! 絵がクソだったから僕の作品は書籍化されなかったんだ!!」
僕は——
今何を言った?——
この時の僕は確実に暴走していた。
一ミリも思ったことをない戯言を吐き出してしまった。
違う。
クソなのは僕だけだ。僕の作品だけだ。
雫さんのイラストは素晴らしい。
雫さんこそ世界で活躍できる真のクリエイターなんだ。
……なんてことを言ってしまったんだ。
訂正しなきゃ。
今の言葉だけは即訂正しなければいけない。
いけないのに——
「うん」
「……っっ!!」
水河雫は——
僕の言葉に、ただ素直に『肯定』した。
僕の戯言に、雫さんを肯定させてしまった。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
激しい後悔が大渦のように心を搔き乱し、僕は心の底からの後悔を悲鳴として吐き出した。
その後悔の悲鳴を——
雫さんはただ静かに見守ってくれていた。
その通話から10日が経過した。
僕は結局雫さんに謝れていない。
それどころか連絡すら取っていなかった。
氷上与一の件、自分の小説の件、そして雫さんとの件。
すべてが悪い方向へ向かってしまっていることだけはわかっていた。
もう僕に味方してくれる人もいない。
学校でも常に俯いて無言を貫いている。
これから一生心が蔑んだまま生きていかなければいけないのだろうか。
そんな風に絶望に打ち震えていると——
~~♪ ~~~~♪
「っ!?」
ビックリした。
もう鳴ることのないと思っていた着信音が僕のノートPCから奏でられる。
雫さん。
あんなに酷いことを漏らした相手に何の用なんだ?
……いや、用件は分かりきっている。
絶縁宣言だ。
今までのパートナー関係に終止符を打つための連絡に違いなかった。
……いやだ。
……いやだ。
自分から突き放したくせに……僕は雫さんを失うことを恐れている。
いやだ。
独りは……いやだ。
雫さんとの関係が壊れるのが怖い。
毛糸のような細い線で辛うじて繋がっている関係を……切り離したくない。
僕は震える手でマウスを取り、通話開始ボタンにカーソルを移動させる。
だけど、それだけ。
結局僕は通話開始ボタンを押すことを躊躇い続けてしまい——
着信音のメロディはピタっ止まる。
切れ……ちゃった。
ピロンっ
「……?」
メロディが途切れ、ぼんやり画面を見つめていると、1つの画像ファイルがチャット欄に送られてきた。
いつもの雫さんとのやり取り。
彼女が挿絵を僕の元へ送って来たのだと思うけど……
どうしてだ?
絶縁宣言したい相手にどうしてイラストを送ってくる?
ぼんやりとした脳内でクエスチョンマークを浮かべながら、僕は震える手で画像ファイルをクリックした。
「……えっ?」
それはウラオモテメッセージ主人公8人の集合絵だった。
見た瞬間、イラストの世界に惹き込まれた。
8人の主人公は全員幸福そうな表情だった。
ウラオモテメッセージの世界で『自分たちは幸せに生きているんだぞ』とキャラクター達が僕に教えてくれているようだった。
イラストの中央には丸っこい可愛らしいフォントでこう記されていた。
『俺たちはキミの味方だ』
ああ——
居たんだ——
独りじゃなかった。
そうだ……僕には……僕が生み出したキャラクター達という絶対に裏切らない味方がいるじゃないか。
どうして忘れていたんだろう。
ピロンっ
涙がこぼれ始めたタイミングで雫さんが更に別の画像ファイルを送ってくる。
マウスカーソルを震わせながらイラストを表示する。
「あっ……」
今度は『大恋愛は忘れた頃にやってくる』のイラストだった。
主人公とヒロインのウエディング姿。
苦難を乗り越えた二人が祝福されながら幸せいっぱいの笑顔を向けている。
僕に——向けてくれている。
それは誰が見ても幸せのイラスト。多幸感に満ち溢れた最高の一枚。
雫さんが——世界一絵が上手いイラストレーターが、僕一人の為にこの絵を一心不乱に描いてくれたことが充分に伝わって来た。
『私達を幸せに導いてくれてありがとう』
丸っこいフォントが僕に向けてメッセージをくれている。
「ありがとう……」
涙がボタボタあふれ出る。
それを拭うこともなく、涙をそのままキーボードの上に垂らす。
「幸せになってくれて……ありがとう……」
このキャラクター達を幸せな結末へ導いたのは僕だ。
氷上与一じゃない。
彼らを幸せに出来たのは……雪野弓をおいて他にいない。
このキャラクター達は僕と雫さんだけのものだ。
ピロン
更にもう一枚画像ファイルが添付される。
雫さん、どれだけ描いたんだ。
たった10日でここまで心を震わせる絵を何枚も描けるなんて……
こんな神クリエイターに……僕はなんてことを言ってしまったんだ。
強い後悔に苛まわれながら、僕は最後の画像を開いた。
「えっ?」
真っ白だった。
何も描かれていない、ただ真っ白なキャンバス。
描いた後保存を忘れた?
それとも添付ファイルを間違えた?
ピロン
チャット欄に通知が鳴った。
今度は添付ファイル送信じゃない。
雫さんからのメッセージだった。
『その真っ白なキャンバスに弓さんの次回作のイラストを私に描かせてください』
「……しずく……さん……」
味方は僕のキャラクター達だけではなかった。
水河雫という心強いパートナーは今でも僕の傍に居ようとしてくれる。
なんて……なんて……嬉しいことなのだろう。
最初はたくさんの読者に自分の作品を見てほしいだけだった。
でも今は別の感情も生まれていた。
雫さんだけでいい。
雫さんがこれからも絵を描き続けたいと思えるような……そんな作品を今は書いてみたい。
僕は震える手でマウスを持ち、勇気を出して通話開始ボタンをクリックした。
コンマ数秒も間をあけず、雫さんは通話に応じてくれた。
「しずくさん……ありがとう……ありがとう……! それと……ひどいこといってごめんなさい……ごめんなさい!!」
みっともなく涙をダラダラ流しながら……
声の震えを隠そうともせず……
僕は雫さんに最大級の感謝と心よりの謝罪を言葉にして伝えた。
「弓さん。これからも、私と一緒に、作品を書いてくれますか?」
「……はい! 僕で良かったら……ぜひ!!」
すぐに小説を書き始めることは今の僕には難しいかもしれない。
でもいつの日か……心の傷が癒えたその日には……
また創作を続けてみよう。
最強のイラストレーターと一緒に。
真っ白なキャンバスを——いつかしずく色に染め上げられるように。




