#22 先生 I
──イドラの封牢──
銀髪のエルフが薄明りの中で静かに瞑想をしていると、不意に閉ざされた室内の空気が動く。
「やっとこれたよイドラ先生! 先生!」
「アルム……久しぶりですね」
少年はゆっくりと歩いて近付くと、恩人と柔らかな抱擁を交わした
「いやー、あれから狙って跳べるようになるまで一年近くもかかっちゃって」
「そうですか……ではもう8歳になったのですね」
「さみしかった?」
「……えぇ、いつもより時の流れは遅く感じた気がします」
「ごめんなー、中と違って外だと安定しなくってさ」
「ここはわたくしが循環構築しているおかげで、空間魔力が安定しています。一方で外は無色の魔力や残存魔力などが、無軌道に漂い流れている状態ですからね」
「ほほぉ~~~? とにかくまた会えてよかったよー先生」
師は弟子との再会を素直に喜ぶ。
「転移に失敗し、あるいは死んだのやもと思っていましたが……なによりです」
「先生に習った俺が失敗するわけないじゃん」
「随分と自信もついているようですね。魔導においてそれはとても大事なことです」
「いや、実は嘘。あれからいろいろあってさぁ……でももう大丈夫」
明確に想像し、呼吸するように、己自身を騙すほどの思い込み、心の底から盲信し自然なものとすること。
魔術の基本であり、魔導の条件であり、魔法に至る為の前提。
「これでアルムも立派な魔導師──"空間変成魔導師"と言ったところでしょうか」
「なにそれかっこよ!」
「連邦東部語です。元々はここと違う、"異世界の言葉"と思われますが……」
「異世界の言葉──"科学"とかでしょ、知ってるー。あと"サンキュー"、お礼の言葉~~~」
「なんと……まさか外の世界では既に──」
あまりにも長く閉じ込められ過ぎて、時代に置い去りにされたかと思ったものの、アルムは首を振って否定する。
「うんにゃ、ラディーアから何回も聞かされたはなし~~~。ちっちゃい頃のおさななじみが言ってだんたってー」
「なるほど……きっとその方は異世界からの"転生者"だったのでしょうね。ヒタカミに文化を持ち込んだ"七人の武士"も、元はそうだったと思われます。"大魔技師"も──本人からは聞けませんでしたが、間違いなく」
「へっえぇ~~~こことは違う世界かぁ」
大陸、宇宙の星々、さらには別の世界まで──アルムが馳せる想いは無限大に拡がっていく。
「いつか行ってみよっと」
あっけらかんとのたまったアルムに、イドラはわずかに目を細める。
「簡単に言いますね」
「空間転移すればいいだけでしょ?」
「どうでしょうか。少なくともわたくしが知る限りでは、歴史上にそのような者はいませんでした。もっとも往復ができないだけで、一方通行ならありえるのでしょうか。そもそも異世界よりの転生というのも、その知識や精神のみ──いわゆる魂魄、厳密に言えば情報の流入という話も──」
イドラの長くなりそうな話を、アルムはパチンっと指を鳴らして止める。
「魔導師たるもの、"何事も為せば成る"と信じ込むこと──って先生から教わったんだけど?」
「……そうでしたね。わたくしとしたことが」
はっとさせられたイドラは、深く猛省する。
知識や経験を深めるにつれて、選択肢は広がるようでいて──その実多くは、失敗の可能性が高い道筋が潰され、適解として絞られていってしまう。
もしかしたらほんのわずかでもあったかも知れない可能性を自らの見識で狭めること、それは決して本意ではない。
「そういう理論とかは、また改まった時に聞くからさ。まずは再会を喜ぼうよ先生、今回はおみやげも持ってこれたんだ~~~」
アルムは小さな懐中から、おにぎり、団子、お茶など様々な飲食物を取り出す。
「これはこれは……ありがとう、アルム」
「どういたしまして。先生にいっぱい話したいことがあるんだ」
「聞きましょう。少なくともわたくしのほうは時間はいくらでもありますから」
◇
「──だからさー、魔術はどうしても上手くできないんだよねぇ。霧縫流として、"霧遁・雲隠れの術"は基本なのにさー」
「それは仕方ありません。いかに天稟に恵まれていても、数年ないし数十年かかっても決して珍しくないのです」
「うへぇ……そんなに~~~? そんじゃ使えなくても別にいいかなぁ」
アルムの目下の悩み、それは魔導師であるがゆえに魔術が使えないことのようだった。
魔導とはイメージを固定化し、濃く保った魔力を用いて発動させるもの。それが通常の魔術の発動を阻害してしまう。
それは魔導師であれば共通してぶち当たる壁であった。
「魔力を体と合わせるのは老師から習って、かなりできるようになったってのにぃ……」
「……老師?」
「転移した時に南州の山奥で会った爺ちゃん。"身意八合拳"って武術を習ってんの」
「なるほど、師を多く持つことは良いことです。わたくしも長い時の中で、実に様々な師を仰いできました」
種族として妖精種や吸血種は魔力操法に関して、神族や魔族よりも得意とするところである。
その血が半分の半ずつ流れているアルムもまた、そうした才能に恵まれているのも自然の成り行きと言えた。
「魔術を使うだけなら"魔術具"で代用する手もあります。しかしアルムの"空間変成"であれば、小手先の魔術など必要としないでしょう。ただ一つだけ──」
「なになに~?」
イドラは思いついたことを、とりあえず口にしてみる。
「まだあくまで机上の空論でしかありませんが──貴方の"空間変成の魔導"と"魔術方陣"、二つを組み合わせることができればあるいは……疑似的に魔術と遜色ない再現は可能かも知れません」
「おっ、おぉおおおーーーー!」
「この封牢もそうですが、三次元的に魔術方陣を多重構造にして組み合わせることで成り立っています。アルムの魔導であればそれを、何も無い空間そのものに構築できるかも知れません」
「……??」
首をかしげて疑問符を浮かべるアルムの可能性をイドラは想像する。
共に魔術方陣を開発し、後に英傑と呼ばれた"グイド"のそれは、歩くたびに地面へと魔術方陣を描き出して発動させるまでに極めたシロモノだった。
それを魔導によって何もない空間に展開できるようになるとすれば……それはグイドすらも超越しうる力となろう。
「貴方が今後もここに通うのであれば、詳しく教えることもできるでしょう」
「そんなの当ったり前じゃん?」
ほんの一週間ほどしか教えてないが、自らの血すら与えた愛弟子の灰紫髪を、イドラはよしよしと撫でる。
「"Break through to relish"」
「ぶれいくするーとぅれりっしゅ?」
「これも連邦東部訛り──いえ、異世界の言葉です。もっとも覚えたのは昔のことなので、正確性に欠けるかも知れませんが」
ジィっとアルムの碧紫色の瞳を覗き込む。
「アルム、いつだって"限界を超えて楽しむ"ことです」
「それ老師にもいわれた! なんでも楽しめる才能があるって」
「痛感させられますね、長生きをしていると特にそう思います。楽しむということすら忘れていく──」
「そうなんだ……?」
いわゆる"長寿病"とも呼ばれる──長く生きすぎたことで刺激が無くなっていき、植物のような精神性となって心が緩やかに死ぬこと。
新たな弟子のおかげで、イドラはいくばくか救われていた。
「あの日──貴方が外より持ち込み、残していった魔力を循環再利用することで、できることも増えました。これからも期待してますよ、愛弟子」
「りょーかい、いくらでも持ってくるよ~」
アルムは半人半妖鬼、神器には及ぶべくもないが生来の魔力量にも恵まれており、外界で取り込んだ魔力を閉鎖空間で使うことで内部の魔力量が大きく増えることになる。
「しかしもし、霧縫家の誰かに話してしまえば……」
「大丈夫、誰にも言ってないよ。魔導のことも、先生との秘密だから」
「えぇアルム……貴方の魔導はとても珍しく、そして非常に強力です。ゆえに知られることで面倒事に巻き込まれ、利用されますからね」
「うん、心から信じられる以外にはぜったい言わない! でしょ?」
「よろしい。いずれアルムは誰よりも強くなるでしょう、そうなれば周囲など気にする必要もなくなる。それまでの辛抱です」




