#29 潜入 II
「──なるほど、事情はわかりました。それで早くに事を進めたいというわけなのですね」
「"阿佐木"どのにもお手数を掛けまして、大変申し訳なく……」
(ふわぁ……ん)
暗く狭い屋根裏で、アルムは仰向けになってあくびを押し殺しながら、下の客間で交わされている密談に耳を澄ませる。
「手配はほとんど済んでいますので……そうですね、一週間──いえ五日ほどで物資は到着するでしょう」
「無理を聞いていただいて、まことにありがとうございます。切に感謝を」
(──うん。これは忍者っぽくてイイ)
屋根裏に隠れて密談を聞く。ようやく潜入任務らしいことができて、アルムはニマッと少年らしい笑みを浮かべた。
明石が会う予定とやらの人間を確かめ、町の現状と画策している事を把握する為に、わざわざ動いた甲斐もあったというもの。
「こちらも"商売"ですので、悪しからず。しかし今一度、確認させていただきます。本当によろしいのですね? "我が主人"が流通を一度完全に掌握することで、市場は正常化するでしょう。供給する物資を適性価格で売れば、貯め込んだ札差たちも米を放出せざるを得なくなる。不安定だった相場もやがて沈静を見せる……されど今後は──」
「駿河では"銀"で上手く回っているのを……わたくしも交易で赴いた折に、実際に見ておりますれば」
「そこは民の自由意思ですので。それと御公儀は決して良い顔をしない、ということもお忘れなく」
阿佐木と呼ばれている男はそこでいったん区切る。
その声にはどこか含みがあるような印象を持たせていた。
「いずれにしても、しかと理解しておいでならば結構です。充分な支援を我が主人の名の下、ここに御約束いたします」
「なにとぞよろしくお願いいたします」
アルムには下の様子までは見えないが、何度も頭を下げているのだろうことは容易に想像できた。
「手前どもとしても、この町は重要な交易拠点の一つですから。我が主人からも今回の一件は貸し借りを考える必要はなく、あくまで商売の一環と考えてほしいと仰せつかっておりますので」
「ありがとうございます。"飛鳥馬"さまにも、どうぞよろしくお伝えください」
「……この場では許しますが、今後は決して名前を出さないようにお願いしたい」
「ッッ──申し訳ありません」
(飛鳥馬……?)
アルムはその名を聞いて考えを致す。
何らかの決定権を持つ阿佐木という名の男の、上役にあたる主人とやらは口止めするほどのやんごとなき身分。
北州でも珍しい姓で、町一つ救えるほどの影響力を持つ商売人。
(なるほどなー、大元締めは駿河ノ国の大大名ときたかぁ──)
陸奥、飛騨、上総、駿河、山城、周防、大隅。
北州を統治する七ツ国の一つである、駿河ノ国の現当主──"飛鳥馬ムネチカ"。
最も権威を持つ飛騨幕府の扇祇家を除けば、上総の棗家とも同等の立場にある大人物である。
(ってか、これって町一つの話では終わらなそう……?)
町民らの動向を探る程度の任務かと思いきや、何やらもっと遠大な計画の中に含まれているようだった。
具体的な内容や見通しまではわからないものの、アルム自身も大いに関わってしまったことになる。
「協力していただく皆さんの今後の動き方について、こちらの書状にしたためてあります。今この場で読んだら確実に燃やして、内容を他の商人たちにお伝えください」
「はい、承知いたしました」
(くっくく……どんどんおもしろくなってく)
今の現状をそのまま御庭番として報告する。それで諜報任務としては十分に達せられることだろう。
しかしそんな無粋な真似など、アルムは選択しない。
結果的に自らの行動によって早まった、事の次第の行く末は……最後まで見届けてこそだと。
(いや、さらに引っ搔き回してこそ──かな)
"限界を超えて楽しめ、それでも世界は果てしない"。
いつだって己を中心に置いてこそ、世界は、人生は、最高に面白くなるということを。
そう心に決めた瞬間、アルムは天井をコンコンッと叩く。
「なっ!?」
「くせもの──」
『おっと静かに、喋るなよ』
アルムは天井から瞬時に"歪空跳躍"し、襖の裏へと移動していた。
『既にわれらが取り囲んでる』
実際には取り囲んではいないものの、騙すには十分だった。
『下手な動きを見せれば、命の保証はできかねる』
続いて逆側の襖へと転移してからそう言い、明石と阿佐木に姿を見せぬまま、アルムは声色を変えつつ自らを複数人に思わせる。
「一体何者か、何が目的か」
阿佐木の問いに、アルムは床下からゴンッゴンッと強く叩いて威圧してから、再び襖の裏へと転移する。
『ふむ……? われわれが何者で、何が目的、か──』
行き当たりばったりでやり始めた為、特に何も考えていなかったことにアルムは気付く。
「ま、まさか……最近世を賑わしているという"銀十字協会"!? それとも"風車党"!?」
「何者であれ、少なくとも昨晩──米蔵から奪ったのは貴方がたというわけですか」
慌てふためく明石とは対照的に、阿佐木は冷静にそう口にした。
『ご名答』
アルムは一拍置いてから、とりあえずその場の空気に合わせ、口から出るままに答えることにする。
「例の、義賊──」
「明石どの、その呼び方は早計です。彼らの真なる目的が判然としない内は、偽り、欺き、騙し、惑わしているだけの賊に過ぎません」
『はっはっは、言うねぇ。さしずめ義賊ならぬ、"詭賊"といったところか。それにしたって阿佐木とやら、この状況であんたの胆力は大したもんだ』
「まったく……安く見られたものですね。害をなすつもりであれば、既にやっているに違いなく。少なくとも目的を達するまで、こちらは安全でしょう」
『ごもっとも』
毅然とした態度で接してくる阿佐木に、アルムはその顔を見てみたくなる──も我慢する。
今は自身の素性を知られることも、"天狗面"を晒して御庭番に繋がるようなこともあってはならない。
『まぁあれよ、とりあえず今日のところは挨拶だ』
「あ、あいさつ……?」
『そうだぜ明石とやら。あんたらが何を考えてよーが、われわれはやりたいようにやる。せっかくなら競争でもするかい? おれらが先に解決するか、あんたらの策が成功するかのな』
「そ……そんな、それは──」
明石が言葉を失う一方で、阿佐木は淡々と言葉を紡ぐ。
「……であれば、戯れの狂賊──"戯賊"とでも呼ばせてもらいましょうか」
「う、阿佐木どの……あまり挑発するようなことは……」
『くっかっははははっは! そりゃいいねぇ。伊達と酔狂、大いに気に入った。せっかくだ、広めといてくれよな──いや自分らで広めっかな」
アルムはあまり屋敷内に響かせないように笑う。
「我らと競おうなどど……浅はかな行為は時として、考えているよりもずっと高くつくということ教えてさしあげましょう」
『あんたの吠え面が今から楽しみだぜ』
アルムはそう言い残して、夜闇へと転移して消え失せる。
静まり返ったところで明石は、行灯に照らされて薄っすらと笑みを浮かべている阿佐木に気付いた。
「阿佐木どの……?」
「連中が今夜も動くのであれば、それは仕方ありません……諦めるしかないでしょう。しかし明日の夜以降は好き勝手させません。我が主人の名に賭けて」




