第十一章 第十二章
第十一章
望のベッドは五人部屋の窓際で、その窓からは病院のすぐ裏の森が見渡せる。
「望ちゃん、気分が悪くなったのかい?」
少女は膝を抱えて小さくなり、じっとしていた。
目を大きく見開いて、何かを凝視している。
「僕の声が聞こえるかい?」
ぴくり、と反応があった。
それから突然、少女の双方の見開かれた目から涙が溢れた。
「先生!小澤先生、お願い、私を解放させて・・・!そうしないと私がまた可哀そう・・・ああ、先生の奥さんが死んでしまう・・・!」
そう叫んで私にしがみ付いてきた。
私を解放させる?私がまた可哀そう?
私の妻が死んでしまうとは・・・?
これが波瀬の言う狂言なのだろうか。この子は演技をしているのであろうか?
人にかまって欲しいから?
遠藤望という人格を皆に示したいから?
・・・境界性人格障害?
私には判断ができない。
少女は私の腕の中で小刻みに震えていた。
第十二章
時刻はもう四時頃であろうか。
あんなに激しかった雨も止み、夕方のさらりとした風が感じられてきた。
そろそろ今日の外来受診の準備をしなければならない時刻だ。
「どうだい、少しは落ち着いたかい?」
望はあれから三十分程私にしがみ付いたまま震えていた。
「・・・はい」
真っ赤な目で申し訳なさそうに私を見る。
「そう、よかった。訳を教えてくれるかい?」
「・・・はい」
ブラウスの袖で涙を拭いながら話し始める。
「私は、私という意識を別の時間へ連れて行って、それをその時間の軸に置いてくることができます。」
「ふむ」
「飛ばされた私の意識は、その別の時間で、それぞれ自身の固体を形作っていきます。要するに、今とは違う生き方をした異なる私ができていくのです。マスターである私は、その私の分身から情報を聞き出すことができます。だから未来や過去を知ることができます。彼女たちが意識的に情報を送るのではなく、私が自動的に情報を入手していきます。この情報が入ってくるのは不定期です。彼女たちの記憶にはっきりと刻まれるような大きな出来事が主です。彼女たちは自分自身が私の分身であるとは知りません」
淡々と、しかし、しっかりと私を見据え、少女は語る。
「マスターである私が存在することで、彼女たちには何らかの大きな障害が出ているはずです。例えば、私の一人は大病を抱えています。もう一人の私は尽きることの無い悲しみを、そしてまた他の私は生きることに希望を見出せていません」
「君から彼女たちへ情報を送ることはできるのかい?」
「いいえ、それはできません」
「そう」
冗談を言っているのではなさそうだ。
妄想?そうとしか言えないであろう。
「それで、君はそのことについての何に悩んでいるんだい?」
「私にはもう、情報を処理しきれません。それと、私の中の一人に危機が迫っています。」
「それは、私の妻のことなのかい?何かが彼女に起こるということかい?」
「・・・はい。大きな衝撃です。奥さんは今、心を病んでいます」
「はっはっは、君の方が僕たち医者よりも人の心が良く分かるようだね。妻には会ったことがあるのかな?大丈夫、彼女なら元気だよ」
そう言いながら、私は冷や汗を感じていた。
この子ははったりを言っているのだ。そう考えるしかないだろう。
だが、何故かそうは思えない。
「妻に望ちゃんが君のことを心配していたよ、と伝えておくよ。元気になったようだね。じゃあ僕はもう行くよ。今日は疲れただろうから、早めに眠りなさい」
逃げるようにそう言って、私は病室を去ろうとした。
「先生!治子さんを助けてあげて・・・!!」
悲鳴に近かった。病室にいる皆が振り返る。
だが、私には振り返ることが出来なかった
恐怖を感じていた。
この子はどうして妻の名を知っているのだ・・・?




