#32 契約 I
「たしか名を"霧縫"、今でこそ武家ですが……かつては流浪の忍者だったと記憶しています」
『……物覚えが、よろしいようで』
断片的な情報から辿り着いた真実、言葉だけでやり込めてくるその手腕。
アルムは肝を冷やすと同時に、飛鳥馬ムネチカという一人の男に対して畏敬の念を抱く。
「商売になりそうなことは──ね、大概は。それに彼の一族は棗家に取り立てられる以前に、飛鳥馬からの依頼も一時受けたことがあったはずですので」
『はァ~~~、ならもう隠していてもしょうがないか』
「素直に答えていただけていれば、貴方に借りを作ることになりましたが……商機を逃しましたねぇ」
アルムは観念した様子で、飛鳥馬ムネチカの前に姿を現した。
幸いにも霧縫の名が隠れ蓑になってくれたものの、これ以上探られて"公儀御庭番"のことにまで思考が飛躍されては、それこそ取り返しがつかないと。
「これは……驚いた。失礼な物言いとなりますが、まだ子供ではないですか。しかも古賀くんと勝負するほどの強度とは恐れ入りました」
「それほどでも」
「加えて得心もいきます、実戦主義の家であれば幼少期に現場で経験させるのは珍しくもありませんしね。それにしても……なるほど"戯賊"ですか、なかなか発想が愉快です」
誰ぞからの依頼で大それた事態を引き起こしたわけではなく、独断専行でやらかしたことも完全に見透かされているようだった。
「あなたんとこの阿佐木って人が名付けだよ。正直、けっこー気に入ってたり」
「阿佐木くんが……ほうほう、あの子はなにかと堅い部分がありましたが──皮肉だけでなく洒落や茶目っ気も出てきましたか。若者の成長はとかく早いものです」
飛鳥馬ムネチカはしみじみとうなずくが彼自身、大大名の中では棗トキサダに次いで2番目に若い。
「あぁそうそうそれと……やり方としては乱暴でしたが、救われた人がいるということもお忘れなく」
「べっつにぃ、どーでもいいよ」
気分が良くなったのは間違いないが、やったこと自体は所詮戯れでしかなかった。
状況を自分で動かし、引っ掻き回して面白くすることが第一だっただけで、救済してやろうなどといった大義や信念などは最初っからない。
「はははっ、あらためまして飛鳥馬ムネチカです。以後、お見知りおきを」
「霧縫アルムです。こちらこそよろしく」
差し出された飛鳥馬ムネチカの大人の右手に対し、アルムは子供の右手で握手を交わした。
その感触だけで、多少は鍛えてはいるようだが、武闘派には程遠いのがわかる。
「大名家としての嗜み程度です。今からでも貴方がその気になればどうとでもできますよ?」
「な~~んの益もないじゃないっすか」
実際にやるわけないとわかった上で、ふと考えてしまった暴力はお見通しのようだった。
「"霧縫"と言えば、"傾国の魔女"の討伐に協力した功でもって武家になったのでしたね」
「そう聞いてます」
「"常磐ノ姫"とも呼ばれ、甘言・虚言・讒言・流言・詭弁・妄弁・奸弁──巧みに言葉弄し、陸奥ノ国の当主と一族の男はみな骨抜きにされたと聞き及ぶところ。そうした国難を経てより、陸奥ノ国の当主は代々女性になったのだとか。まことしやかに伝わっているだけで、陸奥を治めている"天衣"家は身内の恥を認めはしないでしょうがね」
「へぇ……」
単なる世間話かと思いきや、豆知識のようなものに思わずアルムの声が漏れる。
「霧縫は今もなお強く気高い忍者の技を受け継いでいるわけですね。アルムくんはその修練を積んできたのであれば、若くとも強いわけです」
「どーも。悪い気はしません」
過剰に持ち上げているようで……白々しさが含まれていそうでその実、にわかに好感すら抱いてしまうのは──商人の持つ雰囲気と会話術なのだろう。
いずれにしても、これはこれで大大名と知己を得られたのだとアルムはポジティブに考えることにする。
「まっ俺は養子っすけどね」
「そうでしたか、言われて見れば……半分は亜人の血ですか」
飛鳥馬ムネチカは──アルムの"半長耳"を確認しつつ──そう口にした。
「……ちなみに飛鳥馬さん、霧縫の家には言わないでもらえます?」
「構わないよ。その代わりアルムくん、君もまたこの町のことは平穏無事であったと告げてくれればいい」
──あるいは。
眼の前の大大名は、俺が霧縫の忍びとして、練習がてらで間諜をしていたとは……本当は思っていないのかも知れない。
公儀御庭番という答えにまでは至っていなくても、実際の任務に就いているということも仮定して、口止めを図ってきているのだと。
「これは"最初の契約"だ、アルムくん」
「……?? 最初?」
「わたしは根っからの商人でしてね。品物を見る眼には自信があるんですよ」
「つまり、俺が、品物?」
「人もまた見方を変えれば商品なのですよ、さきほども言いましたが人材も資源。それが部下であれ傭兵であれ奴隷であれ、そして……大名であれ、ね」
「なるほどなー」
もっともらしい言葉にアルムはとりあえず頭を縦に振ってうなずいておく。
「前途ある有望な若者とは、縁を作っておくものです」
「縁……」
アルムはそう言葉にして反芻する。
「大陸では"先行投資"とも呼ばれるとか」
「へぇ……」
「というわけでアルムくん、商売人をどう思いますか?」
「血は繋がってないですが、"ヴィスコーム"って家族の一人が商人やってますよ」
「ふむ……それでは──」
「まぁ興味無くはないっすね」
「よろしい、商売は実に色々なモノを見て学ぶことができます。アルムくんが一廉の人物になろうと思っているのなら、経験しておくのは決して損にはなりません。それが"次の契約"です」
飛鳥馬ムネチカは気安い様子で、アルムの両肩をポンポンっと叩いた。
「質問、いいですか? 飛鳥馬さん」
「なんなりと」
「大陸と交易ってあります?」
そう問われて、飛鳥馬ムネチカの瞳がわずかに見開いた。
「はっはっは、どうやらアルムくんは大陸に熱が向いている様子」
「大陸から極東に渡ってきたもんで、俺はまったく覚えてないっすけど」
「ほほう、大陸人とは珍しい。であればまだ見ぬ郷里に想いを馳せるのも当然ですね。ただ駿河は北州の東側ですから、流通はあまり活発とは言えず、市場も極々一部に留まります。もしくは君が新たに販路を開拓していただけるのであれば、我々にとって魅力的で有意義なものとなるでしょう」
アルムは少しだけ考える。今回の米強盗の件も含めた、己の"空間転移"の使い方というものを。
今はまだまだ練度が足りないものの、いずれは大量輸送ができる程度の見通しは立っている。
そうなれば他の誰にも真似できない、自分だけの商売というのができるかも知れないと。
「結論を急ぐ必要はありません。気が向いたらまたご連絡いただければ──」
「いえ、せっかくなんでやってみたいです」
アルムは力強くそう言い、飛鳥馬ムネチカは笑顔を見せる。
「即断即決、素晴らしいですねぇ。一つ助言をしておくと、その感覚は大切にしたほうがいい。商売において、直感からくる決断は意外と馬鹿にできませんから」
「押忍。ただ俺ってド素人なんですけど、せっかく機会をもらっても潰しちゃうかも……」
「失敗しても挽回すればいいんですよ。それにアルムくんがよろしければ、優秀な補佐をつけましょう」
「補佐……?」
「阿佐木くんはどうです? これも何かの縁です。彼は五歳の時に拾ってからずっと、わたしの下で学び働いています。そろそろ巣立ってもいい、君と年の頃も近そうだ」
「俺も養子になったのがその頃だったなぁ……喋ってた感じ、悪くないかも。ちなみに彼の年は?」
「十四歳ですよ」
「んじゃ俺の四つ上かぁ」
「ふむ、アルムくんは十歳だったのですか。思ったよりも大人びて見えるのは、種族差による成長の違いからですかねぇ」
「自分じゃよくわかんない」
そう言いながらパチンッとアルムが指を鳴らすと、薄らいでいた霧が晴れていくのだった。




