#26 初任務
"天狗面"──をかぶる必要はなく、アルムはゆったりとした歩調で通りを歩いていた。
(市井の調査……)
アルムは任務内容を心の中で反芻する。
仮の身分こそあれ、何を調べるのか、どうやるのかも全ては自分次第。
(失敗だったか──?)
早くも御庭番に入ったことに、一抹の疑念を抱く。
言うなれば小手調べ。空気を感じ取って慣らすものでしかない……刺激のない、実につまらない任務である。
「まぁ、なるようになるか」
自身に言い聞かせるように、あえてアルムは小声でそう口にした。
そう、最悪の場合──"空間転移"で他所へ行き、やってる振りだけをしてしまえばいい。
ひとまずは真面目にと……アルムは人々の往来へと目を向ける。
交易で栄えている町にしては、往来は思ったよりもまばらであった。
それは扇祇家や棗家が統治する街を、直近で見ていた所為もあったろうが……それにしても、と感じる。
古びた商家の建物が並び、屋台が軒を連ねている市場を通る。
商人たちが品物を並べるも、道行く人々もやり過ごすだけのように見えた。
広場へと差し掛かる。
「米が高すぎてなかなか手が出せん」
「今年の収穫はどうなることか」
民たちが立ち話をしているが、その会話の内容も厳しさを感じさせる。
その背後では、武士のような出で立ちの者が歩いていた──堂々とした姿勢はなく、どこか気後れした様子で。
衣服こそそれなりにようだが、その歩みは遅々としていて視線は地面に落ちていた。
「ん、ここか」
観察途中で、アルムは潜入予定の鍛冶屋を見つけた。
歩いている途中で既に2軒ほど見掛けていたが、それらよりもさらに年季の入った旧い家屋だった。
(まっ、あん中で選ぶなら、鍛冶よな)
飯屋・呉服屋・鍛冶屋──の3つとくれば、一番興味があるのは鍛冶である。
物作りに関して、"紅炎一座"のボーネルも武器や防具は作れないことはないものの専門外である。
さらに武術として"剣"を扱う以上、鉄に関しては大いに興味が湧くというもの。
「おじゃまーーー」
「いらっしゃい、何用で」
ヌッと中から顔を出したのは、頭から角が生えた獣人種であった。
獣人や亜人は"紅炎一座"の皆で見慣れているものの、北州では割と珍しい。
「……気になりますか? わたしは"牛人族"ではありますが、腕には多少自信があります」
「えっ? あぁ──」
あからさまに角を凝視していた為、アルムは挨拶をする前にそう言われてしまった。
それよりも──誰ぞの使いの可能性もあるとはいえ──10歳の子供相手にも丁寧なその男に、アルムから見た初対面の印象は好感へと傾く。
「ごめんなさい、他意はありません。血こそ繋がってませんが、獣人種も亜人種も、なんなら有翼種や水棲種の家族がいるんで。ただ牛ははじめてだなーってただそんだけ」
「ほう、それは珍しい。それにもしやあなたも……」
鍛冶屋もアルムの"半長耳"に気付いて見つめる。
「あぁ、俺も半分は亜人種の血が流れてます」
棗ナガヨシからも説明されたが、御庭番として潜入任務に当たる以上、あまり素性については話さないのが原則である。
特に純粋な人族ではない以上、容姿で誤魔化しにくい部分もある為、目立ったこともしないようにと注意も受けていた。
「っていうか俺、見習いで来ました"辰田コタロウ"言います。以後よろしくっす」
「あぁそうですか、君が……話にはうかがっています。わたしは"火口ダイゴ"です。ぜひともここで手に職をつけていってください。お互い肩身が狭いでしょうから──」
「肩身が狭い……?」
アルムは何気ない火口ダイゴの一言に、思わず聞き返すと同時に、自らが恵まれた立場であることを改めて自覚する。
「獣人や亜人は、今の北州では極端に少ないですから……」
「あぁ、確かそれって……」
基礎教養として、霧縫家で習ったことを思い出す。
飛騨幕府による天下統一と、その後の統治によって、人同士の大きな戦乱はない。
「よく聞くでしょう、寝ない子の元には"童子"がやってくるぞ──夜中に唸り声が聞こえても、決して外に出てはならない──顔を隠した老人の宴の誘いは、必ず断ること──」
しかし歴史の中では"大怪異"や"大妖魔"などとも称される、掛け値なしの化物がたびたび発生している。
討伐された遺骸によって作製された武器や防具、あるいは子供に言って聞かせる物語の中でのみ語り継がれる存在。
群体として餌を求め、大地を進む唸りは呪詛のように響く、心なき髑髏の怪物──"蛇骨王"
空に浮かびしその声を聞いた者は体も心も喪失する。人界の理を逆しまに、無垢なる災厄──"天逆子"
偽りも欺きもない真実の世界。その怪異の一言は、人をもたやすく殺しうる猛毒──"覚刑部"。
動く沼地、そこに踏み入りし者は二度と出られぬ。その巨大きさは城郭すら届くこと能わぬ巨人──"泥田羅"。
鉱物のような皮膚を持ち、その牙は生命を石塊へと変える。野に放たれし五頭の野獣──"石牙虎"
己が渇きのままに、我がもの顔であらゆる国の人間の血を啜り、幾万の肉を喰い散らかした悪鬼──"血喰童子"。
北州と南州を断絶する病毒汚染地帯より現れし、自然すら蹂躙する瘴気の化身──"毒絡女郎蜘蛛"。
生者も死者も嘆くのみ。通った道はおろか、魂まで灰にすると謳われし冥府の使徒──"禍車"。
迫る音が聞こえるも、見えざる恐怖。それは獣に非ず、虫でもない。その姿を見た者もまたいない異形──"地蟲鵺"。
酸鼻窮まる饗宴に誘われれば最期、その杯に注がれるのは血と怨念。密やかに沁み入る恐怖──"六魂猩々"。
「伝承の"大妖怪"ですね」
「えぇ、そうした怪物が現れるたびに、身体能力に優れ、同朋意識も強かった獣人種らは真っ先に戦い……数を減じていきましたから。人族も同様に減りこそしましたが、すぐに数が増えたのに比べ──亜人や獣人は、あまり増えませんでしたので」
(そういえば獣人種は、必ずしも遺伝するわけじゃないって先生から聞いたっけ)
たとえば人間と亜人であれば、ほぼ半分ずつの形質が受け継がれる。
しかし人間と獣人とでは、獣人の形質は出ることもあれば出ないこともあるという。
純血統同志でない限り数を減じてしまう以上、獣人種や亜人種との人口比率には大きな差が生じてしまった。
とはいえ率先して戦って散っていった、称えられるべき歴史も存在する。
ゆえにそれが今日においての──表立っての差別はないものの、少数派ゆえの肩身の狭さに繋がっているのだと。
「20年ほど前に現れた"膨哭花"も、あの"宗像タツトラ"さまが倒してくださらねば……被害はもっと惨いものとなっていたでしょう」
「宗像タツトラ──って、将軍"斯衛筆頭"の……」
まさしくついこの前、棗ナガヨシから幕府内のことについても説明を受けたばかりだった。
"聖威大将軍"である扇祇ノブナリの直轄であり、命令系統も独立しているものが3つ存在する。
一ツ、密偵・探索・暗殺などを担う"公儀御庭番"。
一ツ、政治的な相談役などを行う"御側衆"。
(そして一ツ、将軍を護る近習──"斯衛兵"、しかもその筆頭)
「当時はまだ15歳で元服したばかりだったそうですが、嵐と共に現れて槍を突き刺し……そこに落ちた雷ごと"膨哭花"を斬ったのだとか」
「そりゃぁ凄いっすね、一度見てみたいもんです」
それが大妖怪であっても、それを討伐した大英雄であったとしても。
拝めることができれば──闘うことができたのなら──味わったことのない素晴らしい刺激に違いない。
「それじゃぁ立ち話も難ですから、辰田さん──こちらへ」
鍛冶場へと案内されると、そこには炉の火が赤く輝き、熱気と焼けた鉄の匂いが立ち込めていた。
そこはまさしく"男の仕事場"といった感じで、アルムの口角は自然と上がっていく。
「──火口親方は、鍛冶師をやって長いので?」
「お、おやかた……?」
「師となる人ですから、そう呼ばせてください」
「はあ……まぁわたしはこの道、35年ほどでしょうか」
「そりゃまた、なかなかですね。学ばせていただきますよ、親方」
「えぇ、こちらこそよろしくお願いします。辰田さん」
アルムは右手を差し出し握手を交わそうとするも、火口ダイゴは手についた汚れを気にして引っ込める。
「親方ぁ……どうせ汚れるんですから、お気になさらず」
「いえ、それでも最低限の礼儀ですから」
「押忍。そうおっしゃるのであれば」
アルムは親方の人の良さに感心しながら、その後の案内を受けるのだった。




