14:エヴェンゼリン
ポテポテと長い廊下を走る少女がいた。
弾む肉をたくし上げ――いやスカートをたくしあげ、必死に走る。
何度かこけては御つきのメイドに起こされ、心配され、泣きそうになりながらも必死に耐えて再び走る。
そうやってようやく目的の部屋――執務室へと到着した。
「おじいさま!」
執務室の机に座る精悍な顔つきの老人は、入ってきた少女を見るなり表情が崩れる。
「エヴァンゼリンやぁ、どうしたぁ。ん~?」
老人の隣に立つ若い文官がドン引く。普段は厳しい公爵が、孫娘には猫なで声で語りかけるのだ。
「おじいさまっ、お願いがあるのっ」
「おぉ、どんなお願いじゃな? じぃじに言ってごらん」
少女はじんわりと目に涙を浮かべた。
「エ、エヴァ?」
「おじいさまぁぁ。助けて……助けてください」
「エ、エヴァンゼリン!? ま、またどこかの悪ガキがお前のことを――」
白豚と呼んでいるのか――とは言えない。
だが沸々と湧きあがる怒りを抑え、エヴァンゼリンの祖父――ハルテリウス公爵が孫娘に尋ねる。
「誰じゃ? 誰がお前を悲しませておる。誰からお前を助ければよいのじゃ」
だがエヴァンゼリンは首を横に振った。
「違うの。助けて欲しいのは私じゃなく、ディルムット様よ、おじい様」
「ディルムット? はて?」
首を傾げる公爵の隣に立つ文官が「例の男爵家の令息です」と伝える。
例のとは、先日、ホーヘンベルク侯爵家で起きた窃盗事件の犯人だという家門のことか。
その令息と孫娘のどこに接点が?
「ディルムット様は犯人なんかじゃありませんっ」
「エヴァよ、しかし証拠が出ておるのじゃ」
「でも違います! 絶対に、絶対に違うんですっ」
何を根拠にそう言っているのかは不明だが、実際、老公爵自身、犯人は別にいることを理解している。
というのも昨日、ホーヘンベルク侯爵自身が公爵家を訪ねてきて、男爵家の子息は犯人ではないと言って来たからだ。
被害者本人にそう言っているのだから、それが真実なのだろう。
何より、シュパンベルク男爵家の評判は良く、逆に通報したというシュパンベルク伯爵家の評判は悪い。
(そのうえ、伯爵のせがれの方は手癖が悪いとう噂もある。おそらく息子が侯爵家からネックレスを盗んできたことを知って、慌てて甥に罪を擦り付けたのじゃろうて)
だがネックレスが男爵家で見つかった。それは疑いようのない事実だ。
「はぁ……」
「おじい様っ。ディルムット様はエヴァに優しくしてくださいましたっ」
「な、なんと?」
「こんな私に、微笑んでくださったのですっ」
こんな――五歳児にしてはあまりにも太った体型のことを言っているのだ。
そうなった原因は老公爵自身にある。
あまりにもかわいい孫娘のために、古今東西の美味しいものをかき集め食べさせてやっていたのだ。
エヴァンゼリンが美味しいと言えば、更にどんどんその量を増やし、気づけばこんな有様に。
公爵家の令嬢ということもあり、幼いころからお茶会などに参加していたが、どこへ行っても影でこそこそと笑われていることを、公爵も知っていた。
その責任が自分にあるからこそ、陰口を叩く悪ガキどものことを面と向かって叱れないのだ。
あのホーヘンベルク侯爵の息子であるフェリクスとて、初対面の時には顔をしかめたほど。
「エヴァンゼリンよ。お前はその男爵家の子息とは、初対面か?」
「そうよ、おじい様。初めてお会いしました」
初対面で我が孫に笑顔を向けた少年がいる。
初対面で我が孫に親切にした少年がいる。
それだけで老公爵の胸は高鳴った。
これは是が非でも救わねばならない。
だが――。
「おじい様、何とか言って?」
「う、うむ……」
ネックレスは確かに男爵家で見つかっている。伯爵が隠したのだろうが、しかし王国騎士が男爵家で見つけてしまったことは揺るぎない事実。
真犯人を見つけなければ無罪には出来ないのだが、盗まれた物は見つかっているのでそれも難しい。
そうなると――公爵は唸る。
「おじい様ぁ」
かわいい孫娘は泣かせたくない。
真犯人を見つけることも出来ない――罪に問うことも出来ない――なら出来ることと言えば。
「エヴァンゼリン、心配するでない。じぃじに任せておけ」
「本当っ、おじい様!?」
「あぁ」
ぱぁっと表情を明るくしたエヴァンゼリンは、そのまま公爵に抱きつく。
「おじい様、大好きっ」
「おぉ、わしもじゃよエヴァンゼリン。さ、じぃじはまだ仕事が残っておる。部屋でおやつでも――」
言いかけて、公爵の口先にエヴァンゼリンの指が触れる。
「おじい様。私、もうおやつはいらないの」
「い、いらぬとは?」
食べさせ過ぎたことは反省している。だから最近は一日二回、適度な量しか出していない。
それすらいらないと?
「私、ダイエットするの!」
「ダ、ダイエット!?」
公爵はもちろんだが、声に出さずとも若い文官も驚いている。
「だって、ステキなレディーになるって決めたんだもの」
「ス、ステキな……」
「じゃあ私、お散歩に行ってきますっ。たっくさん歩くの!」
そう言ってエヴァンゼリンはぽてぽてと駆けだした。その後ろをメイドが会釈し、二人は執務室から出ていく。
それを見送った公爵は、ふぅっと溜息を吐いて椅子に深く腰掛けた。
「恋は……」
「む?」
「恋は女を変えるといいますが、まさに……ですね」
「うむ……じゃがエヴァンゼリンはまだ五歳じゃぞっ。早くはないか? な? な?」
嬉しいやら寂しいやら。そんな感情が入り乱れる老公爵。
だがすぐさま紙をとり、ペンを走らせる。
宛先は――。
「国王陛下に、でございますか?」
「うむ。ちと考えがあっての。エヴァンゼリンは少し不服に思うかもしれぬが、上手くいけば男爵家にとってプラスとなるじゃろうて」
書き上げた手紙はすぐさま王宮へと送られた。
その三日後――シュパンベルク男爵一家は、オルフォンス王国の首都にある王宮へと連行されることとなる。




