#23 先生 II
「一年振りです。語らいは少し中断して、おさらいをしましょうか」
「はい、先生!」
師匠は弟子に対し、改めて教鞭をとって大陸の歴史を振り返る。
「大昔、大陸を支配していた獣たちの王は?」
「竜種!」
「正解。魔法を使う人間たちに敗れて、知性ある竜たちは別の世界へと消えた……けれど"七色の竜"だけは残りました。その後はどうなったか覚えてる?」
「えっとたしか……魔力が"暴走"した」
知性ある竜種の代わりに、新たに世界を支配した人類種は──自らを"神族"と呼称、頂点を"神王"とした。
統治はしばらく続いたが、突如として魔法を使う根源である魔力が"暴走"し、肉体に変異が生じていった。
異形となった者たちは"魔族"と呼ばれ排斥。暴走が止まらなかった者は知性すら喪失し、"魔物"と化した。
「その後が~、"枯渇"!」
「うん、アルムは物覚えが非常によいですね」
次に魔力が"枯渇"していく事象が発生し、神族は魔法を使えなくなっていった。
暴走と枯渇をあわせて"魔力災害"と呼ばれた異変。
解決法は見つからず、神族は緩やかに衰退していくしかなかった。
「暴走の中で適応したのが"吸血種"。枯渇の中で適応したのが"妖精種"。ただただ枯渇していったものが"人族"──アルムに流れる三つの血です」
「妖鬼人ってやつだね」
「断っておきますが、わたくしが名付けた俗称ですからね。貴方の血の組み合わせは非常に珍しいですから」
その他にも暴走と枯渇の過程の中で、鬼やドワーフといった亜人や、獣人種に水棲種─様々な種族が生まれていった。
歴史における人型種族のすべてが神族より端を発し、変じていった結果なのである。
「アルムと同じ種族は、同時代にもう一人いるかどうか──というところでしょう」
「それって……俺の兄弟姉妹?」
「なるほど、同じ両親からであればその限りではありませんね」
「いたらいいな~」
「……そうですね、とても喜ばしいことです。では、話を続けましょうか」
「はーーーい」
アルムは間延びしつつも元気よく返事をし、イドラは再び言葉を紡ぐ。
「そんな中、"初代魔王"と"二代神王"の手によって魔法を道具として扱うものが作られました」
「んっと……"魔法具"、あれ魔王具だっけ」
「どちらも間違いではありませんが、魔法具と呼ぶほうがいいですね。魔王と神王が協力していたというのは、普通の歴史では語られませんから」
「ふ~ん、わかった」
素直に首を縦に振るアルムに、イドラも同じようにうなずいた。
「さらに初代魔王は魔法の代替として、より広く誰もが使える"魔術"を編み出して体系化させました」
「あっそれで、たしか……二代目神王さまが魔術から"魔導"をつくった!」
「その通り、アルムも使う魔導は──魔法や魔術とはまた違った形で、想像と渇望を現実とするもの。使える者は非常に限られます」
その頃には魔族の数も増え、また魔術を使うようになったことで、一つの勢力として強大化していった。
同様に他の種族も、支配されながらも適応しながら急速に数を増やしていく。
「戦争があちこちで起こりました。それから"海魔獣"に匹敵する"ワーム"と呼ばれる災害によって地上は混沌に包まれ──沈静化した後にも続いた戦争を、当時の神王が制したのです」
「先生も一緒に戦ったって人だよね?」
「はい……あの頃の記憶は鮮烈で、今も強く残っていることが多くあります。わたくしの前任にあたる"黒髪紅眼の竜人"、気まぐれに姿を現した"白光の魔導師"……そして"華麗にして苛烈"であった三代神王ディアマ」
郷愁に瞳を閉じたイドラは、まぶたの裏側にその光景を映し出していた。
「"黒竜"を打倒した際に作られた"大空隙"と呼ばれる、底が見えないほどの巨大な谷底。それから……"紫竜"」
「北州と南州が作られた原因!」
「……そう、かつて神族の魔力が暴走したかのように、自らの病毒を制御しきれなくなった紫竜。しかしただ単に討伐したとしても、その病毒が拡がり続けるだけというのが……ディアマには視えてしまっていた。だからこその苦肉の策──大陸ごと斬断することで、住んでいた者たちごと紫竜を大陸から追放・隔離したのです。それは一時的な問題の先送りに過ぎませんでしたが……ひとまず当面の脅威は去ったのです」
大陸から【極東】と呼ばれる島国はそうやって形成されるに至った。
そして何らかの理由で紫竜の病毒は停止し、汚染された土地を境界線として、北州と南州に分けられたのだった。
病毒汚染地帯によって地上交易は断絶。
西側の海は"海魔獣"が回遊と、それに伴う異常気象。
東側の海は紫毒による海洋汚染によって貿易がしにくく、それぞれの独立した文化が醸成されていった。
「その時に魔法具も壊れたんだっけ」
「えぇ細かいところまでよく覚えていますね。ただ"永劫魔剣"が壊れてもディアマの戦略・戦術的な冴えは健在で、神王として治世を確かなものとしました。……それから数百年後に、英傑らによって討ち取られる日まで──」
歴史から得られることは多い。
成功や失敗から教訓を学び、物語として共感し、多様な思考や行動を理解し、想像力を養う。
イドラにとっての半生を含んだそれが、アルムの糧となるよう願い、イドラは語りを続けるのだった。
◇
一年分に及ぶいくつもの語らいを、師と弟子は交わしていく。
「──んで、ノエと房中術の特訓してるんだけどいっつも手玉にとられちゃってぇ……」
「おそらく比較対象がノエさんしかいないからでしょう。他の女性も相手にするようになれば、アルムも自分の成長がわかりますよ」
霧縫流──忍びの家系だけあって、そういった方面も幼少期から教育する。
そういう徹底したやり方、多様に受け継いでいく人としての強さが、自分が敗北した要因の一つだったのだろうとイドラは想いを致す。
「なるほどなー、じゃっ先生一緒に俺と練習しよう?」
「……はい?」
あまりにも唐突。
本質的にはいまだ無垢であるがゆえの、無自覚の提案にイドラは困惑を禁じ得なかった。
「アルムがわたくしと、ですか?」
「ダメ?」
「駄目というか……経験がないわけではないですが、あまりに遠い昔です。それに痛みももはや感じぬ身、快楽も枯れていると思いますし……練習にはならないかと」
長命種にとって年の差などは気にしないのが常だが、さすがに肉体も精神も成長していない子供相手では憚られる程度の精神性はイドラにも残っていた。
「えーーー師匠としたい!」
「駄々っ子な弟子ですね。確かにもしもわたくしを感じさせることができれば……それは他の女性にも通用するかも知れませんが──」
「ほんと!?」
「いえ、しかし──」
遥か過去に捨て去ったはずの母性が、沸々と湧き上がるのをイドラは感じていた。
そして……自身が封じられる一因となった霧縫家──養子とはいえ手籠めにすることで、ささやかな意趣返しとなるのなら……。
人間らしいそんな思考に、イドラは自嘲的な笑みを浮かべるのだった。
◇
「なんだかすっごい気持ちいーーー。それに幸せだぁ、なんかノエの時と違う──」
「それはお互い未熟だからでしょう。いずれ慣れてくればまた違いますよ」
空気を固めて生成された不定形のベッドで、師と弟子は抱き合いながら安らぐように揺れていた。
「そういうもんかー、あっなんか出てる……」
股からわずかに垂れたそれは、エアーベッドの上で床に落ちることなく浮いていた。
「それは……まぁいいでしょう」
最初から可能性はないゆえに、イドラは特に気にも留めない。
「白くてべたつく……これあれだ、教わってた赤ちゃんの素だ! はじめて出た!」
「……? ノエさんの時は出ていなかったのですか?」
「うん、気持ちよくても出たことなかった」
イドラは少しだけ逡巡し、あまり深くは考えないことにした。
「ありがとう師匠! これからも、ごしどうごべんたつよろしくお願いします!」
「自己嫌悪など、何百年振りでしょうか……でも──そうですね、貴方の笑顔が見られるのならそれも構わないでしょう」
包み込んであげる多幸感。
久しく忘れていた感覚に、イドラは溺れないまでも酔うことにしたのだった。




