#28 潜入 I
商人である明石は、切に訴えかけるように頭を下げる。
「頼む、火口どの。このままではこの町全体が沈みかねん。なぁ小僧もそう思うだろう?」
「……えっ? あぁ、はい」
立っていただけのアルムは突然話を振られ、思わず口をついて返事をする。
「さらには札差の貸し付けが原因で、余計に問題が大きくなっている」
「……ふださし」
アルムがポツリを小さく呟いたところで、明石は丁寧に解説してくれる。
「札差というのはな、簡単に言えば金を貸し付ける商人だ。特に武士らが借りることが多いんだが、返せなくなったりするわけだな。そうすると侍なのに刀を新しくすることすらできないし、食べるモノにも困るだろう? 次は売れるはずのものが売れなかったり、困窮に付け込んで高値で売ろうとする悪どい輩も出てきたりする」
明石はアルムに説明するような形を取りつつ、現状を火口ダイゴに訴えているようだった。
「武士だけじゃなく、商人や農民だって借りることもある。仕入れた物品が売れなければ、首が回らなくなる。農民も返済に困って農具や畑を売ったりして、翌年の収穫量が減る。そうやって流通が不安定になり、物価も上がっていく。やがては食い詰めた侍や農民を雇って、暴力的な手段で返済を迫るという話も他所では珍しくもなく……ちらほら聞く話だ。治安が悪化すれば、外から金を落とす者も寄り付かなくなる。まさに悪循環だ、この町をそうはしたくはない」
「それじゃぁ……札差をやっつければどうにかなるんですか?」
「そう単純ではないのだ、札差もまた必要な存在だからな」
静かに、淡々と告げた商人は椅子から立ち上がる。
「それとこれは内密の話なのだが、この状態が改善されない場合──支援を頼もうと思っている」
「支援……ですか?」
「ああ、しかしそうなれば町の流通はこれまでと様変わりしてしまうことだろう。その時は否が応でも協力してもらう他なくなってしまう」
「具体的なことはお尋ねしてもよろしいのでしょうか」
「話は単純よ、"銀"での取引を優遇してもらう。それだけだ、しかしこの町はこの町の市場と歴史がある。そこを壊したくないのは火口どのも同じであろう?」
火口ダイゴは少しだけ考えてから、ゆっくりとうなずいた。
「えぇはい、それはもう。明石さまの心中お察しいたします」
「ありがとう火口どの、また翌日うかがうので……今少し考えてくれ。そしてそうなる前に有益な話があれば、是非とも協力願いたい」
入ってきた時とは打って変わって、肩を落とした商人──明石の姿は、町の未来を暗示しているかのようだった。
◇
兵は拙速を尊ぶ。何事も思い立ったが吉日。その日の内に"思いつき"は実行された。
夜半──"天狗面"を着けたアルムは、本来の情報収集の任務から外れて、悪どいと散々っぱら言われている札差の屋敷へと潜入する。
(札差そのものを潰すのはダメ。ってんなら原因を取り除けばいいじゃんってな)
米を買い占めているのが問題なのだ。
(切腹まではさせないが、自腹は切ってもらおうじゃん)
あえて巡回している見張りの近くを──霧を散らさず縫うように、音も無く影のように──自らの習練の成果を試すように忍んで進む。
(ん? あ……この前の客だ、たしか"後藤"だったっけ)
警備している者の中に──鍛冶屋に研ぎを依頼していた──見知った顔を見つける。
(ふんふん、つーまーり。札差のせいで貧しくなって、そのせいで逆に札差に使われるしかなくなってんのかな……哀しいねぇ)
アルムは世知辛さをというものを学びつつ、探索を再開する。
そして複数の米蔵を見つけると、アルムは己の中の魔力をより意識した。
「"歪空跳躍"」
視界内にさえ捉えていれば何のことはない。
"空間変成魔導師"であるアルムにとって……距離も、壁も、何の障害たり得なかった。
「ビンゴ」
扉を背にした位置から眺めると、大量の米俵が積み上げられていた。
「とりあえずは一蔵分、丸ごと頂戴させてもら──」
そこではたと気付く、さすがに多すぎて魔力が保たないと。
「ん、それにいきなり空っぽになってたら不自然すぎるかぁ。気付かれなくてもつまらんし……鍛冶屋の客にいらぬ疑いが掛かって、斬首にでもなったら後味も悪い」
アルムは空間転移でこっそり盗むの方針を、"力尽くで奪い取る"へと転換する。
そうして一夜の内に、米俵は民たちの家の前に置かれていったのだった。
◇
「おい聞いたか──」
「ああ、ご丁寧に所有を示す"焼き印"も削られてたらしい」
「代わりに"なるべくみんなと分け合え"って、墨で一筆書かれてたそうな」
「ははっ粋なこったね、その札差ぁ今頃大慌てだろうな!
「違ぇねえ! 聞いた話じゃ、一蔵分まるごとなくなってたとか。連中アワくって町奉行所に駆け込んだとか」
「だがよ、何を訴えんだ? "自分らが買い占めてた米が盗まれました"ってか?」
「そんなこと言えば、それこそ幕府の目が向いちまうだろうよ」
「んじゃ泣き寝入りか? ざまあみやがおれってんだ」
「なんでも見張りどもは、みーーーんな叩きのめされてたってぇ話だ。中には食い詰めた雇われ侍もいたとかって」
「にしても、ごぉっついのがいるもんだなあ」
「ありがてえこったよ、他の札差どもも怯えてんじゃねえかぁ」
「そりゃそうだ。こんな痛快なこたぁねえよ」
「実は……大きな声じゃ言えねえんだけども──うちにも届いてたから、あとで分けるべさ」
「おお!? おめえんとこもか!」
「いまはまだ目立ったことはできんけんどな」
「そりゃいい! これで、しばらくは飯の心配しなくて済むな……」
アルムは親方から頼まれたお使いを済ませ、早くも風聞となっている町民たちの言葉に気を良くしながら、のんびりと昼の往来を歩き続ける。
「──こうなってしまってはもはや一刻の猶予はないのだ、火口どの」
鍛冶場へ帰ってくると、昨日来ていた商人──明石と親方が喋っているようで、アルムは隠れつつ静かに耳を傾ける。
「……米強盗の一件、ですか」
「既に食い詰めた武士たちが、昨夜の義賊紛いの真似をして襲撃するなどと……どこぞで計画しているとすら聞いている」
「それで……今朝方から"研ぎの依頼"がいくつか──」
「やはりな。そう遠くない内に、戦にもなりかねん。こたびの件に無関係の札差まで狙われては、目も当てられない……この町は滅茶苦茶になろう」
暴力という手段で解決してしまえば、それは今後も悪しき慣習として残ってしまう。
「民が萎縮して、商人たちが安全の為に他所へ移るなんてことがあってはならない。そうならぬ為にも計画を早める、今晩にでも"使いの者"と会うつもりだ」
「使い、ですか?」
「──さる御方のな。それ以上は聞かんでくれ」
明石は覚悟を決めた様子で、声を低く釘を刺した。
「御公儀に現状を訴えることはできないのですか?」
「今の幕府か……当てにはできない。一時的にでも改善されるかもわからないし、その場では上手くいったとしても近く立ち行かなくなるだろう」
「すんません明石さま、わたしはそういうのには疎いもので」
「そこはいいのだよ。何事も"もちつもたれつ"──話が正式に進めば、火口どのにも協力を確約してもらいますよ」
「……」
火口ダイゴが答えに窮して言葉が詰まったところで、頃合いを見計らったアルムは声を張る。
「親方ぁ~~! ただいまです!! ──と、明石さま……でしたっけ? こんにちは」
「あぁ邪魔しているよ。では火口どの、いったん失礼する。他の者にも話さねばならぬのでな」
明石は足早に出ていき、火口ダイゴはうつむいたまま考え込んでいる様子だった。
「無事ぃ届け終わりましたよ? 次は何をしましょう」
「……辰田くん、ご苦労さまでした。それじゃ──」
預かった研ぎを待っている刀を、火口ダイゴはジッと見つめる。
「刃研ぎの準備ですか?」
「いい、それは少し後回しにしてお客さまには待ってもらいましょう。今日は炉の管理だけでなく、鋳造を見ていてください」
「押忍」
自らが研いだ刀が戦に使われるのを考えたくないかのように、一時でも忘れて没頭するかのように、火口ダイゴは見習いへの教えを優先するのだった。




