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冬~1月第1話 お正月





年が明けて1月1日。



「……」


「……」



今、私の目の前にあるのは離婚届。



妻である私の欄は記入・捺印済み。後は伊織さんにも書いて捺印してもらうだけなのだけど。


ダイニングテーブルで向き合う私たちは……なぜかお雑煮を食べてた。






去年の12月25日。大事な日だから、と伊織さんとの待ち合わせ場所で待っていたけれど。


――彼は来なかった。


それでも雪の中で勝手に待ち続けた私は、酷い肺炎を起こして入院するはめに。



伊織さんは汗だくになって駆けつけてくれた。



私を、妻だと認めてくれた。



愛する人へ贈る指輪のついででも、初めてペンダントをプレゼントしてくれた。



嬉しかった。伊織さんはもう私がいなくても大丈夫だって思ったから、彼の幸せを思って離婚を切り出したのに。伊織さんは一切聞いてくれなかった。



どうして?



伊織さんが私を必要な理由なんて解らないし、確かに契約では結婚期間は1年となっていて、いわば契約破棄になるけど。伊織さんが愛してもない相手とこれ以上一緒に暮らす利点がわからない。



なのに、伊織さんはその後離婚の話をすると貝のように黙ってしまう。


入院中は伊織さんが毎日顔を出して、いろいろと持ってきたりそばに座って仕事をしたり。とにかく時間が許す限りはこちらへ来てた。



もしかすると夫だから義務を果たそうと?



「伊織さん、仕事が忙しいのにいいんですか?」


「葛西に任せてあるから問題ない。それより、ちゃんと寝てろ」



ポンポンと頭を叩かれて……何のつもりかがわからない。



そんなに優しくされたら辛いだけなのを、伊織さんは全然わかってない。残酷な人だなって人知れず泣いた。







退院は迎えに来ると伊織さんは言ってたけれど、その前にと私はおはる屋へ帰った。おばあちゃんに離婚のことを伝えようとしたけど、伊織さんから何かを聞いてたのかおばあちゃんに追い出された。



「ちゃんと互いに納得するまで話し合ってから帰ってきな。それまでここの敷居は跨がせないよ」

って。



おばあちゃんは頑固者だから、一度そうと決めたらテコでも動かない。


他に行き先がない私は、仕方なく迎えに来た伊織さんとマンションへ帰ったけど。



あれ以来、何だか伊織さんが……じっと私を見てるというか。監視されてる気がする。



太郎と花子を愛でる習慣は変わらないし、ダイニングテーブルでミクに占領されるのも以前と同じ。



退院したのが3日前で、それから離婚を切り出すと徹底してスルーされる。



せめて年を越す前に話を着けようと離婚届をダイニングテーブルに置いて、決死の覚悟で話し合いをしようと挑んだのだけど。



帰ってきた伊織さんに「これ」と渡されたのが、年越しそばとお雑煮の材料。 こんなもので誤魔化されません! と言えば、「腹が減った」と言うから仕方なく年越しそばを作った。



彼が食べられるように丁寧にだしを取ってたら時間が掛かって。年越し前に慌てていただくと、伊織さんは「眠い」とそのまま寝てた。



で、せっかくだからとお雑煮を作ってみれば。朝になって起き出した伊織さんは、ダシとお餅だけのお雑煮を食べて。



今現在に至ります。








こんなことじゃ、いけない。


流されてうやむやになるような、中途半端な決意じゃなかったはず。



私はお雑煮が入ったお椀をダイニングテーブルに置くと、伊織さんに切り出そうとした。



「あの、伊織さん……これを」


「その話なら聞かない」



私が指先で寄せた離婚届を、伊織さんは指先で弾いて返してきた。



怯みそうになるけど、ここで後ずさるなと自分に言い聞かせる。



「そんなの……わ、私はあなたのことを考えて」


「俺の人生、どうするかを決めるのは俺自身だ」


「でも……」


「…………」



それ以上は何も言う気がないようで、伊織さんはだんまりを貫き通す。



こうなると貝よりも頑固に口を開かない。とりあえず今は諦めて、お雑煮の野菜をもそもそと頬張る。



沈黙が下りる中で、唐突に伊織さんは口を開いた。



「今日は、なにか予定があるのか?」


「あ……はい。とりあえず年始の挨拶回りに。最初はおはる屋に行こうと思ってますけど」


「なら、俺も行く」


「え?」



伊織さんは椅子から立ち上がると、お椀と箸をシンクに持って行って水を流す音が聞こえる。



(え……もしかして……洗ってるの?)



今まで無かったことに信じられない気持ちでいると、とあることに気付いて慌てて走った。



「ちょ、ちょっと待ってください。 伊織さん……せめて洗剤とスポンジを使って!」



私がシンクに駆けつけたところ……



案の定、伊織さんは洗い物を水で軽くすすいだだけで、水が付きっぱなしのまま食器棚に戻そうとしてましたよ。










せっかくだから、と私は着物を着て挨拶回りに向かうことにした。



実はクリスマス前に自分へのプレゼントで、葵和子さんと一緒に選んだ洗える着物。


ポリエステル製だけど、帯もセットで格安で買えた。



薄紅色の無地の袷着物に、灰地に小さな花柄の帯。お正月だから、と髪も結い上げてかんざしを挿す。



時間は掛かったけどくるみさんの指導を思い出しながら、何とか自分なりに着付けできた。



マンションから出て駐車場に向かう時、案外着物って寒いんだと反省しながら身体を震わせる。



(まずいなあ……またぶり返したらどうしよう)



着物を選ぶ時には上着のことまで考えてなかった。自分の迂闊さを反省しながら歩いてると、急に伊織さんが足を止める。



そして、彼は私の肩にバサッと何かを羽織らせた。



「これを着ておけ」


「あ……はい」



きょとんと頷くと、伊織さんはふいっとそっぽを向いてすたすたと先へ歩いてく。何だろう? と不思議に思って視線を下へやれば、目に入ったのが紫色の羽織はおり。上品な紫色に百合の花があしらわれてる。


(これ……私のためにわざわざ?)



慌てて羽織に袖を通すと、袷にぴったりの色合い。これならもっと華やかに見える。



――もしかすると、病み上がりの私を気遣ってくれたの?



伊織さんの不器用な優しさに、胸が暖かくなる。



(これ以上好きにさせないでほしいのにな)



喜んでしまう私も、大概バカだけど。



私はそっと目元を拭うと、伊織さんを追いかけた。







おはる屋に着くと、ちょっとした変化に気づいた。



右隣の空き地にトラックが何台も横付けされ、プラスチックの囲いがぐるりとされて中が見えなくなってる。



(何だろう?何ができるのかな)



その空き地は以前宅地で、古い家が取り壊されてから何もなかった。お店でも作るんだろうか?



(コンビニだったら嫌だな。もろに影響が出るもんね)



そんなふうに心配してると、伊織さんが同じようにジッと見てるのに気づいた。



「あの、伊織さん。私はおばあちゃんに挨拶してきますね」


「ああ」



伊織さんがやたら熱心にその土地を見てたから、誘うのも気が引けて。私だけでおはる屋に入ろうとした瞬間、誰かとぶつかりそうになって慌てて避ける。


けど、草履と着物だと洋服ほど動きに自由が効かない。よろめいた私を支えてくれたのが、いつの間にか後ろに立った伊織さんだった。



「おや、これはこれは。またお会いしたねえ」


「え……」



以前聞いた憶えのある声に顔を上げると、伊織さんの親族と名乗ったあのチャラい男がおはる屋の中でニヤニヤ笑ってる。



(嘘……なんでこんなところにいるの!?)



身体を強張らせて呆然としていると、私を立たせた伊織さんがその男を呼んだ。



正男まさお、何の用事だ?」


「呼び捨てかい、伊織さん。ずいぶんいいご身分になったもんだよな?」



ニヤニヤと笑った正男という男は、口元をゆっくりと歪めた。



「なに、ほんのご挨拶さ。こんな昭和の遺物なんざ、下らねえってな」



ガン、と正男は近くの商品棚を蹴る。



「近いうちに無くなるんだ。さっさと店じまいすりゃいいものをな」






だけど。



「いてっ!」



ポコン、と正男の頭に羽根つきの玉が当たる。



「あ~ら、ごめんなさい! ツンツンに立った毛が枯れた草にしか見えなくて」



心愛ちゃんがわざとらしくそんな風に笑う。



「んだと、このガキ……だっ!」



次に正男のすねに直撃したのは、かなり大きな独楽こま


「あ、わりぃ。手が滑っちまった」


と堅くんが紐を手にアハハと笑う。



「てめ、クソが……んが!」



ポコン、と軽い音をさせて正男の鼻に命中したのが、けん玉。


うわぁ……痛そう。



「こりゃ、失敬。おはる屋を食い物にしようとする野犬かと思ったんで」

と空くんがとぼけたように口笛を吹く。



「て、てめぇら……!」



赤い顔をしてブルブルと顔を震わせた正男は、今にも爆発寸前に見えた。これはまずいんじゃあ? とおろおろしてると。伊織さんが一歩前へ出て正男に言い放つ。



「こんなところで油を売っているより、教授の機嫌を取りにいかなくていいのか?」


「……!」



伊織さんがそう言った途端、正男の顔がさあっと青ざめた。


「就職を自力で出来るなどよほど自信があるようだな。その割には単位を5つも落とすなど。正蔵もフォローしきれないんじゃないか?」


「くっ……お、憶えてろ!」



正男は黒いスーツ姿の男とともに黒塗りの車に乗り込むと、猛スピードで走り去った。








「おじちゃん、久しぶり! ねえ、独楽やろうよ」


「あ、ああ……」



伊織さんは堅くんに捕まり、遊びをねだられて困惑してる。これもいい経験だ、とニヤリと笑って私は放置した。



おはる屋はおばあちゃんがゲーム機の持ち込みを禁止してるから、子どもたちは昔ながらの遊びを自然に憶えてく。だから、伊織さんが童心に返って楽しめればいいな。



ふと視線を巡らすと、空くんとバッチリ目が合ってしまって。思わず視線を逸らしてしまった。



(わ……バカ! なんでこんな態度を取るの。避けてるってバレバレじゃない)



だけど、空くんも遠慮するつもりはないようで。うつむく私の視界に彼のスニーカーが入ってきた。



「碧姉ちゃん……オレ、諦めるつもりはない。だけど、そうやって避けられるのはやっぱ傷つく」


「ご……ごめんなさい」


「いいよ。フライングしたのはオレだし……ね、今度どっか行く? 体がよくなったらさ」


「……ごめんね、空くん」



私は顔を上げると、彼を見据えて首を横に振る。



「私は、伊織さんと別れるけど。空くんと2人では出掛けられない……それは自分が自分を許せなくなるから」



ごめんなさい、ともう一度空くんに頭を下げた私は。そのままおはる屋に入った。



胸を押さえると……まだ、ドキドキしてる。



(ごめんね……空くん。こんな私でも好きになってくれてありがとう)







おはる屋に入って驚いた。ゴホゴホと酷い咳が聞こえてくる。慌てて框を上がり、和室の引き戸を開けて。おばあちゃんが台所で激しく咳き込む姿を見つけた。



「おばあちゃん!」



急いで和室を通り抜け、台所に駆け込みおばあちゃんの背中をさする。



「おばあちゃん、大丈夫?」


「なに、勝手に上がってんだ……ごほっ! バカ婿と話をつけたのかい?」


「まだだけど……それより、おばあちゃんのことでしょう! 布団を敷くから早く横になって」


「大げさに騒ぎ立てるんじゃないよ! ゲホゲホ!」


「ほら、強がってないで。体にも力が入ってないでしょう」



私はおばあちゃんの腕を肩に回すと、何とか和室を目指す。



その最中、気づいたことがあった。



(おばあちゃん……こんなに軽い。体も……こんなに細く小さかったんだ)



おばあちゃんがこんなにも痩せていた現実に、涙が出そうになる。



幼い頃からずっとおばあちゃんは私の親代わりで、何があったとしても絶対に揺るがない。ずっと変わらずに、憎まれ口を叩いてると思ってたのに。



考えてみれば、おばあちゃんももう65歳。還暦はとうに過ぎてたんだ。



(おばあちゃんだって……いつまでも元気じゃない。そうなったら私がついてないと)



伊織さんと結婚していてはおばあちゃんの面倒まで見きれない。やっぱり私はおはる屋に戻ろう。それが一番なんだ。



そんな現実が胸にしみてきて、どうしようもなく寂しく悲しくなってきた。



おはる屋から外に出ると、伊織さんが子ども達と遊んでる。こんな無邪気な笑顔もできるんだな……って嬉しかった。





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