#31 投了
「なんとか言えよ、お喋りだって聞いたぞ」
古賀の問い掛けに対し、霧中の襲撃者は少し間を置いてから答える。
『ご明察。後学の為に、どうして単独だとわかったか聞いてもいいかな?』
その姿は確認できず、聞こえてくる声もどこから発せられているのかはわからない。
「勘だ。連係しているように思えて、実のところ単発が連続していただけだった。霧の中で連係が難しいからかとも思ったが、一つ一つの攻撃の空気っつーのかな──が、同じように感じた」
『なるほどなー、今後の参考にさせてもらおう』
「もしかしてだが……なんもかんも、すべて一人でやってたってのか?」
『そうなるな』
「そりゃすげェな、敵ながら天晴れだ」
古賀は素直にそう思った。
鬼の膂力をもってしても、一晩で屋敷を襲撃して米蔵から大量に運び出し、あまつさえ配って回るなんて芸当は──少なくとも自分には無理だと。
『賞賛はありがたく受け取っとく』
「姿をひた隠しにするのには……なにか理由があんのか?」
『素性を知られれば、追われる身だろうさ』
「そりゃそうだが、それ以外にもなんかありそうな気がしたからな」
『天候を知り、地の利を得て、人を隠す。常に優位な立場に身を置いてこそ"兵法"』
襲撃に夜中を選ぶ。魔術で深い霧を作る。組織で動いてると思い込ませる。
そうして視界を制限した上で攪乱し、戯賊は一方的に攻撃する状況を用意したのだ。
「つまりあれか、まともに戦って勝つ自信がねェのかい?」
『……挑発かな?』
「半分はな、そうだ」
『闘ってみないとわからない、とだけ言っておこうか』
炎上する刀に照らされる形で、古賀は凶悪な笑みを浮かべた。
「一人だったというのは、本当か……?」
すると霧の中で姿は見えないものの、阿佐木が会話に割り込んでくる。
『細工は流々、詭道もまた兵法の基本。無勢を多勢に──その逆もまた然り』
「まんまと手前どもは踊らされたわけか……」
『"盤面で動く側ではなく、盤面を動かす側たれ"』
「弥勒兵法の一節か」
『よくご存知で』
「兵法は商売にも通じる部分が少なくない。それに……商人にも似たような格言がある。"市場を追わず、市場を作れ"」
『へっへぇ~、そりゃおもしろい』
霧に隠れる戯賊の声音に軽々しさはなく、本当に興味深そうな色を帯びたものだった。
「──見誤った、のは間違いありません。しかし問題はない」
『今から夜が明けるまで、ここに釘付けにできるとでも?』
「古賀さん、言われていますよ」
「殺しちまえば一晩どころか……この先、一生だ」
炎上剣を右手に、朱色の混じった白鞘を左手に、古賀は水平に構えを取る。
『別にあんたを相手にする必要も無いんだけどねぇ。別の米蔵を襲っちゃえばいい』
「逃がすかよ」
『くっかっはっは、俺を捕まえられる人間なんてこの地上のどこにもいないさ』
「随分な自信だ。霧がどこまで続いてっきゃ知らねえし、どんな罠が待ち受けてっかもわからねェ。だがそれでも、どこかを襲う以上は必ず追いすがってやるさ」
『いいね、あんた男だ。"男の勝負"ってんなら、俺も逃げるわけにはいかないなぁ』
「そうこなきゃなァ……」
『正々堂々とあんたと打ち倒して、堂々と正面から盗ませてもらうぜ』
「いーーーや、店じまいだよぉーーー!!」
霧が薄らいできた最中──別の大声が二人の男を制止させる。
「なっ……まさか直接おいでになられたのですか!?」
「オイオイオイオイ、本人が来るなんて聞いてないが──」
戯賊には初めて聞く声だったが、阿佐木と古賀はすぐに誰なのか気付いたようだった。
"声の主"はゆったりと歩調で、霧の中を歩いていく。
「ッッ……その場を動かんでください!!」
「そうです! そもそも貴方様がいらっしゃるような案件では──」
「二人とも、少し控えてくれるかな。わたしは彼と話したいのでね」
一言で古賀と阿佐木を黙らせ、さらに一言で"戯賊"──アルムの好奇心を刺激する。
今この場において、二人ともにかしこまる相手はただ一人しか考えられなかった。
『なるほどなー、"大大名"様がわざわざやってくるとは……さすがに想定外』
「わたしは店先が好きでね。帳簿を眺めるよりも自ら市場を歩いて、手に取って売り買いのが何よりも楽しみなのですよ」
新たに現れた男は、前方に気配を感じたところで足を止める。
「"飛鳥馬ムネチカ"だ。お初にお目に掛かりたいところだが、この霧では無理かな?」
『無理だねぇ』
「それはとても残念だ、話に聞いて急ぎで足を運んでみたというのに」
『ほんっと随分とお早いお着きのようだ。当然……一人、じゃないんだよなぁ?』
「えぇもちろん、物資および商隊は現着しています。朝には市場が開かれ、大層な賑わいを見せる。札差たちも貯め込んだ米を放出せざるを得なくなり、相場も安定へ向かうことでしょう」
『そんじゃ……これは王手、かな? "詰めろ逃れの詰めろ"とはいかない?』
「いいえ詰んでいますよ。ですので投了していただければ幸いです」
『ん、っと~~~確か五日と聞いていたんだけど、二日ばかり早いね?』
「道筋というのは決して一つではなく。何よりも"力"があれば、他にもいくらでも方法は見つかるものです。兵だけではなく、商人もまた拙速こそ第一とすることがありますから」
仔細については不明ではあるが、大大名の介入によって市場は正常化すると思われる。
そうなればもはや、強引に盗んでばら撒く意義は無くなったも同然であった。
『いい教訓になったよ、飛鳥馬さん。それはそれとして、"男の勝負"は再開してもいいかな?』
「いいえ、お断りいたします。人材もまた大切な資源であり、浪費すべきものではありません。いいですね? 古賀くん」
「……はい』
鬼人族の男は朱白鞘へと納刀し、炎と共に先刻までの気勢も消す。
その気になれば力尽くでやれないこともないのだろうが、なぜだかその気にはなれない。
アルムにとっては無関係であるにもかかわらず有無を言わせない、やらせない、この場を完全に掌握する圧力のような──そんな絶対的な雰囲気が飛鳥馬ムネチカにある。
「ただ旦那ァ、お手当てはいただきたいのですが」
「考えておきましょう」
──例えるならば、"劇場"。
"歌舞伎"や"人形浄瑠璃"が披露されている舞台……誰もが乱入して、演目を台無しにすることは難しくない。
しかしそんなことは誰もしないし、望まないのだ。
(今の俺には……無理だなぁ)
アルムは率直にそう結論付けた。
環境を壊すことに躊躇いを覚えてしまうとでも言えばいいのか、場を読まざるを得ない空気に満ちている。
もしも無視できるとすれば、自身で脚本を書いて演出するか……あるいは舞台を乗っ取ってしまえるほどの大器が必要なのだと。
全ての演者を喰ってしまえるほどの──大輪の華を咲かせて魅せられるだけの──煌めく星光のような存在でなければ。
「それでは二人とも、しばし耳を塞いで動かないでください。目は……この霧なら閉じなくても良さそうですね」
わざわざ確認せずとも、古賀も阿佐木も命令に従っていることは確信できた。
それも聞かないように努めるわけではなく、"一切合切を耳に入れない"という絶対的な遵守をしていると。
「さて"男の勝負"はこれにてご破算です。もっとも、見てみたい気持ちもなくはないのですがね」
『ちっとばっかし残念だけど、別に固執するわけじゃないからいいよ』
「ありがとうございます。それと名乗っていただけないのなら、このまま戯賊さんとお呼びしますが?」
『ご自由に』
「そして今はわたしとあなたの二人きり」
アルムは探りを入れようとも思ったが十中八九、相手が上手であると真っすぐぶつかることにする。
『……内密の話? それとも俺に何か頼みたいことでも?』
「貴方はどこのどなたですか?」
『それは言えない』
「"恩"や"貸し"というものはね、作れる時に作っておくものですよ。しかもわたしは駿河を治める大大名で、さらに言えば大商人です。とても高く貸し付けられるというもの」
『んーーー、それでも言えない』
いくら大大名とて、幕府には及ばない。
公儀御庭番であることを明かすわけにはいかないし、ましてや御庭番になって日も浅すぎる。
「なるほど、なるほど──」
すると飛鳥馬ムネチカは意味ありげにそう繰り返し、改めて口を開く。
「今ので貴方が戯れだけの自由人でないことがわかりました。そして……そう、"霧"を巧みに使う一族が──今は上総にいましたね」
唐突に正鵠を射られ、アルムは心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。
「たしか名を"霧縫"、今でこそ武家ですが……かつては流浪の忍者だったと記憶しています」




