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秋~10月第1話 みんなの想いを




伊織さんと何度目か判らないケンカをした私。


“日常で謝るきっかけがないなら、彼が避けられない社交の場所で会えばひと言くらいはなにか言えるはず”



そんな浅い思い付きだったけれど、あずささんは全面的に協力してくれた。



「なかなかいいじゃない。ドレスより目立つかもね」



今日の舞台であるパーティー会場を擁するホテルの玄関ロビー前で、黒いドレスを着たあずささんが感心したように言う。



「そうですか? でも……みんなの想いが込もってますから」



私は、緊張しながらも身に付けている着物の生地と帯に指先でそっと触れた。






「よし、と。今日も上手くできた」



私が起きて朝一番にすることは、昨夜作ったプリンが上手く作れてるか。パンプディングのパンに上手く卵液が染みてるかチェックすること。



どちらも上手く行っていたら、パンプディングの中身を焼くためにココットに移し、オーブンに火を点ける。



念のため紅茶とサンドイッチの用意もしてるけど……この1ヶ月近く。伊織さんが用意したこれらを口にした気配はなかった。



伊織さんの母親である葵和子さんを無断でマンションに上げたせいで、彼に無視され始めて3週間が経っていた。



その間見事なまでに彼に避けられていたけど。私はいつもと変わらない毎日を過ごそうとしつつ、伊織さんに謝罪する機会を窺ってた。



けれど、やっぱり伊織さんは隙がない。ろくに顔も見られない。



だから私は、あずささんに社交の場で伊織さんに謝りたいと相談したんだ。



なぜか彼女はノリノリで。一緒に買い物に行って服やら何やら揃えよう! と言われたけども。


私は恥を忍んで、あまりお金をかけられない事情を伝えたら。



『それなら任せて!』



とあずささんに一方的に電話を切られた後、指定された待ち合わせ場所へ行けば――意外な人が待っていた。










「ご無沙汰してましたわ、碧さん」



あずささんのマンションを訪れると、待っていたのはあずささんだけでなく、葵和子さんもいらした。彼女は今日も和装で、薄い紅葉色の付け下げに銀色の帯を上品に合わせてる。



私は突然のことでぼうっと突っ立ってたけど、葵和子さんの挨拶で慌ててこちらも頭を下げた。



「あ、お久しぶりです」


「突然お話に割り込んでしまってごめんなさい。けれど、碧さんがお困りとあずささんからうかがって。僭越かと思いますが、わたくしにも協力させていただきたいのです」



葵和子さんはそう言いながら、持っていた布製のカバンを開く。



取り出したものは折り畳まれたたとう紙で、中から取り出されたものはたとう紙の上で広げられる。



葵和子さんが持ってきたものは、数枚の着物だった。



「これは全てわたくしが結婚前に着ていたものです。碧さんは着物に興味がおありみたいですから、どうぞお好きなものを手に取ってみてくださいな」



葵和子さんがそう言うのも、きっと和装専門店で私を見ていたからだろうな。あの時確かに私は一着くらい着物が欲しいと考えてたけど。



そっと、広げられた着物に触れてみる。肌触りのいい独特な風合いが、これは上質な生地なんだと伝えてくる。


振袖、小紋、付け下げ、紬、ひとえ、色無地。



どれも上品で仕立てがいいものばかりだ。



だけど、だからこそ。



「……すみません、私にはとてもいただけません」



私が葵和子さんへ向けて頭を下げると、あずささんが不思議そうに首を傾げた。



「どうして? 伊織さんの妻ならば、葵和子さんの義理の娘でしょ。甘えて一着くらい遠慮なくいただいた方がいいんじゃないかな?」


「そうですよ、碧さん。わたくしは……あなたが娘になってくださって嬉しいわ。あなたもわたくしを母のように思って……遠慮などなさらないで」



優しく微笑む葵和子さんの眼差しはあたたかくて、胸がじいんと熱くなる。



……嬉しい。


こんな私でも、娘のように思ってくれるなんて。体が震えそうなほどの喜びを感じる。



でも、と私は組んだ両手をキュッと握りしめる。



(私は……あと半年で伊織さんと離婚するんだ。これは絶対変えられない契約……そう。私と伊織さんは契約だけで結ばれた関係なんだから。これだけ喜ぶ葵和子さんにこれ以上嘘をつきたくない)



ふるふると首を振り続ける私に、困ったように笑う葵和子さんは。たとう紙に包まれた一枚の着物をスッと差し出した。



「……もしも事情があってお受け取りが嫌でしたら、これだけお借りになって。一つ紋ですから幅広い場所にお召しになれるわ。着るものに困ったなら、考えてみてくださいね」



ぜひ、これだけはと頼み込まれては断れず。結局その着物だけお借りすることになった。










おはる屋の和室でたとう紙から取り出した着物を見たおばあちゃんは、これはと目を丸くした。



「あんた、この着物をどうしたんだい?」


「葵和子さんから借りたの……今度……パーティーに着ようと思って」


「……」



おばあちゃんはしばらくその着物を眺めると、やれやれとため息を着いて箪笥を開けるとごそごそと何かを取り出した。



おばあちゃんが取り出したのは金色の地に華やかな紅が散らされたデザインの袋帯。



「これを使いな。その帯だと地味過ぎてあんたが回りに埋もれちまう」


「おばあちゃん……私が地味すぎて壁と同化するって言いたいわけね」


「ふん。あんたには葵和子のような華やかさが足りないからね。多少足さないとバカ婿の目にも止まらないよ」



まったく、とおばあちゃんは特大のため息を着いた。



「あんたはこの帯をくれたわしのばあちゃんにそっくりだ。地味すぎて他の花の引き立て役になる……だけど。雑草なら雑草で、踏みつけられてもへこたれない根性を見せつけてやるんだよ!あのバカ婿を蹴飛ばすくらいの勢いでね」



相変わらず口が悪いけど、私を励ましてくれたことはわかる。おばあちゃんのおばあちゃん……戦前から、大切に受け継がれてきた帯。



篠崎家の様々な思い出が詰まった大切な帯。一時とはいえおばあちゃんが託してくれたなら、きっと私は篠崎家の女だと正式に認められたんだ。 たとえ血が繋がってなくても。



それが、何よりも嬉しかった。









着付けと髪結いはおばあちゃんがしてくれた。



葵和子さんが貸してくれたのは背中に一つ紋が入って花菱模様が織り出された、薄いピンク色の色無地だった。



「葵和子はここ(おはる屋)に来る時、必ずこれを着てたよ。もういい年した娘だったが、何でもない駄菓子に目を輝かせてな……地元の子ども達の遊びを見ながら、駄菓子やわしのプリンを食べるのが何よりの楽しみみたいだったよ」



帯を結びながらも、おばあちゃんは遠い目をして小さく笑う。



「葵和子はあんたより若い年に嫁がされたからねえ」



もっと話を聞いてやればよかったよ、とおばあちゃんは珍しく沈んだ声で呟いた。



「18の娘が30近く上の男に愛情なんざ持てるもんかね。葵和子は実家の借金のかたに、後妻として無理やり嫁がされたんだよ」


「えっ……」



驚きながら見ると、おばあちゃんはだから、と強く帯締めを締めた。



「この着物は葵和子にとって特別なのさ。幸せの象徴……おそらく、おまえにバカ息子と幸せになって欲しいんだろうよ。その願いを潰すような真似は、ワシが許さないからね」








おばあちゃんは特別手当てでタクシー代までくれたから、遠慮なくタクシーで会場まで向かう。電車だと慣れない和装はキツイから。



一応、おばあちゃんとくるみさんに和装の立ち居振舞いは特訓してもらったけど。わずか1週間じゃ付け焼き刃ですよね。



どうかボロが出ませんように、と戦々恐々で着いた先は、とある一流ホテル。ホテルマンさんの出迎えが当たり前なセレブ感満載ですよ。



「そんなにびくびくしないの。堂々と胸を張らないと、着物で猫背はみっともないわよ」



大胆な切り込みが入った赤と黒のセクシーなドレスを着たあずささんは、私の隣でそうアドバイスしてくれる。



今日のパーティーは招待されたのがあずささんで、私は同伴者という立場です。



大きな企業の重役の誕生日パーティーらしく、かなり砕けたものだと教えてもらえた。



「それにしても面白いわねえ、仮面パーティーにしちゃうなんて」



受け付けで記帳をした後に渡された目の部分を覆う仮面。それに戸惑ってると、あずささんにはノリノリで仮面を装着する。



「ほら! こうやって着けちゃうと、誰が誰だかわかりにくいでしょ?」



あずささんが楽しそうに見せてきた通りに、確かにパッと見ではわからない。



(これなら……私も気後れせずに大丈夫かも)



招待客の中から伊織さんを見つけるのは難しいかもしれないけど、彼に見つかってもすぐに私とはわからないだろう。だから、それを利用して彼に近づくんだ。



これはいいチャンス、と和風の仮面を顔に付けた。








会場に入って驚いた。



すごく広くて赤い絨毯が敷かれてシャンデリアが輝いて――なんて私の貧相なイメージとは正反対。たくさんの極彩色の花が飾られて、明るく開放的な空気が流れてた。


仮面パーティーという通りにそれぞれ思い思いの仮面を着けてるから、パッと見ただけでは誰が伊織さんなのか区別がつかなさそうだけど。



まだこの中には伊織さんがいない気がした。



「さすがにすごい人数ねえ」


「そうですね」



あずささんの言葉に相づちを打った後、ギュッと胸元で左手を握りしめる。



(これからは私一人の戦いなんだ。大丈夫……私はやれる。伊織さんにちゃんと謝れる)



気合いを入れ直した私は、あずささんにお礼を言おうと振り返った。



「あずささん、ここまでありがとうございました。これからは私は一人……で……!?」


「ふふふ……あの男の子、隣の男性といい感じねえ。やっぱし最初は無理やりだけどゆっくりと心を開いて……ふふふ」


「……あの、あずささん?」


「あ、ライバルが来た! 手強そうね。2人はやっぱり幼なじみで……相思相愛だけど略奪……寝取られね」



あずささん……



あずささんが。



……ちょこっとだけ……腐った女子してました。




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