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転生未遂から始まる恋色開花  作者: にぃ


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第70話 氷上与一と雪野弓

 集められた講義室で最初に取り行ったのは自己紹介だった。

 学籍番号の早い人から順番に立ち上がり、名前と代表作などを紹介する。

 苗字の昇順で学籍番号が与えられるので、苗字が「あ」行の人は必然的に学籍番号が若くなる。


「あ、雨宮花恋です。代表作は『才の里』。そ、その、純文学の賞を頂いたこともございます。この学校では大衆文学について知見を深めていきたいと思っております。よ、よろしくお願い致します」


 ペコリと頭を下げて着席する花恋さん。

 苗字「あ」行の宿命。自己紹介が1番手になりやすい。

 花恋さん……可哀想に。これには同情せざるを得ない。

 花恋さんが自己紹介を終えると周りの生徒が一斉にざわつき始めた。




「(えっ!? うそ!? 才の里ってあの才の里!?)」


「(てことがあの子が桜宮恋!?)」


「(ベストセラー作家じゃん。超有名人がどうして今さら専門学校に!?)」


「(純文学の神童がどうして大衆文学を学ぼうとしているんだ?)」


「(ていうかめちゃくちゃ可愛い。容姿端麗、才色兼備って実際にあるんだな。ラノベ設定だけの存在と思ってた)」




 花恋さんを称えるヒソヒソ声が僕の耳に入ってくる。

 才の里の影響度は未だ絶大だ。

 花恋さんは自己紹介で著名を名乗ってはいなかったが、この場にいる全員が『才の里』の著者=桜宮恋本人という方程式にたどり着いた。

 改めて、僕はとてつもない人と友達なんだなと思い知らされた。




「ふっ、俺の名前は池照男。地上最強にイケてる小説を書く男さ。代表作は『最強異世界転生物語』。先日『小説家だろぉ』でランキングトップ10入りもした。書籍化の話はまだ来ていないが、まっ、時間の問題だろうな。俺と同じクラスで学べることを幸運に思うがいい」


 花恋さんの後ろに座っていた金髪イケメンが立ち上がり、髪を掻き揚げながら自信満々に自己紹介を繰り出した。

 絵にかいたようなキザキャラだなぁ。実際格好いいけど。

 陽キャって凄い。僕には絶対できない自己紹介だった。

 それにしても『最強異世界転生物語』かぁ。直球タイトルだ。

 でもタイトルで凝っていない物語って中身が骨太なものが多い。今度読んでみようかな。


「(おいおい。桜宮恋の次はあの池照男かよ)」


「(えっ? あの金髪くんも有名人なの?)」


「(web小説コンテストでは結構名前みるぞ。それにSNSで物凄い数のフォロワーが居ることでも有名だ)」


 池君という人はweb小説では有名な人らしい。

 そんな有名人を知らなかっただなんて僕ってまだまだ知見が浅いなあ。


「(ていうか桜宮恋と並ぶと絵になるなあの二人。推せる)」


「(ね。純愛小説に出てくる理想のヒーローヒロインって感じ)」


「(美男美女は眺めているだけでも心が浄化される)」


 まだ2人しか自己紹介が終わっていないのにもう公認カップルみたいな感じになっている。

 高校時代の花恋さんは黒龍のせいで表に出てこられなかったが、環境がガラリと変わればこのようにクラスのアイドル的ポジションになるのかなとは思っていた。。

 更に桜宮恋の実績は小説家のたまごにとってインパクトが大きい。

 それに傍目で見ても超が10個付くくらい美人なのだ。

 高校卒業してから外見に大人っぽさが備わった気もする。

 人気出ちゃうんだろうなぁ花恋さん。ちょっと寂しさを覚える。

 ……池君とお似合い……か。


 思考が闇淵に呑み込まれそうになる。

 ノベル科の皆が次々と自己紹介しているのに僕の耳には全く入ってこない。




 ――が、この名前が発せられた瞬間、僕の脳は一気に覚醒を果たす。




「氷上与一。Web小説出身。一から小説を学ぶため入学した。以上だ」




 淡泊で、無表情で、シンプルな自己紹介であった。

 だけどどこか凄みを感じるオーラがあった。

 いや……そんなことよりも……




 “どうしてここにいる?”




 “どうして氷上与一がここにいる?”




 ここは素人がノベル技術を学ぶために設けられた空間だ。

 そういう意味では『純文学の神童』雨宮花恋も本来この場にふさわしくない人間といえる。

 しかし、彼女には『大衆文学を学ぶ』という目的がある故にまだ理由は説明できる。


 だけど氷上与一は違う。

 彼は花恋さん以上にこの場に『居るはずのない』存在のはずだ。

 だってすでにライトノベル界で世界的大活躍をしているはずなのだから。

 周りもそのことに気づき、ざわつき始める。


「(ま、まさか、いやいいやいや、まさか、まさか)」


「(ま、まさか……よね。たまたま名前が同じなだけ……よね?)」


「(いや、俺雑誌でインタビュー写真を見たとこがあるし、映画の試演会でも本物を見たことがあるからわかる。アイツは……本物の『氷上与一』だ)」


「(あば、あばばば、驚きすぎて顎が外れるかと思った)」


 そりゃあ知っているよね。

 クリエイターなら——いやクリエイターじゃなくても『氷上与一』を知らないものなどいないだろう。


「氷上君。代表作を言い忘れているぞ。ちゃんと紹介してくれ」


 月見里先生が氷上与一に補足を促した。

 先生の口元に小さな笑みが浮かんでいる。



 やめてくれ。



 僕の前であの作品の名前を言わないでくれ。



「……代表作は【エイスインバース】。以上だ」


 氷上与一の自己紹介が終わると、空間はワッと湧き出した。

 驚愕と尊敬の視線が一斉に氷上与一に向けられる。

 だけど僕だけはきっと全く別の表情をしていただろう。


 ゆっくり着席をする氷上与一を見ながら、僕は呼吸が荒くなっているのを感じた。

 まるで血液が沸騰しているみたいだった。

 暑い。たぶん熱がある。


 氷上与一がいる。

 エイスインバースの作者がいる。

 たったそれだけの事実が僕をこんなにも異常状態へと陥らせていた。


 おちつけ。

 もう終わったことなんだ。

 氷上与一が同じクラスなのはたまたまだ。

 今さら何を再燃させることがある。

 冷静になれ。


「――くん? 雪野君? 聞いているのか?」


「――えっ!? あ、はい! なんでしょう月見里先生」


「キミの番だと言っているんだ。まぁ、気持ちはわかるが、自己紹介はできそうか?」


 僕を気遣うような言葉が月見里先生から放たれる。

 この人はもしかしたら僕と氷上与一の間で起きたことを知っているのかもしれない。

 僕は震える足に鞭を撃つように勢い任せで立ち上がる。

 明らかに様子のおかしい僕を花恋さんが心配そうに見つめていた。


 僕は過去のことはもう気にしていない。

 そう思っていた。


 そう思い込んでいただけ(・・・・・・・・・)であることがこの自己紹介で顕著になった。


「雪野弓。Web小説家(・・・・・・)です。『ユキ』と著名で『小説家だろぉ』で執筆しています」


 違う。

 僕の著名は『弓野ゆき』だ。

 弓野ゆきの活動舞台は『だろぉ』ではなく、『公募』のはずだ。


 ただ、『ユキ』という名前でだろぉに執筆していることも事実。

 そしてこの後に口から出た言葉も事実であることには違いなかった。


「代表作は『ウラオモテメッセージ』。以上です」


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