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秋~9月第1話 意外な出逢い






「で、こうしてタオルで体型を補正すると、キレイに見えるんです~」


「へ~着物を着る時ってタオルも使うんですね。初めて知りました」



ただ今、葛西家のマンションで着付けの講習中です。くるみさんの手で体にタオルを巻かれながら、下着段階での体型の補正方法を学んでた。



夏にお会いした時に浴衣を着付けてもらった上、厚かましくも着付けのレッスンまでお願いして。8月の末から週1のスケジュールで習ってます。



くるみさんはもともと看護師をしていたらしいけど、今は夫の葛西さんが働くことを良しとしないから専業主婦中。だから、彼女は時間はいつでもありますよ~とにこやかに応じてくれた。



ちなみに着物は持ってないから、今のところくるみさんに借りてる。おばあちゃんのを借りたかったけど、私が不器用だから着付けなんて覚えなくていいって絶対反対されるもんね。



一応、基本的な下着やタオルや足袋は買い揃えたけど、長襦袢は高くて手が出せない。ちゃんとした襦袢はきちんとサイズを計って仕立てる必要があるからなあ。



(一着くらい着物が欲しいけど……今のおはる屋だけの収入じゃあ厳しいな)



伊織さんと離婚した後でも、きちっとした着物を一着持ってても困らないし……。



そう考えて、胸がズキッと痛み泣きそうになってきた。



「あら、大丈夫ですか? 胸を詰め過ぎて苦しい?」



帯締めを結ぶくるみさんにまで、余計な心配をさせて情けない。しっかりしろ! と自分を叱りつける。



「そ、そうですね。ちょっとだけ。でもガマンします」



へらり、と笑ってごまかす。くるみさんにも、気持ちを悟られる訳にはいかなかった。









「あ……これ素敵」



着付け教室の帰り道。和装専門店を覗いていたら、お手軽な価格の「洗える着物」を見つけた。



ポリエステル生地ではあるけれど、色は選べるみたいだし。一着買えば家でも着付けの練習が出来る。



(仕立て上がりで9800円か……)



お小遣い数日分の金額だし、悩むなあ。



(やっぱり物いりだし、おはる屋が終わってから夜のバイトを再開しようかな)



ダイエットでも野菜をよく食べるから、割と食費がかさんでる。最近は食事の支度は任されてるから、おばあちゃんのお小遣いから材料費をやりくりしてるけど。厳しい財政状況なんだよね。



伊織さんはたぶん、知らない。私が月に50万支払われてる生活費に一切手をつけてないことを。



マンションに無料で住まわせてもらってるだけでも有難いのだし、鈴木さんに家事を手伝ってもらい楽をしてるんだ。だから、厚かましくお金まで受け取る訳にはいかない。



これは、私のつまらないちっぽけな矜持。お金を受け取ってしまったら、契約というドライな関係を自分が認めてしまうような気がして。



愚かな私は頭ではわかっていても、気持ちが認めたくないと叫んでる。



……伊織さんに一方通行の想いを抱いてからは、特に。



(伊織さんに内緒で短時間のバイトを始めようかな。三時間くらいならそんなに遅くならないし)



専門店のそばにラックがあって、そこにはいくつかのフリーペーパーがある。求人のペーパーを幾つか手に取ると、お店を出ようとした瞬間に声をかけられた。





「もしもし、こちらを落とされませんでした?」



スッと差し出されたのは、猫の刺繍があるピンク色のハンカチタオル。



そういえば、歩いて汗をかいたから拭う時に使ったんだ。



「す、すみません。ありがとうございます」



受け取った後、ペコペコと何度も頭を下げた。



「いいえ。お役にたてて何よりですわ」



涼やかだけど、ある程度年輪を感じられる落ち着いた声質。しっとりした大人が想像出来て、顔を上げると目の前にいらしたのは、四十代後半辺りに見える女性。



藤の花を思わせる薄紫色の紬に紺色の帯を合わせ、草履は銀色の無地。艶やかな黒髪をうなじで結い上げ、トンボ玉の簪を一つ挿してる。



薄化粧が綺麗な肌にとてもよく合っていて、黒目がちの伏し目は睫毛が濃い。


全体的に細身ではあるけど、ピンと背筋が伸びて静寂がよく似合いそうな品の良さを漂わせていた。



彼女の着てる紬は相当な上質感がある。織り上げに1年掛かるレベルの逸品だ。つまり、それなりに裕福なご婦人ということ。



とても私には縁がなさそうな女性なのに、どうしてかお会いしたことがあるような感じがしてならない。



特に、黒目がちで印象的な瞳が。



それでも、これっきりでもう会うことはないはず。



そう思ったのに、なぜか女性から意外な誘いを受けた。



「あの……よろしかったらお茶でもご一緒にいかが? ちょうどいただきたいものですから、お付き合いくださいな」










拾い物をしてくださった以上、断ることは出来ず彼女とともに近くの喫茶店に入る。幸いお茶代位は手持ちがあった。



(な……なんか緊張するな)



濃い茶色の木造建築の店内はシックなジャズが流れてて、普段は絶対入らない。屋久杉のテーブルで向かい合わせに腰をかける。



「えっと……私はアイスティーで」


「わたくしはアイスコーヒーをコロンビアでお願いします」



それぞれオーダーをした時に、女性が意外な注文をしたから目を見開いた。



てっきり日本茶だと思っていたのだけど。



そんな私の表情に気づいたのか、女性はふっと口元を綻ばせる。



「和装ですと皆さん日本茶と思われるようですけれど、わたくしはコーヒーも好きですの」



これでも家では豆を挽いてドリップもしますのよ、とふんわり笑う。上品な笑顔はとても自然に見えて、何だか私も力を抜いて彼女に「そうですか」と返した。



「私もてっきり緑茶かと」


「日本茶もいただきますが、紅茶もこだわりがありますの。我が家にはいろんな茶器がありますわ」



そっかぁ……と私は伊織さんを思い出す。彼も紅茶が好きなんだよね。逆にコーヒーは嫌いだって。あの苦みがどうも苦手らしい。



(ベタ甘のコーヒー牛乳にしたら飲んでたけど)



今朝の彼の姿を思い浮かべ、フフッと笑みが漏れる。



きょうの朝、伊織さんはとうとうサンドイッチを食べられた。


薄いハムとレタスとマヨネーズというシンプルさだけど、彼がやっとまともなご飯を食べられたという感動でどうでもよくて。



思わず涙を流したら、「バカ」と額を小突かれたっけ。






どうしてだろう?



伊織さんを思い出した途端、目の前の女性と彼の姿が被る。



程なくオーダーした品が運ばれてきて、それぞれ砂糖やミルクを入れてかき混ぜる。



カラカラと氷とグラスがぶつかる軽やかな音が耳に響いた。



「急にお誘いしてごめんなさい、でも。どうしてもお話をしたかったのです」


「はあ……」



初対面の女性にそう言われても、こちらとしては曖昧に頷くしかない。見覚えなんてないし、どう対応したらいいのか。



女性はアイスコーヒーを一口だけ口にする。なぜか、これから喋るために喉を潤しているように見えた。



「もしかすると……あなたは静子さんのお孫さんでらっしゃる? 和田町にある“おはる屋”の静子さん」



女性から意外な言葉が出てきたから、驚いて彼女の顔を見ると。彼女はどこか懐かしそうな目で私を見てた。



「おばあちゃんをご存知なんですか?」


「……ええ、かなり昔にお世話になったことがあるの」



女性は昔を思い出したのか、口元が嬉しそうに弧を描く。凛とした空気が柔らかく、あたたかなものへと変わった。



「わたくしが結婚する前……静子さんとは何度かお会いしました。今までで一番幸せな時間を過ごせたのですよ」



あ、と女性は遠くにやった視線を戻し、ごめんなさいねと謝ってきた。



「まだ名乗らなくてごめんなさい。わたくしは、かつら 葵和子きわこと申しますの」



そして、と彼女は継ぎ足す。



「わたくしの旧姓は、和泉いずみとも申します」





「和泉……え、それって」



困惑する私を前に、葵和子さんはアイスコーヒーのグラスを両手で包む。水滴がついたグラスの表明を見たまま、彼女はそっと口を開いた。



「……お察しの通り、わたくしは伊織の母です」


「あ……」



あまりに唐突な伊織さんの家族との出会いに、とっさには行動ができない。何とか動いた頭で考えたのは、とにかく挨拶しなきゃということだった。



「は、はじめまして! 私は和泉 碧と申します。おはる屋で働いてます」



椅子から立ち上がり、葵和子さんに向けて頭を下げた。



「こんな不意打ちで申し訳ありませんが……あの子は決してわたくしと会おうとしないでしょう。ですから、一度あなたとお会いして様子を窺いたかっただけなのです」



寂しそうに笑う葵和子さんは、どこか諦めた様子を窺わせた。念のために何年会ってないか訊いてみれば。



「直に会い会話を交わしたことを“会った”と言うならば、もう15年近くなりますわ」


「じゅ……15年も伊織さんとお会いしてないのですか!?」



予想以上の断絶っぷりに、絶句して何も言えなかった。




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