夏~7月第1話 キレイになりたい
初めて伊織さんの世界に少しだけ触れて、そして知った。
自分がどれだけ甘えて努力を怠ってきたかを――。
「はぁ……」
おはる屋でいつものように店番をしていると、自然とため息が出てくる。
所狭しと駄菓子や昔懐かしい玩具に文具が並ぶ店内では、50年ものの木製のアナログ時計がチクタクと時を刻む。
ここは、何年経っても変わらない。時間が止まったような空間にいると、ついつい忘れがちだけど。私はもういい年をした大人なんだ。
小学生とは違う。本当なら身だしなみで日常的にお化粧をしなきゃいけないのに。今までは日焼け止めとリップクリームを塗るくらいで済ませてた。
お金がないことを理由にサボってきたツケが今一気に来て、心をズシンと重くする。
駄菓子でフルメイクしたら絶対何かあったか訊かれるし、笑われるだろうけど。女の子達も小学校高学年や中学生になると100均のメイク用品に手を伸ばすようになるんだよね。
雑誌や友達からの知識で頑張って可愛くなろうと努力を始めるんだ。
そうなると、私はそんな子達からすら負けてる。勝ち負けの問題ではないけど、女としてどれだけダメかを痛感して落ち込んだ。
「はぁ……どうやったらキレイになるんだろう」
レジを載せてる台に顎を乗せながらため息を着くと、ヒョコッと顔を出した心愛ちゃんに聞かれたようです。
「碧お姉ちゃん、キレイになりたいの?」
今現在小学5年生の心愛ちゃんは、思春期の入り口に立つ女の子だけあって、最近はオシャレにこだわりがあるみたいだ。ローティン向けの雑誌を友達と買って回し読みしているらしい。
「うん……今までサボってきたから、ちょっと反省中かな」
「ふ~ん」
心愛ちゃんの通う小学生は私服だから、彼女は今日もかわいらしい服装を着てる。
ブランドもののロゴが入った水色のTシャツに、白いショートパンツ(ペチパンというらしい)、黒いニーハイソックスに、足元は茶色い編み上げサンダルを履いてた。
少しだけ茶色い髪はふるゆわの天然パーマで、ツインテールにしシュシュで留めてる。唇には100均のリップと日焼け止め。爪はちゃんと磨いて整えるらしい。
……私より女子力高すぎですよね。
ず~ん……と更に落ち込んだ。
「とりあえず、ダイエットしてみたら?」
心愛ちゃんは定期購読してる雑誌を和室で広げながら、買ったアイスをパクリと口にする。
「ダイエット……か」
「うん。ぶっちゃけ、碧お姉ちゃんってさ。二の腕とかぷよぷよしてるよね」
「…………」
容赦ない小学生女子の指摘に、ピシッと固まる。腕を持ち上げて振ってみれば、確かに揺れる二の腕のお肉……。
「もう薄着の季節なのに、それヤバいよ。カレシできないよ……あ、でも」
心愛ちゃんはアイスをくわえたまま、ちらっとこちらを見てきてニヤリと笑う。
「そういえば、碧お姉ちゃんのカレシ候補がひとりいたっけ? お姉ちゃんが鈍いから、見てて気の毒なくらいだけど」
心愛ちゃんがニマニマ笑いながらそんなことを言ってる間、私はぶつぶつと呟きながら二の腕に触れてた。
「ヤバいよね、やっぱ……スレンダーまでは無理でも普通くらいにならないと」
伊織さんが何も言わないからスルーしてきたけど、小学生から見てもヤバいなら目が肥えた大人が見たらとんでもないってことだよね。
脳裏に思い浮かんだのは、スラリとスーツを着こなした大人美人――伊織さんの隣に堂々と立ってた彼女だった。
(……あれだけは無理でも……努力しなきゃ)
キュッと二の腕を強く掴んでる私の耳に、心愛ちゃんのため息は聞こえなかった。
「……全然聞こえてないって、お兄。アウトオブ眼中ってカンジ。可哀想だけど仕方ないね~」
(うう……ダイエットかあ)
今まで忙しくてダイエットなんて意識したことがないから、何をどうすれば良いのかがわからない。
とりあえずいつものようにあくあくりすたるに足を運び、美帆さんに相談すると彼女も腕を組んで考え込んだ。
「ダイエットか~わたしは食べても太らない体質だから、全然したことがないんだよね」
そうおっしゃる美帆さんだけど、彼女の細さを見れば確かに。美帆さんは年上だけど小柄で華奢だから、私と同じ年代に見えなくもない。 身長はギリギリ150センチだけど、体重は35キロらしいし。うらやましいくらいほっそりしてる。
ちなみに……私は身長158で体重は……65です。美帆さんの倍近い……。相当ヤバいです。
「とりあえず、一般的には動いた分以上を食べちゃうと脂肪に変わる……んだっけ? 摂取カロリーを減らすんだよね」
「野菜ばっかり食べればいいんですかね?」
低カロリーの代表と言えば、何と言っても野菜。これから1日三食野菜尽くしにすればいいか……と考えていたんだけど。
「いやいや、それじゃあ栄養偏るでしょ。もっとちゃんと栄養考えないと。たしか、ダイエット用のメニューとかレシピなら本屋で見たことあるよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます! さっそく寄ってみますね」
こういう話は普通友達同士でするんだろうけど、今まで友達らしい人がいなかった私からすれば美帆さんの存在がすごく嬉しい。
「ふふ、愛しのダンナ様の為に変わろうとしてるのね」
急いでお店を出た私の耳に、美帆さんの呟きは入ってこなかった。
書店にはあまり足を運んだことはない。おはる屋にも少数ながら雑誌や本が納品されるから、その本をこっそり読んでたし。今まで困ったことはなかったけど……。
夕方おばあちゃんにダイエットのことを話したら、横文字はわからんと怒鳴られて。減量と漢字に直したら、「女の子は多少ふっくらした方がかわいいだろ」とばっさり斬り捨てられた。
つまり、おばあちゃんからすればダイエットなんてバカらしいし無意味ってこと。
そりゃあ……昭和20年代生まれのおばあちゃんからすれば、栄養をわざと取らないなんて信じられないんだろうけど。
今はスラリとした体型が憧れなんですよ! と主張したかったけど。また畳の上で正座をさせられて小一時間の説教コースに入りそうな気配がしたから、それ以上は言えずに黙っておいた。
マンションに帰る道のりで大きな書店が一件あったから、とりあえずそちらへ寄ってみた。
今は梅雨時だけど、今日は幸い薄曇りで傘は必要なさそう。ちょっとあった蒸し暑さは、冷房が効いた店内に入った途端、鳥肌が立つほどの寒さに変わる。
(うわぁ……めちゃくちゃ冷房効いてる)
念のため持ち歩いてる薄いカーディガンを羽織ると、目的地がわからないからひとまず店内をぐるりと見回ることにした。
(……ダメだ見つからない)
結局場所が解らずに店員さんに案内してもらった。ダイエットって言うの恥ずかしいから、自力で探したかったんだけど。
太ってるからやっぱりと思われてるんだろうな、なんて自虐的になりながら本のタイトルを眺める。
「1日5分だけ!らくらくダイエット」
「好きなものだけ食べて痩せる」
「カンタン! 低糖質ダイエット」
「ツボで痩せる」
「バナナダイエット」
Etc……
どれを手に取れば良いのかわからないほどの種類があって、かなり悩む。
(えっと……予算内でいいのは……)
美帆さんが言ってたように、栄養バランスを考えないといけない。とりあえずそれを重点的に見てると、野菜を中心にしたレシピ本を見つけた。
パラパラと捲ると、素材別に和洋中いろんなレシピが載っててアレンジもしやすそうだ。おまけにダイエットの基礎知識まで載ってる。
(900円と消費税……これなら買える)
毎日貰えるおばあちゃんからのお小遣いで全部やりくりしてるから、千円単位の出費は相当な覚悟が必要なんだよね。伊織さんから毎月振り込まれる50万には手をつけてない。離婚の時に伊織さんに返すためだ。
今は伊織さんに相当な収入があっても、将来的にはわからない。いつまでも同じ生活が出来る保証なんてどこにもないから、伊織さんが困ったときのための貯金のつもりでいた。
「よし、これにしよっと」
一通り中身を確かめた私は、レシピ本を手にしてからふと気づく。
「わ……今ってこんなにいろんなレシピ本が出てるんだ」
平積みされた話題のタレント本や、ベストセラーになってるお料理の基礎本、お弁当や時短おかず、缶詰のアレンジレシピ。
想像以上にたくさんの種類がある本は、見てるだけで楽しい。
「へえ……こんなのもあるんだ」
3つ星シェフの家庭で本格フレンチ、だなんて。
(いつか伊織さんに食べさせてあげられたらなあ)
美帆さんの指摘で伊織さんは味覚障害なのかという疑惑を抱いたけど、ぶんぶんと頭を振って否定した。
(ううん……伊織さんはきっとトラウマで食べられないんだ。きっと深く傷ついてるから)
それでも、少しだけ彼は前進した。あれがきっかけで野菜プリンも半分まで食べられるようになってる。
そろそろ次の段階にと考えてはいるけれど、お菓子のレシピが少ない私にはどうして良いかわからない。
これはデリケートな問題であるから、おいそれと他人に喋れない。だから、相談も難しいんだよね。
はぁ、とため息をついてお菓子のレシピを捲る。
そこで――あるものに目が留まり、そのページをジッと見入った。
(これ……! これだよ。これならきっと伊織さんに食べてもらえる)
目から鱗のレシピを載せた本は1000円もしたけど、明日のからのご飯を節約することで何とか買う決意が出来た。




