#03 問答
天井近くまで振り上げられた刀身が、行灯の淡い光によって濡れる血を露わに映す。
「知恵捨」
南郷ミチツネを一斬で絶命させた"天狗面"は、大刀を墓標のように突き立てて、くわえたままの煙管を上下にゆらゆらと揺らす。
「ッ……エエェェェェェェエエエエエイィッ!!」
次の瞬間には、自分同様なんとか倒れずに立っていた大隅武士が猿叫をあげながら、刀を抜いて斬りかかる。
一方で"天狗面"はその場で歩を刻むように踏んで躱し、間断ない足運びで回転しつつ裏拳を放った。
大隅武士の首があらぬ方向へ折れると──勢いのままに体ごと吹っ飛んで──柱へと激突する。
「地源流はその名の通り……地面を根源とし、突進力と踏み込みを刃に乗せてこそ。屋外だったら真価を発揮できたのに、なぁ?」
"天狗面"は実に落ち着き払った様子で、こちらに同意を求めてきているようだった。
しかし僕も父も、受け答えるだけの余裕も、知らぬ流派の答えも持ち合わせてはいない。
「まっ、どっちにしても結果は変わらんけど」
「はぁ……はァ……貴殿に死合を申し込む」
「ッ、父上──」
父・御幌ヨシツグは震える手で抜いた刀を、正眼に構えた。
「ゼンノスケ、よ……せめて、お前、だけ……は──生かしてみせる」
毒の回りが早いのか、父は息も絶え絶えな様子で言葉を絞り出す。
「相討ち覚悟か? 確か清浄宗徒の死合ってーと……どちらかが死なない限り決着ナシだっけ」
「然り」
「神王教ディアマ派の"決闘裁判"よりも過激だよな」
「よもや……逃げ、は──すまい」
「逃げるも何も、受ける義理はないけどな。そもそも最初っから戦争とも言えるが」
"天狗面"は落ちている刀を蹴り上げて掴むと、右肩に担いだ状態で「かかってきなさい」とばかりに左手指をクイクイッと曲げる。
「しかし──その心意気には正々堂々で応えよう。俺に勝てたなら、この煙管を奪って解毒すればいい」
「敵ながら……感謝、する……」
「その狂熱と無念を喰って、成長期な俺はさらに充実することだろう」
父・御幌ヨシツグは、自らの首に掛けた数珠に触れる。
「"ヴァイラーギャ・パーヴァナ・マハーディーマ・アーカシャ"──ぜぃあアアアッ!!」
"神言"を唱えてから、怖気を振り払うかのような裂帛の気合でもって突き込まれた切先。
「霧縫流・一刀勢法──"浮雲渡り"」
それを"天狗面"はわずかに半身を引きつつ、父の刀に乗せるように受け流しながら白刃を斬り渡らせた。
「そん、な……父上」
父・御幌ヨシツグは畳の上に伏し、バラバラになった数珠が転がっていき──その一つを"天狗面"は拾い上げた。
眼前で見せられた肉親の死に、虚無感が全身を包み込む。
「"神言"──精神が肉体を凌駕するってーの? こんなんで無理やり体を動かせるんだから……すごいね、信心」
言いながら"天狗面"は、手元の珠と握っていた刀を同時にポイッと投げ捨てた。
一方で僕は懐中にある、一字が刻まれた己の"神言珠"を砕かんばかりに握り込む。
「ぐぅ……慙愧の念に堪えぬ……僕は、こんな──」
たった1人だけ残ってしまった僕は──己自身の力の無さを含めて──"天狗面"を蛇蝎の如く睨みつける。
「男に見つめられても嬉しくない、しかも恨めしい眼ときたもんだ。正当なる死合の結果なんだから、諦めて受け入れな」
そう言って"天狗面"は、その面を側頭部へとズラして再び素顔を晒した。
「さってっと、質問だ。もしも一分だけ過去に戻れるとしたら……あんたは何をしたい?」
「は……? 一体どう、いうつもり──だ」
「ん~~~ただの趣味、みたいなもんかな。往生際にいる人間と話すのは、色々と面白い話が聞けたりするから」
「悪趣味が」
「まぁそう言うなって、御幌ゼンノスケ──唯一の嫡男を謀反に関わらせるなんて、あんたの父親は相当なもんよな」
「っ……僕自身、が……望んだこと、だ」
父は必ずしも賛成ではなかった、しかしそれでも清浄宗と御幌家の今後の為に自ら名乗りを上げたのだ。
「普通に考えりゃ、危機管理や保険として跡継ぎは囲っておくもんだろうに」
「黙れ……」
「狂信者にありがちな"大義の為なら精神"っての? そのおかげで、哀れ御幌ヨシツグは無念の内に没した」
「だ、ま……」
もはや薄っすらとしか聞こえなくなっていく声に、"天狗面"は紫煙を吐きかけてくる。
「ッ……ゴホっ、げほっ──」
「眠るにはまだ早いぜ」
紫煙を吸ってしまい咳き込むが、同時に体が楽になっていくのを感じる。
「黙れ、異教徒めが……」
「俺は別に特定の宗派は持っちゃいないぜ? それに信仰なんていくつ持ってたっていいだろ、数多の宗教の中に真理があったとして、満遍なく信仰しときゃどれかは当たるかもだし?」
"天狗面"の青年はそう口にした瞬間、晒している素顔で冷笑を浮かべる。
「あるいは。そのどれもがまやかしで、何一つとして当たらんかも知れんけど」
「不敬なり」
「あーーーでも、強いて言えば"大陸の思想"に一番傾倒してるかな」
「大陸かぶれ、か──」
「世界は広げとくもんだぜ? 引き出しってのは多いに越したことはない、ちゃんと管理しきれるならだが」
幾分か楽にはなってきたものの、僕は刀を杖のようについて自分の体を必死に支える。
「おまえに言われる筋合いなどない」
「くっかっはっは、かもな。んじゃ話を戻そうか。一分だけ……ほんの一分だけだ。あんたが歩んできた人生の──どこかの時点に戻れるとしたら、あんたはどうしたい?」
その問いにどういう意図があるかはわからなかった。
ただいずれにしても、今この感情を素直に言葉にするならば……答えは決まっていた。
「貴様の……首を、斬る。下男として顔を見せた時点でな」
「恨み辛みはわかるが、つまらない答えだなぁ。それにたとえ戻れたとしても、俺の首を落とすなんて不可能だってのはわかるだろ?」
"天狗面"はトントンッと首を手刀で叩く動作をしながら、ニィっと笑う。
「自由ってのは強者の特権だ。大志を貫き、大業を成し遂げんとするならば──相応の強度がないとな」
「幕府の狗が、自由をのたまうのか」
「……いやぁ? 別に他にも手広くやってるしな。俺ほど最自由なヤツはいないぜ」
「愚かな、世界は己を中心に回っているとでも──」
「くっかっはっはっはっは、そりゃぁ回ってんだろ? 中心はいつだって己自身だ。世界とは俺の為にあるもの、そして誰しもにとっての遊び場さ」
「増上慢が」
変節した価値観を持つ相手に、まして命を握られた状態で……もはや僕にできることは悪態を吐くことだけだった。
「せっかくなら"清浄宗"について講義してくれよ。あんたらを調査した時に、少しだけ知った程度だし」
「殊勝にも、我らに理解を示そうというのか……」
「興味を示していると言えばそう。好奇心を満たしてこその人生だろ」
命のやり取りをしているとは思えないほど、あまりにも気安く……"天狗面"の青年は、まだ少年の面影の残る表情でこちらの様子を見る。
「貴様が言うところの、信仰などいくつでも持てばいい──と?」
「あ~~~、まぁ共感できることがあれば部分的でも学びにはすっかもな」
僕は憎き相手を前にして悩んだが──"教えを受けんとする者は、立場を問わず、遍く導いていく"というのが清浄宗の教義であった。
一人の敬虔な清浄宗徒である以上、教義は守らねばならない。
「清浄宗は……"清貧"・"浄化"・"救済"を旨とする──」
それがあるいは……この状況から自分が生き残ることに繋がるかも知れない。
既に父も同志たちも死んでしまった。それは許されざることではあるが……彼を改宗させることができたのなら──
新たに山城ノ国と大隅ノ国の双方から支援を受け、別の形で果たすことができるのではと。
ゆえに僕は、感情を押し殺してでも教義を語ることにしたのだった。




