夏~8月第3話 気付いた気持ちは
海に来た日の夜、夏祭りの会場で私は予想外の事態に直面してた。
「ね、い……一緒に……夜店、回らない?」
「えっ」
もじもじと両手を組み替えてる空くんが、意外な誘いをしてきた。
顔を上げて彼を見れば、空くんは真っ赤になったままだけど。すごくすごく真剣な眼差しで私を見てて。急に心臓が鼓動を速める。頬が熱さを増して、視線に耐えきれずまたうつむいた。
ドキドキする……。
急に、空くんが子どもじゃなくって異性なんだって。ちゃんとした男の子なんだと意識をしてしまって。こうして向き合うのも気恥ずかしくなってきた。
「そ……そんな。わ、私みたいなの誘っても楽しくないよ? 余り者だからって同情しなくても大丈夫。それに、空くんにだって本当なら好きな人くらい」
「オレは、碧姉ちゃんだから一緒にまわりたいんだよ!」
「……!」
予想外の熱いセリフに、ビクッと肩が揺れて両手を組み合わせた。
なんて答えたらいいんだろう?
別に約束した訳じゃないけど、私は伊織さんと回るつもりでいた。もちろん、彼が嫌がるようなら1人で回るつもりでいたけど。
もちろん、空くんの誘いは嬉しい。1人で回るよりは2人の方が楽しいに決まってる。
でも……こんなにも急に異性と意識した年下の男の子と、だなんて。
契約では恋愛は自由となっていたけど、それでも一応偽とはいえ私は伊織さんの妻なんだ。年下でも異性と2人きりの行動は慎むべきだよね?
(伊織さんはどう思うんだろう?)
気になってちらっと伊織さんを見ると、彼が予想外の行動を取ってきた。
後ろからお腹に腕が回されたかと思えば、ギュッと体が引き寄せられる。そして、肩に重みが――伊織さんの顎が載ったのを知ってピシッと固まった。
「悪いが、俺の前でひとのフィアンセを口説かないでくれるか?」
「ふ、フィアンセ!?」
突然の伊織さんの発言に、空くんもすっとんきょうな声を上げた。
というか……
私も何もかもが突然過ぎて、頭がついていけずに思考停止してます。
「……そういえば、思い出した! あんた、たしか春頃におはる屋で失礼なことしてた男だろ。なんで碧姉ちゃんのフィアンセなんて嘘をつくんだよ」
空くんも記憶力が良いのか、伊織さんに噛みついた。確かに、伊織さんの発言はある意味嘘だ。婚約者じゃなくって既に結婚してるんだから。
だけど、そんなことを空くんに知られたくはないんだよね。1年の短い結婚を約束した契約のみの仲だなんて。
だから、私は伊織さんの言葉に合わせることにした。たぶんこれが一番いい。2人が一緒にいて不自然じゃない理由として。
「う、うん……そうなの。黙っててごめんね。私伊織さんと婚約したんだ」
本当はキスすらない仮初めだけど、と少し自虐的になって頷いた。
わなわな震えてた空くんだけど、しばらくしてキッと伊織さんを睨み付けた。
「……とりあえずは、わかった。けど、オレは認めないからな。それに、どう見ても年の差がありすぎるだろ。オレも付け入る隙はあると思ってっから」
空くんは拳を握りしめながらそんな宣言をしてきたけど。付け入る隙ってなんのことだろう?
(なんでこんなことに……)
なぜか、私と伊織さんに空くんの3人で夜店を回ることになった。
私は浴衣姿だけど、伊織さんはワイシャツとチノパンにカジュアルな皮の靴。空くんは甚平を着てビーチサンダルを履いてた。
2人とも会場の女性陣の視線を集めるには抜群の容姿端麗さで。伊織さんはともかく、空くんも結構なイケメンって初めて知った。
そんな2人に挟まれる私……ごめんなさい。2人にとって何の罰ゲームか、って残念な容姿ですよね。
「あ、あの……まずりんごあめ食べませんか?」
「あ、いいね。碧姉ちゃんには一番大きいの買ってやるよ。どれがいい?」
空くんは私の腕をつかむと、一番近いりんごあめのお店に連れてきてくれた。だけど、私は伊織さんの為に買いたかったから。ちらっと後ろを見ると彼もゆっくりとだけど着いてきてくれてホッとした。
「どれがいいかな」
最近のりんごあめは赤色だけじゃなくって、カラフルなものが多い。それでも私はやっぱり赤色がよかった。
三つ同じものを手にした私は、空くんにあっ! と声を上げた。
「ほら、空くん。あれって同じ高校の立花さんじゃない?」
「えっ!?」
ちなみに、立花さんは空くんのクラスメート。彼に熱烈なアプローチをして、何度かおはる屋に足を運んだから知ってる。
もちろん、彼女から逃げる空くんが無反応のはずなくて。彼がギョッとしてそちらを見てる間、巾着から小銭入れを出してお会計を済ませておきました。
「あ、ごめんね。見間違いだった~はい、りんごあめ」
「あ! ちょ……碧姉ちゃんずりぃぞ!」
真っ赤になって怒る空くんに、ごめんねと謝りながら。もうひとつを渡すべく伊織さんに向けて駆け出した。
「はい、伊織さんの分です」
軽く息を吐きながら差し出せば、伊織さんはジッと見た後に手に取る。
「ああ」
ぶっきらぼうな返事しかないけど、受け取ってもらえただけでも上出来だ。今までだったら突き返されてただろうし。
「次はどこを回ります?」
藤祭りではあまり余裕がなく楽しめなかったけど、今日は時間があるから伊織さんの希望を優先しようと思う。お祭りもよく知らない彼に、楽しい思い出を作って欲しいから。
伊織さんは黙ったままだけど、ちらっと見たのが金魚すくいの露店。そういえば、藤祭りの時も不思議そうだったっけ。
「金魚すくいですね。行きましょ! 百聞は一見にしかず。体験してみればいいんですよ」
私は伊織さんの背中を両手で押して、無理やり彼を金魚すくいへ押し出す。
「おい!」
伊織さんの不機嫌そうな抗議の声を無視して、小銭入れからお金を渡すと金魚すくいのポイ(丸い枠に薄い紙を張った金魚を掬う道具)をおじちゃんから受け取った。
「はい、これで掬ったらこのお椀に入れてください」
伊織さんの手に強引にポイを握らせると、お椀を左手に持たせておいた。
青い水槽にはたくさんの金魚が元気そうに泳いでる。隣の人はヒョイヒョイと簡単にとってるからか、初心者の伊織さんは簡単そうに思ったらしい。ポイをまっすぐに水面に潜らせた。
そして……。
「……なんでこんなにあっさり破れるんだ? 欠陥品じゃないのか?」
3枚目のポイをダメにした伊織さんが不機嫌そうに言うのも無理はないけどね。
「兄ちゃん、自分が下手だからって変なケチをつけるなよ。それはそういったものなんだ」
「そうですよ、伊織さん。金魚すくいってそのやわいポイで何ぴき掬えるかのゲームなんです。みんな同じ条件なんですよ」
店番のおじちゃんはそう言いながら、負け惜しみと伊織さんを笑う。悪いけど、私もクスクス笑った。
だって……伊織さんが心底悔しげに見えたから。
「碧姉ちゃん! オレは10匹取れたぜ!」
一枚目のポイをムダに使わずにいた空くんは、得意気にお椀を見せてくる。
「ほら、空くんだって取れるんですよ。大丈夫、コツさえ掴めば器用な伊織さんなら何十匹もいけますよ」
「おっさん、オレがコーチしてやろうか?」
空くんがニヤニヤしながら眺めてるのが気にくわないのか、伊織さんはポケットから財布を取り出す。
そして、店番のおっちゃんに万札を数枚バン! と叩きつけた。
「それ、全部もらおうか」
どうやら負けず嫌いが変な風に火を付けたらしいけど、私は慌ててそれを引っ込ませておじちゃんに100円を三枚出した。
「すみません、一枚でいいです。ダメですよ、伊織さん。お祭りはみんなで楽しむものですから、独り占めはいけません!」
「そうなのか?」
「そうです! 楽しみはみんなでちょっとずつ分けあった方がもっと楽しいんですよ」
そう言った私は、自分でポイを構える。
黒い出目金に狙いを定めて、後ろからそっとポイを潜らせた。
十分後、伊織さんの手には黒と赤の出目金入りの水袋が提げられてた。
ちなみに、黒い出目金が私が掬ったもので。赤い出目金は伊織さんが10枚目のポイで掬えたもの。
なぜか彼はジッとそれを見ていきなり妙なことを口走る。
「太郎と花子」
「は?」
「コイツらの名前だ」
そんなの見れば解るだろう、と言いたげな伊織さんの憮然とした顔を眺めてたら。何だか妙に可笑しくなって。必死に堪えたけど、肩を揺らして笑ってしまいました。
「笑うな」
「だ、だって……金魚にそんな名前……ふふっ」
私が笑ったのが気に入らないのか、伊織さんは急に大股で歩き始めた。慌てて後を追うと、彼が向かった先は射的の露店。
「持ってろ」
太郎と花子を私に押し付けた伊織さんは、お金を払って銃を借りると直ぐに構える。
(なんだか……カッコいい)
青みがかった瞳を持つ伊織さんの獲物を狙う鋭い眼差しに、魅入られたように目が離せない。ドキドキしながら彼が狙いを定め、射撃する姿を見守った。
パァン! と空気を裂く音がして、弾かれたのは黒いぬいぐるみ。伊織さんは一発で目的の景品を当てたんだ。
そして……
金魚と引き換えに、その大きなぬいぐるみを押し付けるように渡された。
「やる」
「え」
伊織さんがくれたのは、ずいぶん人相が悪い黒い猫のぬいぐるみ。金色の目が逆三角形につり上がって、口元がムスッとして。額には傷まで入ってる。
「家主に遠慮がない生意気な猫にそっくりだ」
こぼした不満げな口調から、もしかするとこれはミクのこと? と察せたけど。
私にとっては、伊織さんからの思いがけないプレゼントということがよほど大切だった。
「ありがとう、伊織さん。ずっとずっと大切にしますね!」
笑顔でギュッ、と思いっきりぬいぐるみを抱きしめた。
クライマックスの花火は予定通りに始まった。
高台に集まったみんなはそれぞれ思い思いに楽しんだのか、いろんなものを手に歓声を上げてる。
私も……
ギュッと黒いぬいぐるみを両手で抱きしめて、腰掛けたベンチの上でそれに顔を埋める。
「どうしよう……」
私の小さな呟きは、きっと花火の轟音に紛れて聞こえない。それでも、誰かに聞かれるかと怖くて顔があげられなかった。
ドン、ドン。続けて花火が上がった音に紛れて、誰かが近づく足音がする。
ドカッ、とすぐ隣で腰かけたのは伊織さんだと、嗅ぎなれたフレグランスからわかった。
「ほら」
手に冷たい感触がしてなんだろうと顔を上げると、赤いかき氷が差し出されてる。素直に受け取ると、伊織さんはりんごあめをかじり始めた。
「ありがとう……ございます」
「別に、今日の報酬だ」
サクサクした氷をスプーンですくって口に入れる。ホロリと溶けるきめ細かな氷の冷たさと、シロップの甘さが口に広がって涙が出そうなくらいおいしかった。
「……おいしい」
「ああ」
シャクシャクとりんごあめを食べ終えた伊織さんは、それをもとのビニール袋にしまう。
そして、ぽつりと呟いた。
「……今日は……楽しかった」
「はい」
「祭りがこのようなものだと、生まれて初めて知れた。……貴重な経験をさせてくれたあんたには感謝してる」
「別に……私は……伊織さんの妻ですから」
私は取り立てて大したことなんてしてないし、できてない。
みんながいなきゃこうしてお祭りも楽しませられなかった。
「私はなにも……みんなの協力があったからです」
「それでもだ。あんたがみんなをまとめて盛り上げた」
ドン、と弾ける花火とともに伊織さんからそんな嬉しい言葉を貰えるなんて。今までだったら無条件に喜んでただろう。
だけど……今は、つらい。
「……よかったと、思う」
伊織さんが言葉を紡ぐたびに。
「あんたを妻にして」
どうして、悲しくなるんだろう?
「妻があんたで、よかった」
それが本心からだとしたら、よけいに。
「あんたさえよかったら、これからも頼むな」
それが、期間限定の関係なのだとはっきり区切られてるから。
わかってた。ちゃんと理解してた。割り切っていたはずなのに。
変わってしまったのは、私の心だけだ。
「はい、わかりました。残り期間精一杯勤めさせてもらいますね」
泣きそうな顔なんて見せたくなくて、精一杯の笑顔を彼に向ける。
知られちゃ、ダメだ。
――あなたが好きになったかもしれない、だなんて。
所詮、私たちは赤の他人。普通の夫婦のように永遠を誓いあったわけじゃない。一年間の契約関係。
あなたはきっと、望まない。
私の心なんて。
私は絶対、望んじゃいけない。
あなたの心なんて。
だから、私に初めて芽生えたこの気持ちは心の奥底に秘めてしまわないと。
――彼にだけは知られてはいけなかった。




