#27 情報収集
翌日──朝早くから鍛冶場の奥では、火口ダイゴが熱せられた鉄を打ち続けていた。
炉から引き出された真っ赤に焼けた鋼は金敷の上に置かれ、鎚が振り下ろされる。
火花が散り、鉄の塊は徐々に形を変えていく。
心地よい打撃の音が規則的に響く。そのたびに鋼の温度がわずかに下がっていく。
火口ダイゴは真剣な瞳でそれを見極めながら、適度なところで再び炉に戻し、また引き出しては叩くを繰り返す。
(地道だなぁ……それにしても、この力加減……)
熟練と言えるのだろう鍛冶師の太い腕が振るう鎚は、決して力任せに叩きつけているわけではない。
彼の一振り一振りはまるで鋼の"声"を聞き分けているかのようで、長年の経験と緻密な計算が込められているようだった。
「辰田さん、すまないが表から水を汲んできてもらえますか」
「了解です」
アルムは桶を両手に、店の外にある貯水樽から水を汲んで戻る──途中で、男が店に入ろうとするのを見掛ける。
くたびれた髪に、日焼けした顔に浮かぶ皺は深く、泥だらけの草鞋を履いた農民のようだった。
「らっしゃいませぇ! 親方ァ! お客さんです!!」
「おっ元気がいいねえ。子供は元気が一番だ」
疲労の色が濃い顔だったが、農民はそれでも笑顔を浮かべる。するとすぐに火口ダイゴが、店奥から現れた。
「やぁ火口さん、鋤の仕上がりはどうだい?」
「既にできあがっています。柄もご注文通り、少し短めで。さっ、どうぞ入ってください」
「いやぁ店先だって汚したくねえってのに、中に入るわけにゃぁいかねぇよ」
「……それはそれは、お気遣いいただきありがとうございます。では少々お待ちください」
火口ダイゴは無骨な手で鋤を持ち上げ、農民の前に差し出した。受け取った農民は柄の握りを何度も確かめる。
「助かるよ。実は鍬のほうも限界が近いんで、作り直したかったんだが……今はどこも値が高くてな」
「そうですね、鉄の値も上がっています。鍛冶屋もなかなか楽ではありません」
渋い顔をしているところに、今度は小柄でいかにも職人といった見た目の男が入ってきた。
「まいど火口さん、釘は?」
「ああ釘ですね、辰田さんお願いします」
「はい」
アルムは店を開ける前に聞き及んでいた木の箱を持って、職人へと手渡す。
「おうありがとうよ少年。なんだ火口さん、この子は見習いかい?」
「おいおい……まさか、引退するってこたぁないだろうね?」
「そんなことはありませんよ。ある伝手で預かった子でして、学んでもらっているところです」
「はっはっは、そんならゆくゆくも安心かねぇ」
職人は笑いながら、木箱に詰められた大小様々な釘を一つずつ手に取っていく。
「相変わらず、いい腕だ……値はいつものままでいいのかい? 毎回毎回これだけの仕事だ、追加で払っても惜しかねえ」
「いいえ、結構です。まだ多少なりと余裕はありますので──」
「すまんなぁ、助かるよ」
農民と職人は互いの顔を見合わせ、深く溜め息を吐いた。
「まったく……この先、どうなることやらだなぁ」
「鉄だけじゃない。米も高くなる一方だ。巷じゃ"商人の連中が買い占めてる"なんて噂もあるが……まさか、な」
「あまり考えたくはありませんが」
「真実はどうだか、御家人さんたちも困ってるってちらほら聞くしねえ」
「そういえば銀細工を溶かしたいという方もいらっしゃいましたが、みなさん大変なご様子で──」
「銀? そういやぁこないだの市じゃ、"銀"を欲しがる奴が増えてたっけなぁ。どうにも変な流れになってきてる気がするぜ」
アルムは三人の会話に静かに耳を傾ける。
世間話と愚痴が飛び交い、しばらくして話は終結する。
「──まあ、おらたちゃ細々と働くしかねえがな」
「そうさなあ」
農民は鋤を肩に担ぎ、職人も釘の箱を抱えて歩き出した。
「世の中が荒れると、鍛冶屋は儲かりますが……そのような儲けなら無い方が良いとも思いますねえ」
「親方は根っからの善人ですね」
「……そんなことはありませんよ。この手で作った武器が、人を殺すこともわかっていて打っているのですから」
そんな火口ダイゴの言葉と共に、火の粉が弾ける音が鍛冶場の静けさに消えていったのだった。
◇
ある日の鍛冶場の一角、軒先に設けられた作業場には、研ぎを待つ大小の刀身がいくつも並べられていた。
"天狗面"──霧縫アルムは、武士と思しき客の対応をしながら研ぎの手を止めない"火口ダイゴ"の仕事を観察する。
「急ぎでのご依頼とは珍しいですね、後藤さま」
「いやはや、ここんとこ世情不安で物騒だからねえ。なまくらのまんまじゃぁ、命も縮む」
後藤と呼ばれた武士の装いの男は、笑いながらアルムのほうを見る。
「そっちの坊主は、まさかお弟子さん?」
「えぇ、つい先日雇ったばかりです」
「辰田コタロウと言います!」
偽名と共に元気な少年をアルムは装う。
後藤と名乗った武士風の男は、手元の酒をちびちびと酒を舐めながら、どこか含みを持たせたようにニヤリと笑う。
「坊主、年齢はいくつだ?」
「十歳っす」
「ほっほー、あと五年もしたらアレだ。"黒鷲楼"って知ってっか?」
「……?」
聞いたことのない名前に、アルムは素直に首を傾げる。
「駿河ノ国にある色町の中でも、最近すげー評判がいい遊郭よ。行ってみるといい」
「女に不自由はしてないけど?」
霧縫家の義姉であるノエとの房中術の練習を思い出しつつ、アルムはそう言った。
「言うじゃねえか、許嫁でもいるんか?」
男は目を細めてアルムを見たが、すぐに愉快そうに肩をすくめる。
「まあいいさ。それはそれとして、"別口でも絶対に楽しめる"ってぇ評判だ。おれも死ぬ前に一度くらいは行って豪遊してみてえぜ」
「高いの?」
「そりゃあもう。特に最上位の"東雲太夫"ってのは、風聞を聞いてるだけでおっ勃つぜ? ま、極貧生活の武士にゃ格が一番低いのでも夢のまた夢ってとこだがな──おれにゃぁこうやって安酒で酔うのが精々よ。おっとダイゴさん、あんたに払う金くらいは残ってるから安心してくれよ」
後藤は豪快に笑いながら、再び安酒を口に含む。
「わたしはツケでも構いませんが」
「それじゃ大変だろうよう。それに今夜にも金が入るアテもあるしな。あんたみたいに大真面目な仕事人ってのは大事だよ、ほんっとうに……報われるべきなんだ」
「わたしはそういった言葉だけでも報われております」
「言うねえ、おれもそうありたいもんだね」
アルムは後藤という男の態度や言葉の端々から、微妙な違和感を掬い取る。
しかしそれが具体的に何を示すのかまでは……測り切れないのだった。
◇
「おーおー、火口どの。商売は繁盛しているかね」
鍛冶屋での奉公を始めて三日目──店に入ってきた声の主は、見るからに上品な衣をまとった中年の商人だった。
「これはこれは明石の旦那、おひさしぶりです。その節はお世話になりました。ご覧のとおり、最近はお客も減りまして……」
火口ダイゴはぺこぺこと頭を下げ──てなお、明石という名の商人よりも背丈があった。
「顔をあげてくれ火口どの、少し座ってもいいかね。あぁ粗茶などは結構」
「もちろんです」
椅子を持ってきて二人はお互いに向かい合うように座ったところで、アルムは傍に立って聞き耳を立てる。
「少し相談に乗ってほしくてやってきた次第なんだが」
「なにかお困りで?」
「ここずっと商売がやりにくくてなあ。米! 米が足りないんだ。米問屋の方も、どうにかならんかって相談に乗ってくれって言ってきた」
「米が足りない、ですか? 商人同士のつながりでもどうしようもないのでしょうか」
「米問屋たちの調整がどうにも上手くいかないんだ。そもそも不作ぎみで、農民らも米を作るのがきつくなってるから仕入れも不安定。町のことに詳しい者に助言をもらえればとな」
商人は腕を組んで、一度だけ大きくうなずく。
「おまえさんは獣人にしては珍しく気性も穏やかで善良だ。多くの人間に慕われている。町の様子もよく目に入るだろう? 武士だけでなく農民から職人まで、耳に入ってくるだろう?」
「それは……まあたしかにそうですが──」
火口ダイゴは言い淀む。密告というほどでもないだろうが、簡単に話していいものでもないという葛藤が見てとれたのだった。




